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翼なき竜


 27. 未来の夢(2)


 フォートリエ騎士団の兵舎の近くにお屋敷があった。白塗りの立派な屋敷に、レイラが住んでいた。
 休日の昼間にもかかわらず、庭でレイラは剣を振って、鍛錬をしている。年頃の娘らしく周囲の可憐な花々を愛でることもなく、まっすぐ剣を振る。
「298、299、300……!」
 振るたびに汗を飛び散らせた。レイラは一息つくため、ベンチに座る。
 横にいるマガリから布を差し出される。それを受け取り、レイラは顔の汗をぬぐった。
 冷たい飲み物も手渡しながら、マガリは尋ねる。
「そんなに必死に訓練しなくても良いのでは?」
「訓練しなきゃ強くなれない」
「今でも十分お強いと思いますが……」
 レイラは下っ端の騎士を本気で倒せるようにはなってきた。しかし、手を抜いているのかいないのか、本当に本気で戦ってくれたのか、疑えばきりがない。
 その点、ブッフェンだけは違う。あいつだけは手を抜くことはないはず。そして強い。騎士団の中でも一目置かれ、次期騎士団長になるのは間違いなしとまで言われている。
 彼を倒せば、確実に自分は強いことになる。
 汗を拭いて、再び訓練を始めようとしたレイラの前に、ずずいと女官が立った。
「だめですよ、王女様。昼食の時間ですっ!」
 目の前に立つのは、レイラより背の低い少女だった。黒髪をきっちりと結い上げ、落ち着いた色合いのドレスを着ている。
 名はリリトという。レイラの世話をするために仕えている女官で、ほとんど同じくらいの年齢だ。一見、年よりも上に見える姿なのだが、中身は年相応だ。
「お食事が冷めちゃいます! 剣を振るのはあとです、あと!」
 元気にレイラの手を引くリリト。
「お、おい。私はまだ訓練の途中で……」
「そんなの食べた後でもできるでしょう? 今日はおいしい春キャベツのスープがあるんですから、冷めたら損ですよ!」
「…………」
 リリトは変わった女官だった。働き者で元気よく動いていたが、レイラを何度も振り回していた。しかしそれらはレイラを思っての行動ばかり。レイラは嫌いではない。それどころか好ましいとさえ思っていた。

 食堂で、その春キャベツのスープを食べていると、来訪者が現れた。
 食堂に通したその男は、竜の鱗でできた鎧をまとった、いかにも厳格な騎士だった。無表情な男は、ひざまずいて名乗る。
「アンリ=デュ=コロワと申します。竜騎士団に在籍している者です」
「……デュ=コロワ……西の領主か」
 竜騎士団の騎士というよりも、西方の領主という方がよく知られている。
「で、デュ=コロワ。私に何の用だ?」
 レイラの目は冷ややかだった。
 会いに来る貴族というもので、最近ろくな話がなかった。貴族の格を上げさせてくれとワイロを寄越したりだとか、王族になりたいばかりの婚約の申し入れだとか。
「殿下!」
「なんだ」
 デュ=コロワは細い目を精一杯開け、レイラの手をがっちりつかんだ。レイラは面食らう。デュ=コロワは頬を染めそうなほどに照れながら、
「……殿下の竜を見せて欲しい」
 と言った。
 初対面でこんなことを言ってくる変人は、初めてだった。

 ギャンダルディスは後宮からレイラと一緒にやってきて、館の厩舎に入れられていた。もちろんロルの粉、チキッタの花は常備されている。外から見えるようにいると周辺住人が驚くから、外に連れ出し散歩をさせるのは夜だけだ。
 粉を振りかけたデュ=コロワは、子どものように目をきらきらさせ、ギャンダルディスを見て、観察している。あまつさえ触ったり測ったりしている。
『ねえ……これ、なんとかならないの?』
 べたべたされて暑苦しいのか、うんざりするようにギャンダルディスが言った。レイラは苦笑する。
「あとちょっとだ」
 デュ=コロワが振り向いた。
「? 何があとちょっとですか?」
「いや、何でもない。……そろそろギーはお昼寝の時間なので、ゆっくり休ませてやってくれないか?」
 竜の巨大な前足を持ち上げようとしていたデュ=コロワは、とても残念そうに下ろした。

 厩舎を出ると、狭い放牧地がある。牛や羊の放牧地のように見えるが、ギャンダルディスのための場所だ。
 柵に沿ってレイラがデュ=コロワと歩いていると、ちょうど柵の外の道を走る男がいた。
「あれ、アンリじゃねえか」
 汗の玉をたくさん浮かばせているのは、レイラの天敵、ブッフェンだった。
 デュ=コロワは口を曲げ、思いっきり顔をしかめている。
「……ブッフェン。こんなところで会うとはな」
「こんなところでたぁなんだ。お前がこっち来たんだろ。……て、おやおやおや、王女殿下」
 ブッフェンは、デュ=コロワの陰に隠れていたレイラを見た。
 レイラはきっと睨む。
「ブッフェン……ここで会ったも何かの縁。勝負だ!」
 レイラは剣を突きつける。
 ブッフェンはにやりと笑い、腰にある剣に手をかける。
「手加減しないぜ?」
 おいちょっと待て、とのデュ=コロワの制止も聞かず、二人は戦い始めた。


