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翼なき竜


 29. 未来の夢(4)


 レイラがギャンダルディスに対して暴れたのは、それきりのことだった。
 そしてまるで当たり前のように、女王として働き始めた。
 女王の乱心におびえた臣下は、その後の冷静なレイラに、安堵を隠さなかった。
 スムーズに王城は動き出した。王位継承戦争を終えた王国では、戦後処理、平和への再建が進んでいる。
 そして、レイラには結婚の話が出てきた。老臣達が、
「陛下! 直系血族が少ない今、早く結婚して、子どもを産んでくださらなくては困るのじゃ!」
「そうじゃ! 早く早く!」
 と急かす。
 一日何度も何度も言われ、食傷気味のレイラは、
「今はそんな気分じゃないんだ。女王になったばかりで、覚えなければならないことも多いし、時間もない」
 と適当にあしらうが、
「何を言っておるのです! そんなことより結婚結婚! 子ども子ども!」
 彼らはしつこい。発言もつっこみたいことばかりだ。
 そこまで押されると逆にしたくなくなるのが人情というもので、レイラはこれっぽっちも結婚する意欲が湧かなかった。
 それに、結婚したってどうせ、と考えもする。
 冷静に女王として働き始めたのは、それが一番寿命を長くする方法だと思ったからだ。ギャンダルディスに剣を向けても翼を失うだけだ。冷静に、心を静めることが、一番肝要なのだろう。治療法のない持病だとでも思い、付き合っていくしかないのだろう。
 過去のことは過去のことだ。考えるのも意味がない。
 そうやって女王として執務にあたり、王国の内情を深く知っていくことになったのだが、財政状態が思ったより悪いことが発覚した。何か思い切った方法を取らない限り、この赤字は解消できない。
 そんなとき、東のイルヤス家で、領地の大赤字を黒字に転じさせた男がいるという話が聞こえてきた。
 何度も会議を開き赤字解消について悩んで煮詰まっており、ためしにでも、彼を財務顧問として招いてみよう、ということになった。


 晴れた日だった。暖かく、昼寝でもしてしまいそうになる気候で、時折吹く風は涼しい。
 老臣たちの『結婚』攻勢に辟易したレイラは、彼らと近衛兵たちから逃げ出した。元々、後ろをついて回られるのは好きじゃない。
 近衛兵たちが探し回るのはわかっていたから、中央の華美な庭ではなく、端の方にある林に近い、人気の少ない庭を歩いていた。
 周囲の彫刻自体に興味はないが、木々や花々と共に風雨にさらされ、景色として一体化されたその雰囲気は心地よい。人工的なところをあまり感じないのがいいのかもしれない。
 ふいに強い風が吹き、頭を隠していた紅色のベールが飛んだ。そして木の枝に引っかかってしまった。
 女にしては背の高い方だと自負しているが、手を伸ばしても届かない。あとちょっと、というところなのに。ジャンプしてみるも、やはり無理だ。端は手の中にあるのだけど、このまま引っ張っても破れるだけだ。
 ふいに影に包まれた。ベールに伸びる誰かの手がある。
「はい」
 後ろから声がして、レイラは振り返った。
 そこには、憎き男、死んだはずのグレゴワールがいた。
 レイラは悲鳴を上げかける。過去の恐怖が激流のように襲いかかり、剣を抜くことすらできなかった。


