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翼なき竜


 23. 女王の子(6)


 身体全体が重かった。どこも動かす気になれない。
 そのままじっとしていると、どこからか声が聞こえる。
 力を入れ、まぶたを押し上げた。
 すると刺すような光が飛び込んできて、思わずまばたきを繰り返した。
「イーサー! おお、目を開けたぞ! イーサー、わかるか、父さんだぞ」
 視界に、父の顔が飛び込んでくる。ふっくらとした父の顔は、近づきすぎると暑苦しい。
 父は泣いていた。鼻水を垂らして、わんわんと泣いていた。
 医者がすぐさまやってきて、宰相に質問を投げる。意識はありますか、痛いところは、と。
 体中が痛かった。首を上げると、身体は包帯だらけになっていた。
 しかし意識も記憶もちゃんとある。
 べそをかきながら父が説明する。
「よかった、よかったな。食べられたお前を、女王陛下が助けてくださったんだぞ。竜の口の中に剣を押し込み噛ませないようにして、お前を助けてくださったんだ。もう一週間もお前は眠っていたんだぞ」
 聞く内に、助かったのか、ということがおぼろげながらわかってきた。それに、ここが自分の館の、自分の寝室だということも。
 いつまでも「よかった、よかった」と言っていた父は、ふと扉の方へ目を向ける。
 扉は開いていた。
 そこから顔だけが覗いている。……ぱっと明るくなった女王の。
 …………。
「陛下!?」
 起き上がろうとして、雷が通り抜けたような激痛が走った。
「……っ!!」
「起きるな、まだ全然回復していないんだから……」
 ベッドに沈み込むと、女王が慌てて駆け寄ってくる。
「……本当に、よかった。……うん」
 穏やかな彼女の頬には、片翼の竜がいた。消えたはずの片翼が、戻っている……。
「ごめんなさい。私のせいで……」
 陛下のせいでは、と言いたかったけれど、舌がもつれた。
「無茶をしないでくれ。自分の命を大切にしてくれ。お前が死んだら、私はどうしたらいいんだ」
 女王は宰相の髪を優しく撫でる。
「宰相と話をしても、構わないかな?」
 振り返った女王の言葉に、泣きべそをかいたままの父と医者はうなずいて、部屋を出て行った。

 女王は近くにあった椅子を引き寄せた。
「さて……あまり無理をさせたくないから、手短にしようか」
 宰相は首を横に振る。
「しっかりと、お話を聞かせてください。あれからどうなったのですか?」
 さまざまな疑問がある。それらの答えを聞かせてほしい。
「……まず、あの後、私と近衛兵たちが力を合わせてギーの口を開けさせ、すぐに医者を呼んで、治療させたんだ。骨折がひどいから、あまり動かないようにな」
「どうして……竜が襲ってきたのでしょう……」
 チキッタの花は食べさせたはずなのだ。しかも、『泰平を築く覇者』である女王を狙うとは、考えられないことだった。
 女王は視線を逸らした。
「……錯乱でもしたんじゃないかな。調査中だ。……あと、ナタンは死んだ。他に近衛兵を襲った奴らは、三人死んで、五人捕縛した。奴らを取り調べた結果、吐いたよ。叔父のギョームが絡んでいた」
 宰相は目を見開く。
 北の塔に幽閉されているギョームが。
「幽閉されて、どうやって」
「ギョーム派の貴族が力を貸したらしい。動機はわかりやすいな。私を殺し、ギョーム自身が王位を奪取するか、もしくはあのレミーという子を使って王権を得るか、だ。どちらにせよレミーとの謁見のとき、私の命を狙う計画だった」
 女王は疲れたため息をついた。
「どう、しますか」
「どうするも何もない。このまま生かしても妙なことを考えるだけだ。処刑しかあるまい」
