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翼なき竜
21. 女王の子(4)
ほうほうとフクロウが鳴く。
女王の部屋の窓からは夜空が広がっている。月には雲がかかり始めた。
部屋では女王はハーレムパンツ姿に大剣という、いつものいでたち。部屋に来たばかりのとき、女王はその大剣で素振りをしていた。
ブッフェンの言うとおり、もう病人ではなさそうだ。
着替えて出てきた女王は、
「どうした。やはり何かあったか?」
と訊いた。
「ええ……とても重大なことが、ありました」
彼女はゆっくりとクッションがいくつも敷かれた椅子に座る。
「いい話か? 悪い話か?」
その問いに、宰相は頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「……わか、りません」
本当にわからなかった。
嬉しがるのかどうかすら。
だって彼女は、まったく七年前の話をしてこなかった。宰相の覚えている限り、一度も話していない。
それだけ信用がなかったということだろうか。それとも、子どもの存在もふくめ、忘れたかったのだろうか。
宰相自身、こんな報告をすることになるとは、まったく思っていなかった。
彼女は本当はどんなことを思い、どんなふうに七年前のことをとらえているのか、まったくわからない。
だからこれを聞いて、彼女がどんな反応をするのか、想像がつかない。
「七年前の、ガロワ領の事件……聞きました」
「…………。聞いたって、何を」
「あれが、本当は監禁事件だったということです」
女王の顔の変わり具合は、まるで空のようだった。日が昇っている昼と日の落ちた夜のように、がらりと変わった。
「誰だ。誰が言った! デュ=コロワか!? ブッフェンか!?」
彼女は立ち上がって憤慨する。
「何を聞いた、どこまで聞いた!」
勢いに押され、宰相は洗いざらい話した。
デュ=コロワに聞いたこと、女王の子だと公言する子どもが現れたこと、調査の結果……。
長い話を言い終わる頃には、女王は落ち着いていた。
「……私が知ったことは、以上です。……デュ=コロワ様のことは責めないでください。彼はまっさきに陛下に知らせようとしました。けれど陛下が病床にあって、宰相である私に言うか、陛下が回復するのを待つか、私は二択を迫りました。……緊急性があったことです。彼は前者を選ぶしかなかったでしょう」
もし女王が病気のときでなければ、デュ=コロワはすぐさま女王に知らせていただろう。そして多分、宰相が知ることになるのは、もっと時間がかかっていたはずだ。
言いながら予想していたが、女王は喜んでいなかった。
激情が収束し、冷静になっただけのようだった。
「どうします?」
これを訊くために、宰相は今ここに来て、知ったことを告げたのだ。
女王の子だと公言する子どもを、放ってはおけない。
対処方法は二つある。
ひとつは、女王の子だと王城で認める。
もうひとつは、認めない。
後者はあり得ないだろう。認めないということは、女王の子だと公言したことが、嘘だということになる。王族だと詐称することは、重い罪になる。子どもでも容赦できない。……死刑となってしまう。
子どもが生きて見つかったことを喜んでくれれば、苦しくないのに。
そんなことが宰相の頭の隅に浮かんだ。
そうであったなら、宰相だって、喜んだ。たとえ今まで知った事実に打ちのめされていようが、無理をしてでも喜んだ。女王が喜んだという救いが存在するのなら。
その方がどれだけよかったか。
重苦しい部屋の雰囲気は、デュ=コロワと二人きりで話し合ったときと似ていた。
閉塞感により、呼吸もうまくできない。
「少し……考えさせてくれ」
額に手をやり、目を隠した女王は、小さな声で告げた。
耳を疑った。
「か、考える、とは、何を……?」
「そのレミーとかいう子どもを、どうするかだ。我が子とするか、王族詐称とするか」
唖然として声が出なかった。
選択肢は一つしかないと思っていた。
認めなければ、レミーは――彼女の息子は――死刑となるのだ。
七年一度も会っていない息子を、殺すのか。会いたくはないのか。
忌まわしい過去かもしれないが、その末の子どもかもしれないが、子ども自体に罪はない。真実を言ったのを、詐称したとして死刑に処すのか。
それが、彼女の中では選択肢に含まれるのか。
女王は今まで、宰相にこの過去を語ったことはなかった。思い出したくもなかったのだろう。
だけど、だけど。
「……あんまりではないでしょうか」
宰相は控えめながら訴えていた。
「その子は、死刑に処されなければならないほどの、何かをしましたか」
それとも、生まれたことが罪だとでも言うのか。
「辛くて会いたくない、というならわかります。でも殺すのは、行き過ぎではないでしょうか。どんな出自であれ、子どもに罪は絶対にないはずです。いくら陛下にとっては望まない、どうしようもない結果だとしても――」
「黙れ!!」
夜が昼に、急に逆転した。
女王は野獣のような瞳を有していた。憎悪、嫌悪、殺意と言ってもいい。深淵の瞳は宰相を睨みつけ、糾弾のまなざしで射る。
「どうしようもない結果だと? まるで自然災害のように『どうしようもない』ことだと? 笑わせるな、『どうしようもなかった』ことじゃない! 助けてと何度も言った、でも助けてくれなかった! あのとき私を助けてくれなかったくせに!!」
頭が、真っ白になった。
彼女自身から発する叫びは、あまりに衝撃的だった。
糾弾の悲鳴が胸をえぐり、痛かった。
言葉が出ない。衝撃が強すぎ、唇が震えるだけで、どんな言葉も出てこない。
出すべき言葉すら、考えられなかった。
「……あっ、違う、違うんだ。私は、こんなことを言うつもりじゃ……つい、思ってもないことを口走ってしまって……」
女王は冷静になったようだが、もう遅い。
いくら後から何を言われようが、この叫びが嘘だとは思えない。
痛みに耐えながら、
「失礼します……」
と言って、宰相は部屋を出た。
女王の部屋から出てきた宰相に、真っ先に「どうだった?」とデュ=コロワは心配そうに訊いた。
側にはブッフェンがいて、宰相の顔を観察するように見ていた。
「確かに、私は、助けられませんでしたよ……でもそんなの、無茶です……」
そもそも七年前は出会ってすらいなかった。ガロワ城で監禁されていることも知らなかった。王城にもいなかったから、気づく機会すらなかった。そして彼女の助けを求める手紙を読めたとしても、暗号を解読することはできなかったはずだ。
助けることなんて、不可能だった。
……そう考えるのは、彼女から逃げることになるのか?
