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翼なき竜


 26. 未来の夢(1)


 後に女王となるレイラには二人と一匹の親がいた。
 一人は、東方出身の、たぐいまれなる美女と謳われた人だった。レイラが物心つく前に亡くなり、イメージしかない。
 二人目の親というのは、国王であるエミリアンであった。
 レイラは父のことが好きだった。エミリアンはレイラをかわいがり、その立派な勇姿、国王としての素晴らしいところをいくつも見せた。
 幼い頃は発言権はなかったが、閣僚会議にも出席して、政治の舞台を知った。
 父の決断で、全てが決まる政治。父の決断で、救われる人々。父の決断で、動いていく国。
 それらは讃美される。望まれる。嬉しがられる。踊り称えられる。歌い称えられる。
 『王は神だ』と父は言う。みながそれにうなずき、にこやかな顔をする。
 太陽のような父は、他の星の光を打ち消すほどに輝く。
 レイラは父のようになりたいと思った。父のように慕われる、立派な君主となりたいと。
 エミリアンの背はいつだって輝いて見えたから。立派で、威厳に溢れ、愛情豊かだ。
 幼少期のレイラは単純に、大人になればきっとそうなれる、と信じていた。


 最後の一匹の親というのは、竜のギャンダルディスであった。
 竜は牢獄のように閉じこめられた場所から、レイラに助言と知識を教える。厩舎の鉄の部屋に、竜は捕らえられている。
 外で会えるのは竜狩りに行くときくらいで、ほとんど外には出せない。みんなが竜に驚き怖がるからだ。ちゃんとロルの粉を振りかければ、取って食いはしないのに。
『レイラ、女王になるだけが人生じゃないさ』
 台の上に乗って隙間から見るレイラに、ギャンダルディスは青い眼で見上げる。
「王になることより良い人生なんてないに決まってる。父上のように立派で優れた王様になりたいのが、悪い? 国民だってそういう王様なら喜ぶはずだ」
 今の父が、国民から慕われているように。
 立派ですばらしい王となれば、悪いことなどないだろう。レイラは嬉しい、国民も嬉しいはずだ。国民が嬉しがれば、レイラはもっとがんばるだろう。そしてもっと国民は幸せになってくれて、嬉しがってくれるはず。そこには平和な循環がある。
『エミリアンのような……ね』
 竜の冷めた口調に、レイラはむっとする。
 ギャンダルディスはいつもそうだ。
 他の人は父のことを褒め称えるというのに、この竜は、本当にそうかな、とでも言いたげな斜に構えた態度を取るのだ。
 だけどギャンダルディスは特に強く否定するわけではなく、適当に皮肉じみた態度を取るだけで、話題を変換する。
 今回もそうだった。
『まあいいや。……ねえレイラ。レイラもそろそろ大きくなって、女王になりたいとか将来の話をするようになったから、言っておくね』
 大きくなって、なんて言われるとレイラは笑いそうになった。ギャンダルディスの人間型の幻影を見たことがあるが、同じくらいの年頃の子どもだった。何百年も生きているらしいが、竜としてはまだまだ子どもらしいのだ。
 同じ子どもが何を偉ぶって、と思って少し笑った。
 ギャンダルディスはそんな笑いとは不釣合いなまじめな顔をしてレイラをじっと見ている。だからすぐに笑いをやめた。
 いくら人間の年齢に直すと子どもだからって、レイラにとって親同然ということには変わりない。ギャンダルディスがまじめな顔で話をしようするときに、レイラも黙ってまじめな顔をする。
『レイラ、忘れないで。君は公平でいなければいけないっていうこと』
「公平?」
 ふと父の言葉を思い出した。王は公平でなければいけない、ということ。
『そう。君は人間の子として生まれたけれど、半分は竜なんだ。僕とこうして話ができたりロルの粉なしで近づけたりできるのは、その半分の血のおかげってこと、わかるでしょう?』
「……うん」
 レイラがそういったことができると言っても、本気で信じてくれる人は少ない。
 しかし実際にレイラは普通の人にはできないことができる。自分が竜でもあるということはすんなりレイラの頭に入っていた。
『君は人間でもあり、竜でもある。だから、人間のためだけを考えてはいけない。竜のことも考えなくちゃいけないんだ』
「なんだ、そんなことか」
 レイラは軽く笑った。
 ギャンダルディスと話すことで、レイラは竜とも親しくしていた。
 たまに竜をただの家畜だとか武器にすぎないと見下す人がいるが、レイラはそんなことは考えない。
 竜というものに親しみを覚えながら、その知識は尊いものだということも理解している。確かにロルの粉がなければ人間を自動的に襲ってしまう本能を持つが、それは竜自身にはどうしようもないことで、本来竜というものは平和を愛し、同族間での争いを決して起こさない。
 人間にだって長所があり、短所がある。
 レイラは人間より竜を軽んじたりはすることはない。同じ生き物なのだと承知している。
 公平でいろ、とはそういうことなのだろう、とレイラは理解した。父の言葉も思い出す。王である条件に、公平ということがあるなら、それを守ろう。
 ギャンダルディスは不安げなまなざしを向ける。
『公平であるというのは難しいんだよ。思った以上にね』
「大丈夫。私は人間も竜も好きだ」
 もし人間が倒れていたなら、当然助ける。もし竜が倒れていても、助ける。
 他の人間なら竜を助けることはしないだろうけれど、レイラは竜のことをよく知り、親しみを持っているから。
『……そう。どんなときも忘れないで。君はいつでも、人間の一員であるけれど竜の一員でもあるということを』
 ギャンダルディスはそう言い含めた。