 確かに、情状酌量の余地はない。そもそも女王を一年監禁させた男だ。叔父という関係を差っ引いても、処刑されて当然だった。それを幽閉されるに留めただけの恩情を忘れ王を狙うとは、もはや彼を生かす理由はない。
「それから……レミーのことだが、王族詐称、さらに女王謀殺未遂に関わったとして、死刑だ」
 宰相は息を呑んだ。
 あの子どもは、女王を前にして緊張しているただの少年だった。緊張と期待の入り交じったガラスのような目で、彼女を見上げていた。孤児であった少年が自分の親と初対面するとき、こういった表情をするのだろうな、と想像したとおりの。
 ナタンに人質にされたとき、レミーは驚愕していた。とても、計画と関わっていたとは思えない。
 ただし、王を弑逆することは、その謀殺計画に加わることは、たとえ故意でなくても大罪となる。
 今回の事件は、レミーを囮にしたものだった。そのレミーを何もなく解放、というのは難しいだろうが……。
 レミーの顔を思い浮かべて暗くなる宰相に、女王はにこりと笑った。
「表向きは、だよ。本当はブッフェンのところに養子に行ったんだ。あいつの奥さんは病弱だそうで、どこかから養子がほしかったらしい。ブッフェンは意外と人の面倒を見るのが好きなんだ。レミーは難しいところがあるだろうけれど、ちゃんと育ててくれる」
 あからさまに、ほっと息をついてしまった。
 息をつくと、疑問がやはり残った。竜に襲われる直前にも思ったこと。
 レミーが女王の子でないなら誰の子なのか。それがどうして女王の子ということになったのか。
 宰相の疑問を感じ取ったのか、女王は椅子を座り直し、足の上で手を組む。
「七年前の話をしようか」
 トーンを下げた声で、花瓶に視線を向けながら話し始めた。

「ガロワ城に入城した直後に、私はリリトと共に監禁されることになった。最初はマガリたちや他の女官のように疑ったよ。リリトが裏切ったのか、って。だけどリリトは本当に知らなかったようだった。彼女は私以上に焦って、解放させるために動いた。私は完全な監禁状態だったけれど、リリトはほんの少しだけ自由があったから、グレゴワールと何度も話をしたようだった」
 女王自身は気づいていないようだが、眉が寄せられて、苦みのある表情を作っていた。それはこれを話し始めた直後からだ。
「話しただけでは解放されなかった。泣く、怒る、すがりつく、懇願……私を解放させるために、リリトはありとあらゆることをしたらしい。身を投げ出しさえしたと知ったのは、彼女の妊娠を知ったときだった」
 間があった。
 うつむき加減の女王の睫毛が震える。
「じゃあ……レミーの母親は、リリトさん……」
「そう。顔の形がレミーに似ていたよ。リリトはいい娘だった。あかるくて、しっかりした娘だった」
 彼女は懐かしむような、悲しいような、入り交じった表情を浮かべる。
「……私は何もできなかったよ。一年の間、私ができたことといったら、無理やり書かされた手紙に暗号を混じり込ませることだけだった」
 女王は手の組み方を変える。強く握った。
「リリトを、助けたいと思ったよ。生きて帰りたいと思ったよ。……結局、彼女は死んだけど」
 古参の女官であるマガリが言っていた。陛下はリリトを守るために逃げなかったのだ、と。見張り番の竜は、『泰平を築く覇者』たる女王には意味がなかった。それでも、女王はそこに残った。
 女王は、自身のために妊娠したリリトを見捨てられなかったのだろう。
「リリトはレミーを産んだ。その数時間後に、フォートリエ騎士団を率いてブッフェンが城攻めをし始めた。投石機を使って城は破壊され、燃やされた。その破壊の影響で、ベランジェールの鎖の繋がれていた柱が壊れて……」
「すいません、ベランジェールとは誰です?」
 見張りをしていた竜の名だ、と女王は答えた。
