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翼なき竜
2. 有翼の君(1)
竜騎士団の長であり地方の領主でもあるデュ=コロワが久しぶりに城へ来るというので、宰相はその準備に追われていた。
デュ=コロワは女王の最も信頼する臣下の一人。来訪を歓迎する準備も入念なものとなる。
「この鎖、古いものではありませんか! すぐに新しいものに取り替えなさい!」
宰相の叱咤の声が、特別謁見室にこだました。いつになく厳しい命令だ。部下たちは顔を青ざめ、
「申し訳ありません! すぐに替えます!」
と走っていく。
まったく、とつぶやきながら、顔をこわばらせたまま宰相は腕の中にある鎖を見る。それは普通の鎖ではない。一つの鎖の輪が人間の上半身ほどの大きさがあり、とても重い。
一方の鎖の先はこの特別謁見室を支える太い柱に固定され、もう一方も固定器具はあるが何も繋がれていない。
「危ないところでしたね」
青ざめて近づいてきたのは、知り合いの貴族。
「古い鎖を壊して、もし女王陛下の謁見中にあいつが逃げ出すようなことになれば……」
「『あいつ』なんて言い方はやめた方がいいでしょう。女王陛下がかわいがっている竜ですよ」
この鎖は、竜を縛めるためのものである。
広い特別謁見室は、天井が高い。背が高い宰相よりも高い。それどころでなく、4、5階分くらいの高さだ。まるで吹き抜けのようである。これだけ広いとどうやっても部屋は暖かくならないので、冬はつらい。
が、それもこれも竜のため。
竜を入室させるためにこれほど大きな部屋が作られている。
格式ある行事や女王謁見の場合、この特別謁見室が使われ、女王の隣には竜がはべることと決まっている。
竜は人間の何倍も大きく、人間を食う危険な生き物である。人間を見ただけで襲いかかる習性を持つ、天敵のようなものだ。
しかし裏返せばそれだけ強いということ。そしてしっかりと鎖で足を捕らえ、さらにチキッタの花という、竜を大人しくさせ眠らせる薬を飲ませれば、側にいても平気なのである。更に念を入れて、ロルの葉を粉末状にしたものを周囲の人間は頭から振りかける。ロルの粉をかけた人間を、竜は同族の竜だと思いこみ、敵意をなくすのだ。
「……謁見の前に鎖の老朽化がわかったのは、不幸中の幸い、でしたね」
宰相は苦笑しながら、重い鎖を床に下ろした。
竜の準備が大変だから、デュ=コロワとはここまで格式張らない簡略化した謁見ですませようとの話も出た。が、彼は竜騎士団の団長。
彼から女王の飼っている竜を見たいとの強い要望があり、女王が快諾した形でこうして謁見の準備を進めているのだ。
「念のため、チキッタの花を多めに用意していてください。……万が一のために」
万が一、竜が女王に襲いかかったら。
竜は一咬みで人間を簡単に殺す。咬まずとも、鋭い爪一薙ぎでも体の肉はえぐれる。
その想像に身を竦ませながら、宰相は準備を続けた。
いつになっても、竜を側にはべらせる特別謁見や公式行事は慣れない。そのたびに女王や自分の危険が身に迫るものだから。
だが女王はそのたびに、軽く笑って言う。
『宰相、そんなにびくびくするな。チキッタの花やロルの粉があれば、大抵竜は襲いかからない』
『大抵って、絶対ではないってことでしょう』
『それはそうだ。竜にもいろいろいる。薬の効きが悪いやつもいるさ。それは人間も同じだろう? 大丈夫だ、横に置くギーは私のペットだ。きちんと薬が効くし、効けば決して人を襲わない竜だと、私はよく知っているよ』
準備を終わらせたときには、後はその女王の言葉とギーという竜を信じる以外ないのだ。
準備の途中、城の片隅で老臣達や老神官がこそこそと話しているのを目にした。
「……まさか、宰相ではあるまいな……」
自分の官職名が出たことで怪訝に思い、静かに近寄る。
「……儂は今でも信じられん、あの女王陛下が……」
「……何、陛下だとて女。まったくないとは言い切れん……」
「……しかし……これは醜聞だぞ……」
「何がスキャンダルなのでしょうか?」
宰相の張り上げた声に、老臣達一同、ぎょっとして後ずさった。
しまった、と言わんばかりの顔がそろう。
「な、何、なんでもないことでしてな、宰相」
「女王陛下のお話がなんでもないことですか?」
普段なら秘密話を聞いてしまおうが、顔を出さずにいるか聞かなかったことにするくらいのことはできる。馬鹿正直に顔を出し問い詰めるのは、自分だけでなく、女王の話が出てきたからだ。おまけに、『醜聞』とは。
「……なんですか、わ、わわわ私と女王陛下のことがととと取り沙汰されているとか?」
厳しく言おうと思っていたが、動揺が言葉ににじみ出た。
彼らの話の予測と言うより自分の願望に近い部分が出てしまった。事実ではないから願望なわけで、つまり、宰相と女王は取り沙汰されるようなことはない。
「そんなわけないじゃろ」
そんな宰相を、ずいぶんと冷めた目で老臣達は見ていた。
一言でばっさりいわれると、宰相の胸に矢がつきささるように堪えた。
「宰相が相手じゃないのはわかるわ。相手になっていたら絶対宰相の様子は変わるはずじゃ」
「なんですか、その相手って」
老臣達は言いたくなさそうに顔を見合わせる。それを見て、老神官がため息をつくように言葉を吐いた。
「……女王陛下の恋人のことじゃよ」
宰相の目が点になる。
「……じょっ……! こ、ここ、こいっ!?」
近くにいた老神官の肩をつかみ、揺さぶる。