 レイラが女王となる上で、最も障害となるのが叔父であるギョームということは、子どものときからよくわかっていた。
 ギョームはエミリアンと兄弟でありながら、その国王と似たところは少なかった。
 ぎょろっとした丸い目はよく動き、背骨はせむしのように曲がっている。
「兄上、レイラを次期国王とするのはどうかと思いますね」
 後宮でレイラと話しているエミリアンに向かい、ギョームは忠言した。
「なぜだ」
「レイラは後宮を出たことがないでしょう。そういう人間がこの広いブレンハールを治めるには、見識が狭すぎます。それに力もない」
 ギョームはレイラを見下ろした。それは文字通りでもあり、軽んじているような目でもあった。
 確かにレイラは後宮で育ち、外のことなんてほとんど知らない。世間知らずだと言われても仕方がない。
 しかし、王座をめぐる争いの中、まだ若いから仕方ない、なんて言い訳が通じる世界でもない。
「ふむ、確かに」
 威厳あふれる声で、エミリアンがうなずく。
 レイラは焦った。現国王である父の肯定は、とても大きい意味があった。
「ち、父上」
 レイラは思わず呼んだ。そして言っていた。
「ギョーム叔父上のおっしゃることはもっともだと思います。私も以前から考えていました。世間を知るため、外に出ようかと」
「外へ出る?」
「はい。……騎士団へ、フォートリエ騎士団へ入団しようかと。あの騎士団は完全な実力主義の場所。国王陛下の娘たるもの、力も必要でしょう。私はそこで、強くなってきます」
 その場で思いついたことであったが、エミリアンは興味深そうに娘を見やった。
「なるほど。あちらは荒っぽい。世間を知るのに良いかもしれぬな。――レイラ、王族たるもの、二言はないな? 強さを得ずして帰ろうものなら……」
 その後に続くであろう言葉に戦慄を覚えながら、レイラはうなずくしかなかった。
 女王になるため、父の信任を得ることは絶対不可欠である。
「果たして、後宮育ちの方が耐えられるでしょうかなあ」
 ギョームが意地の悪い顔でレイラを下瞰する。レイラは口の端を上げ、笑いかけるようにして、彼の視線に立ち向かった。