「陛下、大丈夫ですか?」
 レイラは長椅子に身体を横たわらせていた。ぐったりとした身体を起き上がらせ、背にかけていたベールを頭に深くかぶり、顔を隠した。
「……大丈夫だ。あれは……何だったんだ」
 直後に近衛兵たちが来て、暴漢として連れて行ったものの、レイラにはいまいちよくわからなかった。目の前から消えてほっとした、それだけだ。
「……亡霊、か?」
 つぶやいて、ぞっとする。確かに死体は見た。焼死体であったものの、顔は焼けてなかった。あれはグレゴワールの死体だった。つまりさっき目の前に立っていたのは、生きたグレゴワールのはずはない。
「陛下、もう安心です。あの暴漢は近衛隊が尋問をしている所です。しかる後に、きちんと処罰を加えますので」
 丸くふっくらとした臣下が目の前に膝をつく。
「……あれは、何だったんだ」
 レイラが報告を求めると、臣下は紙をめくった。
「イーサー=イルヤスという、東の領地のイルヤス家の次男だそうです。今回、財務顧問として呼んだ男でして」
 グレゴワールではない?
「……グレゴワールと関係ある人間ではないのか?」
 この問いは予想外だったのか、目の前の臣下が顔を上げた。別の細身の臣下が答える。
「イルヤス家の当主であるサラフの妻は、ガロワ家のナタンの妻と姉妹だったと記憶しています。血縁上の繋がりはなくはないですが……ただ、この件を即位当時のガロワ家の事件と結びつけるのはどうでしょう。イルヤス家はガロワ家とはほとんど付き合いがなかったようです」
 レイラが、ガロワ家の恨みからそのイーサーという男がレイラを襲った、と考えていると、臣下は誤解したらしい。
 とにかく、血縁上のつながりがあるということは確認できた。あれはグレゴワールではない、別人だと。
「イーサー=イルヤスは、こう弁明しています。決して女王陛下を襲うつもりはなかった。陛下のベールが枝に引っかかっていたのでそれを取って差し上げようとしただけだ、と」
 それを聞き、レイラは、あっ、と声を上げた。
 レイラはグレゴワールだと誤解して逃げようとしたが、そういえば、あの男は何かを手渡そうとしていた気がする。
 ショックでばらばらになっていた記憶が繋がる。そうだ、イーサーは、ベールを取ってくれた。それを渡そうとしてくれていたに過ぎないのだ。
「すぐに解放しろ」
「は?」
「イーサー=イルヤスを、すぐに解放させるんだ。私の誤解だった。彼の言うとおりだ」
 レイラは額に手をやりながら、命じた。
 いくら顔が似ていたところで、全てはレイラの思いこみと誤解で、あの男が悪かったわけではない。レイラは自身の間違った対処に、唇を噛みしめる。
「解放後、私からの謝罪を伝えておいてくれ」
「え、陛下?」
「早く、解放させるんだ。……命令を聞けないのか?」
「いいえ、めっそうも」
 丸い臣下は走っていく。細い方は、どうします、とレイラに尋ねた。
「解放して、彼をどうします?」
「……予定通り、財務顧問として就任させる……」
 言いながら、レイラはあの顔を思い出し、青ざめた。それはつまり、閣議などで顔を合わせることとなる。
 誤解から逮捕させるのはまずいと思ったが、かといって率先して会いたいとは思わない。消し去りたいと思った過去がよみがえる。
「……ただし、私には顔を見せないようにしてくれ。各大臣、宰相たちと話し合い、任を全うするのは構わないが、私には絶対顔を合わせないように調整させること。彼から私へ言いたいことがあるなら、必ず間に人を挟ませること――わかったな」
「そこまで嫌われたなら、解放させなければよろしいでしょう」
 細身の臣下に、レイラは一瞥する。
「財政状況が危ういことは確かだ。どんな人であれ、使えるものは使わざるをえない」
 これがなくてもいい職種に抜擢された人間であったなら、クビにしていた。その方が顔を合わせないように苦心するよりも楽だ。
「…………」
「何だ」
 いいえ、と臣下は答えた。