「ななななな何言っているんですか!! 女王陛下のこここ、ここ恋人なんて、いるわけないでしょう!! 私ならともかく!!」
嘘だと言ってくれとの一心で、がくがくと揺らす。ところが老神官は曖昧な表情のまま、決してそう言ってくれない。ますます肩を揺らす。
「さ、宰相、落ち着いて。こちとら年寄りなんですからっ」
老臣の声にはっと気づくと、揺らしていた老神官が泡を吹き始めていた。
「すいません! 決して悪気があったわけでは……」
泡を吹いていた老人はソファから体を起こし、疲れたように首を振る。慌てて部屋に運び込み、医者を呼ぼうとしたところで老神官は目覚めたのだ。
「いや……宰相に話したときからろくなことにならんとは思っておったしの……」
許してくれたようなのはいいが、私はどう捉えられているのだろう、と宰相は心の奥で思った。
実際ろくなことをしなかったので、何も言えないが。
「それで、女王陛下のこ…こい……。……先ほどの話は本当なのですか?」
恋人、と言うのに詰まって、言葉を換えた。恋人なんて、恋人なんて、冗談ではない。恋人という言葉に付随するもろもろの想像を頭の中から振りはらう。
「実はな、一週間ほど前、ふらりと城のはずれの森を歩いていたんじゃ。そうしたら女王陛下のお声が聞こえてな……」
宰相は一週間前の女王のスケジュールを思い出す。確か、久しぶりに休みだと喜んでいたような……。宰相自身は仕事があったので、その日女王がどこで何をしていたのかは知らない。
「思わず木の影に隠れてしまったのじゃが、聞こえてきたのじゃ。『最近会えなくて寂しかった』『いずれ人にはばかりなく会えるようにするからな』といった、女王陛下の声が……」
宰相は心臓に杭を打たれたように打ちのめされた。
「本当に、陛下の……?」
「なんじゃ! 儂が老いぼれだから耳が悪いはずだとでも言うつもりか! 正真正銘、女王陛下の声じゃった、間違いない!」
胸を張る老神官は自信に溢れていた。
「そ、それでは、相手は誰なのですか」
途端に、老神官の自信がしぼんでいく。
「……それがの、聞いておらんのじゃ。食い入るように聞いておったつもりじゃったが、場所が離れていたせいか、陛下のお声しか聞こえなんだ。木の影に隠れていたので姿も見ておらん。女王陛下のそんな発言を聞いて、えらいことだと、すぐさま他の人たちに知らせようとしてその場を離れた。相手を確かめるのを忘れてたと気づいて戻ってきたときには、女王陛下も誰もそこにはいなかったのじゃ」
宰相は指を折って額に押し当てた。
そもそもそれらしき――恋人のような相手がいたら、絶対に忘れるはずがない。
ちょっとした色目を使うような相手をチェックをしているが、数は多い。女王陛下の好意を受けた人物など、厳しく判定したせいかこれも多すぎる。
女王の最近会っていない相手……というのは頭の中で数えることさえ困難だ。
王としての仕事が忙しくて、宰相ですら会いたいときに会えないことも頻繁なのだから。
候補者が多すぎる。
「儂らが最も重要視していることは、陛下のおっしゃった『いずれ人にはばかりなく会えるようにするからな』という言葉じゃ。はばかりなく会う――そこを儂らは危惧しているのだ」
宰相はいぶかしげに首を傾げる。
その意味を静思して、徐々に口許を引きつらせる。
「――まさか……」
「まさか、女王陛下はその相手と結婚しようとしているのではないか、と思ったのじゃ」
宰相の言葉を引き継いで、老臣が口にした。
「そうなるとますます相手が問題となる。女王陛下は、決めたことは臣下が止めても押し通すようなところがあるお方。ろくでもない相手であったら……」
憂い顔で老臣達はため息をつく。
「儂らは陛下が恋人を作ることには問題はないと思う。王たるものかなりの重圧がその肩にかかっているはず。その鬱憤が晴らされるのなら、どこの貴族とだろうが騎士とだろうが、それこそ農民だろうが、誰でもじゃ。ただし、結婚となると話は別。それだけは儂らは断固反対をする」
宰相は居心地の悪い思いをして、ソファを座り直した。
老臣の言葉は、まるで自分に向けられ釘を刺されているかのように思われた。
結婚するわけでもなく、ましてや恋人ですらないのに。
視線を逸らしながら、宰相はこほんとせきをする。
「――とにかく、問題はその相手です。聞き違いや誤解の可能性が高いと私は思いますが……万一のことがあります。相手をいぶり出しましょう」
「どうやってじゃ? まさか陛下に直接訊くことはできまい」
「陛下のスケジュールに暇を作ります。そうすれば、その休みのときに相手に会いにいくかもしれません」
「暇を作る……そんなことできるのか?」
「します。全力でやってみます」
きっぱりと宣言した。
女王に回される仕事のうち、宰相が採決しても構わない仕事をできる限り回させる。さらに女王の仕事を手伝って早くに終わらせる。行事関連は難しいが、執務室での仕事ならば動かしようがある。
もちろん宰相自身も忙しい身であるが、睡眠時間を大幅に削ればできないこともない。
全ては相手を見つけるため。
もし……もし、本当に恋人だったにしても、絶対絶対、悪い男に決まっている。女王陛下に取り入って権力を得ようとする人間は多いのだから。
きっと、純粋な女王陛下は騙されたのだ。陛下の目を覚まさせなくては。
もしくは恋人ではないのだ。
逃避的に考えながら、宰相は固い決意を胸に、相手を見つけ出すことに燃えていた。