 そのときの勝負はブッフェンが勝利したが、その一年後、レイラはようやく勝ちを得た。
 それは何百回とやった試合のうちのひとつだったが、大きな意味のある一勝でもあった。ブッフェンはもうすぐフォートリエ騎士団長となることが決まっていた。その男に勝つということは、確実な己の強さを知ることとなった。
 レイラとブッフェンはその日の夜、騎士団のみんなで飲み屋に行った。
 酒を頼んで、レイラは満面の笑みを浮かべた。
「今日は人生最良の日だ! 戦勝会だ、おごってやるぞ!」
 騎士団員から歓声が上がる。
「……わたしにとっちゃ、残念会だがね」
 肩肘をついて、むすっとして面白くなさそうな顔をする目の前のブッフェンに、レイラは大声で笑う。
「さんざん罵倒してくれたな。今日は敗北の味を思い知れ」
「うっせえな。アドバイスだってしてやっただろうが。恩を忘れやがって」
「こうして今、酒をおごってやってるんじゃないか。あ、アドバイスしてやろうか? 左の守りが弱いんだよ」
「てめえ……」
 勝者の余裕を見せて言うレイラに、ブッフェンはこめかみに血管を浮かべている。
 大量の酒とつまみが運ばれてきた。レイラはワインが好きだが、今日はたくさん呑むのが主眼なので、麦酒だ。騎士団にいる連中は、騒いで呑み始めた。
 何度も何度も戦っているうちに、レイラとブッフェンは仲が良くなった。他の騎士団員とも。
 負けるたびに腹立ちと戦意を湧かせられ、ブッフェンのことが嫌いだった。が、ブッフェンもまた最初はレイラのように弱く、努力して強さを手に入れた、ということをデュ=コロワから聞かされて、嫌いという感情は消えた。
 デュ=コロワとブッフェンは、違う騎士団所属ながら、いろいろと縁があるようだ。腐れ縁みたいなものらしい。
 そういえば、とレイラは思い出した。
「そうだ。デュ=コロワの恋愛関係って知ってるか?」
 やけ酒をあおっているブッフェンは、不可解そうな顔をする。
「アンリの? なんでまた」
「デュ=コロワの家で、あいつの結婚話が持ち上がっているらしい。けれど、ことごとく蹴っているそうだ。あいつは当主だし、家の者も困っているそうだ。私はデュ=コロワの家の者に泣きつかれてな。どうにかしてくれ、と」
「ふうん。あいつぁ結婚しないぜ、多分」
「どうして?」
 身分違いの恋で悩んでいるというのなら、王女という身分から、協力してやりたいが。
「あいつぁ人間嫌いだから」
「……人間嫌い?」
 ブッフェンは肴に手をつける。
「そう。人間と結婚するくらいなら、竜とでも結婚しそうな勢いだろ。異常なほどに人間よりも竜に興味がいっちまってる。そういうのは、なんかあって、人間が嫌いになったからじゃねえの?」
 レイラはデュ=コロワの家のことを思い出した。アンリ=デュ=コロワが当主となったとき、それはそれは醜いお家争いがあったという。デュ=コロワ自身は幼くて見ているだけだったという。
「……なるほどな」
 そういう争いは人間の嫌なところを露わにする。嫌気がさして、人間への興味を竜への興味に変えてしまったというわけか。
「そこそこの社会的常識を持って、それなりの付き合いはしているようだが、私的な部分に誰かを入れることはねえんじゃねえかな」
 聡いな、と思った。
 腐れ縁とはいえ、よく内実をわかっているようだ。
 ブッフェンは他人の中身をよく理解する男だった。喧嘩をふっかけるような言動さえなければ、人に慕われるだろう。いや、そうしなくても、ブッフェンは騎士団で親しまれ、信用されていた。相談を受けているのも、よく見ている。
 騎士団長となっても、うまくやっていけることだろう。
「そうだ、ブッフェン、お前の恋愛関係ってどうなんだ? 全然聞いたことないな」
 ブッフェンは、ばかにした風に見て、手を振る。
「女って好きだねぇ、そういう話題」
「なんだ、照れてるのか?」
「そんなんじゃねえよ」
「みんなには秘密にしてやるから」
 小声でささやく。ちらりと周囲を見るが、みな酒におぼれて、ブッフェンとレイラの会話なんて聞いてない。
 ブッフェンは首の裏を掻きながら、
「……婚約者がいる」
 と言った。
「へええ。どこの誰だ?」
「……生まれた村んとこにいる。時々村に帰ったとき会うが、身体が弱くて、いつも寝てる」
 ブッフェンは重く話していて、楽しそうではなかった。
「いつ結婚するとかは、決まってないのか?」
「……できるだけ先延ばししてぇところだな」
 レイラは麦酒に口をつける。
「…………。嫌、なのか?」
「……そういうわけじゃねえ……いや、そういうことになんのかね……」