「竜はリリトと、私が抱えていた赤ん坊を狙った。そこにはチキッタの花もロルの粉もなく、対処のしようがなかった。リリトは赤ん坊を庇って、お前のように、竜の前に飛び出した。……悲惨な光景だったよ。人が食べられる光景なんて、あまりにむごい。――なあ宰相、もう二度と、あんなことはしないでくれ」
 女王は宰相に向き直ると、宰相の包帯の巻かれた手の上に、そっと手を重ねた。
「私は見ていられなかった。竜が壊した扉の破片を使って、竜を殺した。……でもね、すでにリリトは死んでいた。……あとは、お前が調べたとおりだよ」
 調べたこと――マガリに子どもを預け、育てさせた。そして、子どもが消えた……。
 赤子はマガリの刺繍した絹に包まれ、女王の王女時代のシールリングを持っていたという。
「……聞きたいのですが、どうしてレミーに陛下のシールリングを与えたのですか? 我が子でないなら、なぜ」
「私の子として育てることも考えていたんだ。そうしたら、母親のことも教えてあげられるかと思って。でも、その前にナタンが盗んでしまった」
「今回の、女王陛下の子だと認めるというのも、同じことですか?」
 女王はうなずきかけて、首を振った。
「迷ったよ。即位してわかったが、王族なんてものになれば、否が応でも平穏な生涯は送れない。けれど私が否定してしまえばレミーは処刑だ。大分、迷ったね」
 結局彼女は、レミーを自分の子だと認めることにした。
 だがしかし、今回の女王謀殺未遂事件が起こった。
 レミーは王家の血を引いていない。
 その少年に、王家の責務を背負わせていいのか、同じように殺されかねない場で育てて良いのか、と女王はさらに悩んだのだという。
「リリトはそんなふうに育ててほしくないだろう、と結論付いた。だから、ブッフェンのところに養子にやったんだよ」
 女王は背を反らし、椅子の背もたれに身体を預けた。大きく伸びをする。
 長く重い話はこれまで、と言わんばかりにあかるい声を出す。
「これで、七年前の話は終わりだ。全部解決したな」
 宰相は、ずっと女王の顔を見ていた。どこを向いているのか、どんな表情をしているのか、それを観察するように。
 そうですね――と言えば、本当に話は終わるのだ。そしてこれから、前と変わらぬ日常が待っている。
 ……あの話を聞いていなければ、宰相はそうしていただろうと思う。
「それで、終わりですか? それが全ての真実ですか……?」
「……何? あと何があるんだ」
 と彼女はうそぶく。
 本当に黙って隠すつもりだったのだ、とわかった。
 小さく息を吸い込んだ。
「私が、グレゴワールと似ている、という話です」
 女王が顔を上げ、宰相と目を合わせる。
 冷えた沈黙があった。
「なっ」
 女王が高い声をあげる。
「何を言うんだ」
 彼女の声は震えていた。
 彼女は気づいていないのだろう。
 七年前の話をし始めたときから、女王は宰相の顔を見ないようにしていた。ついさっき、ようやく顔を向けたのだ。
 七年前の話、その話に女王自身のことはろくに語られなかった。宰相も聞こうとは思わない。
 しかし、グレゴワールと似ていること、それだけは忘れられる話ではない。
 宰相は、彼女との出会いを思い出す。
 そのとき女王はおびえていた。
『やめろ、来るな……!』
 おびえながら、腰にある大剣を抜こうともせず、逃げようとした。
 彼女は、宰相をグレゴワールと重ね合わせていたのだろう。
 顔を見せるたびに、七年前の事件を思い出させていたのだろう。
「似ているのでしょう? 私の顔を見るたびに、嫌なことを思い出していたのでしょう? どうして私を辞めさせなかったのです? 顔も見たくなかったでしょう」
 きっと、近くにいるだけで辛かったのだろう。
 女王という立場から臣下を適材適所で振り当て、イーサーを財務顧問、宰相という地位に任命したものの、苦しかったのだろう。