自分に罪がないと言い聞かせるための言葉になるのか? ……いや、事実にすぎない。
そう、『どうしようもなかった』ことだ。そう思わなければ、やりきれないではないか。
……だけど、彼女にとってはそうではなかった。誰かが助けに来てくれば『どうにかなった』ことだった。
「どうしようもなかった結果と、言ったことは、悪かったと思います。しかし……今更、どうにかなる話ではないでしょう……」
過去の彼女を、助けられるものなら助けたかった。
できるものなら。
とりとめもない話をしていると自覚している。
自分の中で整理がつかなくて、ぐちゃぐちゃだった。
その思考を打ち破る声があった。
「そりゃあ、あんたにだけは言われたくねえでしょうよ」
鋭い声音は、ブッフェンのものだ。
なぜ、と思い、彼に視線を向ける。
しかしブッフェンは隣にいるデュ=コロワを睨み付けていた。
「何の話かと思えば、七年前の監禁事件のことだな? 今更何があったか知らねえが、おいアンリ、肝心なことを宰相に話さなかったな?」
アンリはデュ=コロワの名である。
咎められ、居たたまれないようにデュ=コロワは視線をそらしている。
宰相も彼へと視線を向けるが、デュ=コロワは宰相にも目を向けなかった。
肝心なこと……?
「宰相閣下、あんたはな……」
ブッフェンが言いかけたところで、
「ブッフェン!」
とデュ=コロワが一喝する。
「宰相に告げることは、陛下から固く禁じられただろう!」
「命令されたから黙ってたわけじゃねえよ? あの女王が我慢ができると言うから、黙ってたんだ。だが今、我慢できなかったようじゃねえか」
「しかし……宰相自身には関係のないことだぞ。彼には何の責任もない」
「責任? 無知は十分、罪だぜ。『どうしようもなかった』なんてこいつの口から聞いたレイラは、そりゃ我慢できなかっただろうよ。この調子でべらべら説教でもしたら、宰相は女王に殺されかねないぜ」
「一体何の話です!」
宰相は叫んで、二人の会話を遮った。
やはりデュ=コロワは顔を見合わせない。
ブッフェンは悲しみを帯びたまなざしを向け、告げた。
数年間女王が隠し続けたことを。
「宰相閣下、あんたの顔はな、グレゴワールに似てるんだ。女王を監禁したガロワの領主――あの女王が憎悪している男にな」
その衝撃を、何と言えばいいだろうか。
嵐が身に迫り、内側に潜り込んで突き破るように暴れたような。そして全てを一瞬のうちにぼろぼろに壊していったような。
その後、どのような会話があって二人と別れたのか、どのようにして王城を出て自分の館に帰ったのか、よく覚えていない。
焦りながら館に帰ってきたとき、宰相はただ、父に会うことを求めていた。
「父さん! 父さんいますか!」
執事の爺は「こんな夜中に」と言ってたしなめたが、それどころではなかった。朝まで待っていられる話ではなかった。
父を起こし、勢いよく尋ねた。
「父さん、私は、ガロワの領主だったグレゴワールに似ているのですか?」
父は目をこすりながら、「はあ?」と気が抜けたような声を出した。
「ガロワ? なんだ。まさか今更、親族関係をあらいなおしているのか?」
「とにかく答えてください」
「そうは言っても、儂は会ったことがないからわからんぞ。親戚づきあいはまったくなかったからな。顔? なんの話だ?」
「なら、当時ガロワ家と付き合いのあった人は知っていますか?」
サラフは首をひねる。
「そもそもガロワ家はギョーム様関係以外、ほとんど付き合いがなかったというしなあ。もし付き合いがあったとしても、今は否定して回るだろう」
宰相は黙った。
ギョームは北の塔に幽閉されている。誰も会うことはかなわない。
父はぽつりと漏らした。
「顔、か。そういえば、母さんが生前、言ってたぞ。兄弟が23人もいたというが、特に母さんとそっくりの姉さんがいたそうだ。まるで双子のようだったそうだ。それが、グレゴワールの父親の、ナタンに嫁いだ方だという。母さんとその姉さんが似ていたというなら、息子同士が似ていてもおかしくないなあ」
「…………」
「どうした? 顔が一体どうしたっていうんだ?」
その後のことは、本当に記憶がない。
ただ、ふくろうの鳴き声が、繰り返し頭の中で響いていた。
ホウホウ、ホウホウ、と。