 ぶつぶつと言っていたが、一杯分酒を飲み終えてから、ブッフェンはどこかを見つめる。
「怖い」
 短く、彼はそう言った。
「……彼女の病気が?」
「いや。死なれるのが」
 酒を新たに頼まず、ブッフェンはつまみを口に入れる。
「何度も死にかけてるからな、あいつは。……結婚して……毎日外で働いて、家であいつが死んでないかと心配しながらやっていけるほど、俺ぁ強くねえんだわ」
 強いと思っていた男の弱みだった。
「半端な気持ちで結婚したくねえんだよ。あいつの病気が治るか、俺が強くなるかしたとき、あいつがまだ待っていてくれるなら、したいところだな」
 その日が来ればいいと、心から思う。ブッフェンは責任感があるから、妥協しないだろう。
 がしがしとブッフェンは頭を掻く。
「そういうお前はどうなんだよ! 人に話振っておいて、お前は」
「私?」
 レイラは酒を頼んで、少し考えた。
「別に、何もないな」
「何もぉ?」
「そうだな。もしかしたら父上から誰かとの婚約の話があれば、その人と結婚するかもしれない。ギョーム叔父上が王となれば、私は尼にさせられるかもしれない。私が女王となれば、誰かと政略結婚するかもしれない」
 指を折りながら、レイラはこれからの未来の予測をたてた。
 未来の選択肢はこれくらいだろう、多分。
「つまんねえなあ。現実を見過ぎじゃねえか。道から外れることってねえのかよ」
 奔放なように見えて、芯のところは臆病で自由なことは選べない。
 以前、ブッフェンからそう評された。
 言われたときは怒ったものだが、今、そうかもしれない、と思う。
 子どものときから、女王になりたいと思った。しかしそれは、自由意思だったのだろうか、と考えるようになった。
 そこに女王への道があったから、選んだだけの気がする。
 たとえばブッフェンのように平民の出であれば、自分はそのまま親の言うことを聞いて一生を過ごしそうだ。ブッフェンのように、騎士になるなんて考えもしなかっただろう。ましてや女王なんて。
「……王城に帰るのは、いつだ?」
 ブッフェンは麦酒で赤くなった顔で訊いてきた。
「明日だ」
 父・エミリアンが倒れたと報告を受けた。国王である父が倒れたことは、王位継承争いを大きく揺らした。
 もちろん、病床の父にも会いたい。
 が、王位継承のため、権力の地盤を築かなければならない。それは騎士団の退団を意味する。
 この騎士団にいた間、レイラは強さを求め、騎士団の仲間たちと交流を深めてきた。王位、政治のことを忘れて。もともと王位継承のために必要だと思って来たのに、今、ここをとてつもなく惜しむ気持ちがある。
 それに、この先に何かひどい落とし穴が待ちかまえているような、悪寒を感じる。
「ま、永久の別れってわけじゃねえでしょ。また酒でも呑もうや」
 ブッフェンは新たに頼んだ麦酒で満杯のジョッキを上げる。
 レイラは考え込んで沈んだ顔をほぐし、ジョッキを上げた。
「ああ」
 二つのジョッキがぶつかり、麦酒がこぼれた。
 ブッフェンとの関係は不思議だった。騎士団の連中には、レイラとブッフェンが付き合ってる、なんて誤解をする人もいた。
 しかし実際のところ、二人の間に恋愛関係はまったくなかった。そこにあるのは、戦友や、悪友といった言葉が似合うもの。
 似すぎているのだと、レイラは思う。
 恋愛関係の相手として、二人とも、安らぎを求めていた。己に強さと戦いを望んでも、相手にそれを求める人間ではなかった。
 レイラは今のところ、強いてその安らぎを与えてくれる場所を求めるほど、ギリギリのところに自分を置いてはいない。自分がその『安らぎ』を強く希求する精神状態は、どんなものだろうかと思う。あまりいいものとは思えない。
 ただ他人としてブッフェンを見ると、いつか彼は結婚するだろうと思う。強さと戦いを求め、それに付随する死に近づけば近づくほど。
 自分はどうだろうか。もし女王になり、何でもできる生活を送れば、政治とは関係なく誰かを求めたりなんてするだろうか。求めるとすれば、それは誰となるだろう。


 王城に帰ったレイラは、貴族達の間を縫うようにして動き始めた。
 そしてあるとき、護衛の騎士と女官たちを連れ、西のとある領地に向かった。
 出発する前は何の意味もなさなかった、ただ通り過ぎるだけのはずだった領地・ガロワが、その後の人生で大きな意味をなす場所になることを、レイラは知らなかった。




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