 それを勝手に告白して、どれだけ迷惑に感じていたのだろう。
「言ってくれればよかったんです。そうすれば私だって宰相という地位に執着するほど、愚かではありません。即座に職を辞して、二度と顔を見せませんでした」
 そうすれば、彼女だって苦しまなかったはずだ。
「そんな、そんなの、私は望んでいない。宰相を辞めてほしくない。……気にしてほしくなかったんだ。何も知らないでいてほしかったんだよ……」
 女王は宰相の手を強く握り、立ち上がる。宰相の顔を見下ろし、悲痛な訴えをする。
 宰相は首を回し、顔を背けた。痛みが走ったが無視する。動く方の片手で顔を覆い、請うた。
「……お願いします。帰ってください」
 息を呑む音が耳に届いた。
 
 
 ぱちりぱちりと、暖炉の火がはぜる。暖炉の中にある小さな火は、かすかに燃えている。
 その前に置かれた椅子に座っている宰相は、冷めた瞳に火を宿していた。
「うお、あっちい! こんな真夏に暖炉……寒いんですか、宰相閣下」
 爺に案内されて、ブッフェンが部屋に現れた。部屋の温度に顔をしかめ、手で煽いでいる。
「……何の用ですか」
 自分でも驚くほど冷たい声音だった。
「見舞いですよ。女王陛下が回復したと思ったら、今度は宰相。災難でしたねえ、ま、とにかく生きててよかった」
 ブッフェンはおもむろに近寄ると、宰相の額に手を当てた。
「熱はないようだ。寒気は? 寒いなら寝てた方がいい」
 宰相は痛む腕で、ブッフェンの手を払う。
 すぐに暖炉の火へと視線を戻し、眉を寄せながらとげとげしく言う。
「……寒くはありません。火を見ていただけです」
「火」
「そうです」
 宰相の瞳には、暖炉の火だけが映っている。
 胡乱なまなざしを向けるブッフェンは、爺を呼んで、水桶を取ってこさせた。そしてその桶一杯の水を、暖炉に投げ入れる。
 肉が焼けるような音と煙によって、火はかき消されてしまった。
「何をするんですかっ」
 宰相はようやく、ブッフェンに顔を向けた。
 ブッフェンは空っぽの桶を乱暴に爺に返した。
「どうせ、火で顔を焼くとか、ろくでもねえことを考えているからでしょうが。あんたが怪我人じゃなかったら、頭から水、ぶっかけてましたよ」
 ぐっと詰まった。その通りだったからだ。
 暖炉の前に座っていたものだから、もろに煙がかかる。咳き込んで、目が痛くなってきた。
 宰相は杖をついて、立ち上がる。頼んでもいないのにブッフェンが肩を貸してきた。突き飛ばすほどに体力のない宰相は、彼に身を任せ、動くのを手伝ってもらうより他になかった。
 暖炉から離れ、テーブルの前の椅子に座る。
 ブッフェンは窓を開け、夜の涼しい空気を取り入れようと、顔を外に出す。暑い暑い、と言いながら。
 宰相は涙がにじみかけていた。
 煙をもろに浴びたせいだ。
「……だったら、どうしたらいいんですか」
 涙声で宰相は尋ねた。情けない言葉だった。
「私はどうしたらいいんです。教えてくださいよ」
「じゃあ逆にわたしゃ訊きますがね。火で顔を焼いて、それで女王は喜んで、解決すると思ったわけですかい。そうなら、あんたは、とんだ大馬鹿野郎だ。焼けたあんたの顔を見るたびに女王は、自分を責めて苦しむでしょうな。あんた、あの女王がどんだけ責任を背負っていると思ってるんだ。更に責任と後悔を背負わせたいわけか」
 ブッフェンの低い声での叱責に、宰相は口をつぐむ。
 窓から顔を出しているブッフェンの背は、怒りをにじませていた。
 だったらどうしたらいい、と宰相は再び口の中でつぶやく。
 そうだ、それこそ、職を辞して去るしかない。暗にそうしろと匂わせているわけか、ブッフェンは。
 もうそれしか残されていないのだな、と宰相は達観に似た思いを持った。
「宰相閣下、わたしゃ辞めろなんて言ってませんよ?」