 レイラは最近不機嫌であることを自覚していた。
 顔を合わせないとはいえ、グレゴワールと同じ顔が同じ城にいるかと思うと、目の前にいない分だけそわそわして落ち着かない。それが腹立ちに移行するのはたやすい。
 その不機嫌さは、周囲には伝わっているらしい。指摘されるとますます苛立つことがわかられているようで、彼らはあえて何も言わず、付き従っている。
 レイラは女官と近衛兵を引き連れ、王城を練り歩いていた。式典に出席するためだ。廊下を歩くレイラに、臣下は道を譲り、静かに頭を下げる。あからさまな媚びの言葉で道をふさがれるのを、レイラは嫌う。それなら沈黙してくれた方がマシだ。
 だからレイラが歩くとき、そこは静かになる。せいぜい靴音と布のこすれる音と、庭から聞こえる鳥の声だ。
 そんないつものレイラの歩行に、
「だれか〜〜、助けてください〜〜」
 と、情けない声が聞こえてきた。
 レイラたちは周囲を見回す。ドンドン、と隣の扉が叩かれて、そこからの声だとわかった。そこは図書室だった。
 レイラは扉のノブに手をかける。しかし、開かない。
「おい、どうしたんだ?」
「あ! やっと、やっと人が……! 閉じこめられているんです! 私がいるのに、いないと間違えて鍵をかけられたようで、昨日の夜からここにいるんです!」
 なんとも珍しい事件であった。
 レイラは近衛兵に、鍵を取りに行かせた。
「身体の方は大丈夫か?」
「はい。お腹が空いているだけです」
「そうか。ここから出たら、腹一杯食べさせてやる。何がいい? 豚の丸焼きか、魚のシチューか、何でも言っていいぞ」
 レイラはとても優しくなれた。監禁のときを思い出したからだ。食事に文句を言うことを許されなかった一年間。その後解放され、自分の好きなものを食べられるようになったとき、万感の思いが押し寄せた。
 そのときとは違う状況だが、何となく、この閉じこめられた男に親近感を持った。
「魚のシチュー……おいしそうですね……」
 男のうっとりした声が聞こえる。
 微笑みながら後ろにいた女官のマガリに、魚のシチューを用意させるよう手配させる。ほぼ同時に、近衛兵が鍵を持ってきた。
 レイラは自ら鍵を回した。
 そこから現れたのは、イーサー=イルヤス。目をみはり、
「え、陛下!?」
 と、驚いて、頭を下げた。
 レイラの驚きようは、彼の比ではなかった。会うとは思ってなかったのだ。二歩、たたらを踏むようにして、後ろに下がった。
 顔をこわばらせて、その場から立ち去ろうとすると、急に、ぐきゅるるる、という音が聞こえてきた。彼の腹からだった。
「あ、えと、……すみません」
 何を謝っているのか知らないが、彼は居たたまれなさそうに謝る。
 レイラは内心の逆巻く感情を抑え、約束通り、彼に食事を取らせることにした。


 イーサーが食事を取ってる間に、レイラは知った。
 出会いのあの些細な事件が原因で、イーサーは王城から総スカンを食らっていると。閉じこめられたのも、嫌がらせの一種だったようだ。
 個人的な好悪にすぎないことは、王城に広がりを見せてしまった。レイラは王という立場の重みを知った。王に、『個人的』なんてことは許されないということだ。
 そういえば、先王の時代、エミリアンがアスパラガスが嫌いだと言った翌日から、城下でアスパラガスの取引量が大幅に減少したという笑えない話があった。
 一挙手一投足は、国を動かす。軽はずみな行動は許されない。
 しかも、誰も引き止めることはない。間違ったことをしても、きっと誰も止めない。臣下たちは『御意』とうなずいておきながら、影では王の資質を量っている。そしてもし、たやすい王だと判断されれば、臣下たちは王を操ろうとするだろう。
 弱みは見せてはならない。絶対なる王には、弱みは存在してはならない。レイラは、かつての父の背中を思い出す。父があれほどまでにすばらしさだけを見せるのは、どれほどの苦労があったのだろうか。
 特に、レイラには片翼がない。いつ何時、破壊衝動によって、国を傾けるかわからない。それは死へと繋がる。
 個人的な好悪を捨て、王として立たなければならないのだ。
 レイラは苦渋の決断すると、イーサーの元へ向かった。

 城内の一室で、ちょうどイーサーは大皿に盛りつけられた魚のシチューをたいらげたところだった。
 満腹で幸せそうな彼は、レイラの姿を認めると、立ち上がる。
 レイラはテーブルに並べられていた椅子のひとつを取り、それを窓に向けて置いた。その椅子に座り、窓からの景色を見る。
「……今更になったが、我が国の財務状況をどう捉えているか、さらにはそれをどうしてゆくべきか、忌憚ない意見を直接聞きたい」
 すでに人を介して聞いていたが、間に人を挟むのと、直接聞くのとでは違う。本当は、やって来た当日に聞く予定のことだった。
「は、はい。それはいいのですが……」
 彼は語尾を濁す。レイラが窓に向いていることを不思議がっているのだろう。
 先ほどのことを考えても、声だけならば問題はないのだ。問題は顔。それさえ見なければ、多分大丈夫。
 それをイーサーに説明するには、過去のことをつまびらかにしなければならない。それは嫌であったし、これこそ『個人的』なことだ。この男にも関係ない。人に言う必要もない。
「……少し、景色を見ながら話を聞きたいんだ。構わず話してくれ」
 レイラは雲がたなびく空と、その下に広がる庭を眺め見た。
 それからよどみなく聞こえてくる彼の声に、耳をそばだてる。よく通るいい声だと思った。