「すばらしいです、王女殿下!」
「お強い!」
 レイラが相手を倒したと同時に、拍手と讃美の嵐が巻き起こった。
 フォートリエ騎士団は、国内で最強の騎士団だ。来る前はかなりの覚悟を決めて訓練も積んできたのだが、実際試合をして、拍子抜けした。
 誰でも簡単に勝ててしまう。
 レイラは剣を持ち替えて、自身の右頬に触れる。
 『泰平を築く覇者』というのは、竜の血を半分受け継いでいる。その影響か、他の人間より少し強くできているのだと、ギャンダルディスに聞いた。
 きりきりと胃に痛みを感じるほどの圧迫感をもってここに来たが、強くなって帰る、というのは簡単に達成できそうだ。
 練習用の剣をしまおうとしたら、人混みの中から焦げ茶色の髪の男が現れた。周囲はその男と距離を開ける。
 にやにやしたその男は、レイラを真正面から見て、挑戦状をたたきつけた。
「お強い王女殿下、わたしと一試合してもらってもよろしいですかね?」
 何となくその笑い方が気に食わなかった。まるで見下されているようだ。
 周囲の人間も、「やめろ、ブッフェン」とその男を止めている。その男がブッフェンという名だと、そのとき知った。
「お強いと言われていたではありませんか。わたしとは戦えない?」
「……わかった」
 練習場の丘で、レイラとブッフェンは戦うことになった。
 フォートリエ騎士団が鍛錬の場に使う丘は、由緒正しき教会がかつて建てられていたという神聖な場所だ。
 レイラは背筋をぴんと伸ばし、相手をにらみ上げる。
 そして先手必勝とばかりにブッフェンに立ち向かった。
 上から剣を振り下ろすが、簡単に剣で受け止められた。再び攻撃を仕掛けようとする前に、ブッフェンは受け止めた剣を振り上げ、レイラの剣を浮かせる。
 その隙にブッフェンはレイラの肩口に光速で振り下ろした。
「……っっ!!」
 あまりの痛さに、呼吸が止まる。膝が地面について、しびれて剣を取り落とす。打たれた肩は、まるで骨でも折れているかのようだ。
「弱えなあ」
 その一言を、笑いながらブッフェンは口にした。
 他の騎士たちはレイラの身を案じて、すぐに近寄ってくる。お怪我は、と身体を心配する人たちと、ブッフェンに食ってかかった二派に分かれる。
「ブッフェン! 王女殿下になんてことを!」
 ぎろりとブッフェンはにらんだ。
「フォートリエ騎士団の誇りも失ったのか、てめえらは。地位や生まれは関係ねえ。戦いの実力だけがこの騎士団で意味があるんじゃなかったのか。おべんちゃら使って負けやがって」
 痛みに顔をしかめて座りこむレイラを、ブッフェンは見下す。つまらないものを見るような顔をされ、レイラは『見下される』ことの不快さを強く味わった。
「弱え奴は地面に這いつくばるのが当然だ。弱え奴が、強い強いとおだてられて勘違いして浮かれるのを見るほど、気分悪いことはねえな」
 吐き捨て、ブッフェンは立ち去る。その後を数人の騎士が追ったが、レイラは顔を上げ続けられず、うつむいたままだった。
 恥ずかしさと悔しさ、そして人前で辱められた怒りで、目の前が真っ赤になる。
 頬のあざが熱くなる。他の騎士に慰められれば慰められるほど、みじめになった。
 悔しい。なんだあいつは。何様だ、強いからって――!
 頬はますます熱さを増す。しかしとある瞬間、ふっと頬は急激に冷えた。同時に頭も冷えた。
 『泰平を築く覇者』として生まれてから、よくあることだった。
 激しい怒りや憎しみを抱き、攻撃的な感情におちいることは多い。しかし、度が過ぎるほどに怒りの念が強くなると、何かの力によって、それが静まる。
 ――それが竜の翼の力だよ。
 ギャンダルディスは、そう説明していた。『泰平を築く覇者』は竜の血が濃いせいか、攻撃的な感情を抱きやすい。臨界点を越える間際、翼の力で押さえ込み、冷静にさせるのだ。それによって歴史上、『泰平を築く覇者』は度が過ぎて感情的にはならず、冷静沈着な王が多かったという。
 そして今回も同様に、レイラは冷静になった。
 ブッフェンという男が強いことも、自分が地位によっておだてられただけの弱い存在であることも理解する。ブッフェンという男は正しいことを言っていた。
 しかし、である。
 いけ好かないのには変わりない。
 あいつより強くなってやる。
 レイラは怒りや憎しみではなく、闘志を燃やす。あいつを、完膚無きまでに打ち倒してやる。
 後にレイラが、今では取り戻すことができないと、懐かしく哀しく思うほどにきらきらと輝いた、死も闇の影も形もない、宝石のような時代のことだった。




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