 振り返ったブッフェンは、まるで心を読んだかのように、軽い口調で言った。
 それから彼は本当に軽く、笑いながら告げた。
「辞めるとか辞めないとか、深く考えることないでしょ。今まで通りで問題ありませんって」
 手で煽ぎながら、ゆっくりと大股で近づく。
「だって結局、女王の問題でしょ。アンリも言ってたが、宰相閣下に責任はどこにもない。それに、今まで何の問題もなかったでしょ? 女王はあんたに剣を向けたこともなかったようだし、あいつぁもう過去のことなんて忘れて、どうでもいいと思っているんじゃないかね」
 宰相は杖を使って立ち上がる。再び肩を貸そうと近づいたブッフェンの襟元をつかみ上げ、顔を上げさせた。
 腕も手も痛みが走ったが、そんなことを感じるより早く、ブッフェンに顔を近づけ、宰相は怒鳴った。
「ふざけないでください……! どうでもいいわけがないでしょう! 今まで問題がなかったのは、女王陛下が努力していたからです! 私の顔からグレゴワールのことを思い出した時があっても、何も言わずに、いつも通りに笑うよう、努力していたからでしょう!」
 女王は宰相にこのことを告げることはなかった。知っていたブッフェンやデュ=コロワに口止めまでしていた。
 そして彼女はひとりで苦しんでいたのだ。
 どうでもいい問題なんかではない。
 襟元をつかみ上げられ苦しいはずのブッフェンは、にやりと笑った。
「そうだ。宰相閣下、あんたの言うとおり。女王は……レイラは過去のことを忘れてやしねえ。きっとこれからも苦しむだろうな。――けどな、それでもあいつぁ黙ってたんだよ。お前を辞めさせろって言うわたしやアンリの忠告を聞かずに、お前を宰相にしておいたんだよ。あいつのさじ加減でどうとでもなったのにな。全部、どうしてだか考えたか?」
 簡単な話だろうが、とブッフェンは続ける。
「レイラがあんたに惚れてるからだよ。自分に苦しいことがあったって、側にいてほしい、あんたに苦しんでほしくない、って思ったからだろうが」
 宰相は襟をつかんでいた手をゆるめた。
 楽に息ができるようになって、ブッフェンは、ふう、と息を吐き、口ひげをなでる。そしてちらりと視線をよこした。
「……それであんたはどうなんだ?」
 ブッフェンは口ひげをなでたまま、かすかに笑った。答えを知っているような笑みだった。
 
 
 ひょこひょこと杖をついて歩く宰相に、臣下や部下は、大丈夫ですか、という目を向けたり声をかけたりした。
 杖をついてゆっくり歩いていると、王城はこんなに広かったか、と思う。いつまでもいつまでも目的の場所に辿りつかない気がして、焦りがつのる。
 杖を持つ腕と脚に力を入れ、前に進んだ。
 目的の部屋の前には騎士がいた。彼らは宰相を認めると頭を下げ、両側から扉を開け、宰相が部屋に入ると閉じた。
 そこには、こめかみに指を当て、うつむいている女王がいた。横顔には憂いがある。
 杖の先をじゅうたんの上に押し当て、重心をかけて、脚を前に出す。
 宰相の存在に気づいた女王は顔を上げ、慌てて駆け寄る。
 近寄る彼女に手を伸ばし、腕の中に閉じこめる。彼女は息を呑んだ。
「……少しでも嫌だったら、言ってください」
 もしそうなら、二度と顔を見せない。彼女の前から存在を消そう。
「嫌じゃないよ」
 彼女は宰相の背に手を回し、ぎゅっと服をつかむ。
 その手の温かさに、言葉にできないような思いが募ってくる。
「好きです」
 陳腐な言葉しか出てこない代わりに、強く彼女を抱きしめる。
「好きです、好きです、好きです」
 日の光のように溢れる想い。
 腰を引き寄せ肩を抱き、囁く。
 胸に顔をうずめる彼女の耳は赤くなっていた。

「結婚しましょう」




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