 空が紅色に染まるまで、二人の話は続いた。財務というのは、政策のどこに重点を置き金をかけるか、ということにも繋がる。政策論争を戦わせているうちに、時間が経ってしまった。
「――今日はここらで十分だろう。ありがとう。財務顧問の考えは、よくわかった」
 財務だけに詳しいのかと思いきや、彼は政治家でもあった。国内の各方面への知識があり、外交にも精通している。政策には芯が通って、なるほどと思わされる。もう少し話を聞いていたいくらいだ。
 彼は昔は騎士になりたかったのだという。男の子なら誰しも一度は憧れるのだとか。
『でも私には騎士としての能力はなくて。こうやって財務や政治について勉強し始めたのは、自分の得意なもので何かの役に立てればと思ったのが始まりなんです。自分の力で何かを良い方向に変えたくて。今回、財務顧問として働くのを承ったのも――家庭の事情も理由ですが――そのことを思い出して』
 眩しいようなその理由に、真意を疑いたくなるくらいだった。後のことになるけれど、その信念は真実だったらしい。珍しいほどに若く、理想主義的な政治家だった。
 彼の立ち上がる音がし、頭を下げる間があった。
「ありがとうございます。私も、陛下と直接話をさせていただいて、嬉しかったです」
 ……少しくらいなら、顔を見てもいいかもしれないと思った。
 このままろくに顔を合わせないと、また嫌っているだとかややこしいことになる気がする。礼儀を考えても、このまま窓を見続けるわけにはいかないだろう。
 レイラは肘掛けに力を入れ、立ち上がる。
 そして勇気を振り絞り、彼へ顔を向けた。
 やはり、衝撃がある。過去が逆流する。
 違うところ、違うところを探すんだ。
 イーサーの髪は透き通る青銀の色で、さらりと流れている。瞳は蒼で、きれいな目だ。背はとても高い。普通に生活していても頭をぶつけたりしているのだろうな。
 そして何より、中身が違う。言葉遣いは礼儀正しくへりくだるものの、大切なことは曲げない。どこか眩しい。
 光の中で生きてきたのだろうと、何となくわかる。苦労がなかったとは言わないが、きれい事を許容される場所で生きてきているはずだ。それとも、そのきれい事を自身で押し通してきたのだろうか。妙な頑固さを考えると、それもあり得る。
「あ、あの陛下……」
 イーサーはどこかもじもじとしてうつむいている。
「そそそ、そんなに見つめられると……」
「あ、ああ。すまない」
 いけない。逆にこれでは無礼だ。
 レイラは椅子に手をかけ、それを窓際からテーブル前の元の場所に戻した。
「今日はありがとう。……それと、これまですまなかった。全部私の誤解のせいだったというのに、苦労をかけた。何とかしておくから、これからもここにいてほしい」
「いえ、陛下のせいでは。……もちろん、ここにいます」
 そうか、と言って、レイラはようやく彼に、笑いかけられた。ようやく意識の中で、イーサーとグレゴワールが分離してきた。
 イーサーは顔を赤くした。
「……どうした? 熱でもあるのか? 医者を呼ぼうか?」
 レイラが心配して女官に声をかけようとすると、イーサーは顔をぶんぶんと横に振る。
「いやあの、へ、陛下がお美しい顔で笑いかけてくださったから……」
 レイラはぽかんとした。
 ああ、お世辞か。
「世辞なんていい。そういう媚びは嫌いなんだ」
 レイラは苦笑する。
「いいえ! 媚びとかお世辞とかではなく、本気です! 本当に、美しい人だと、初めて見たときから、思ってました」
 イーサーの蒼い眼は澄んでいた。
 レイラは心がざわついて、思わず信じそうになる。浮かれてしまうような、胸がうずくような。こんな気持ちになったのは、初めてだった。




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