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翼なき竜


 19. 女王の子(2)


「女王陛下の子などと騙るとは、なんて不敬な!」
 宰相は頭を回転させると、そう憤慨した。
 女王に子なんているはずがない。子どもがそう騙ったのだろう、とデュ=コロワの話の冒頭を聞いて、結論づけた。
「いくら子供とはいえ、何という……!」
 デュ=コロワは疲れたように眉間を押さえた。
「……宰相、七年前の事件を覚えているか?」
「七年前? そのころは私はまだ宰相ではなく、東の領地にいて……」
 まだ宰相でも、財務顧問でもなかった。
 七年前は、国内でもろもろの事件が起こっていた。大きな事件といえば、女王の即位だろうか。
「女王陛下がまだ王女であらせられた当時、王位継承権争いのあったこと、思い出されたか? そのときの事件……」
「あ、はい。陛下と、叔父であるギヨーム様の……」
 エミリアンが病床につき、次の王位は誰の手に渡るのか、ということは最も大きな問題であった。
 候補は二人。現在の女王と、彼女の叔父でありエミリアンの弟であるギョーム。
 当初、次の王位はギヨームの手に渡る、という予測が優勢だった。いかに女王が『泰平を築く覇者』の印を持っていようと、まだ若かったからだ。
 それを覆した事件があった。

 西の、険しい山に囲まれたガロワという領地に女王――当時は王女が滞在したことから事件は始まった。
 しばらくしてからガロワから王女の手紙が王城に届いた。
 ガロワが気に入ったので、しばらく滞在すると。
 ところがその滞在がどんどん長引くのだった。一週間、ひとつき、数ヶ月……。結果的に、一年。
 王城から、戻ってくるよう言っても、何かに理由をつけて戻らない。
 城では無責任な王女、という王女の評価を下げる噂が広まった。
 王位継承権争いのさなか、王女の無責任さが浸透し、ギョームの即位は確実だと言われた。
 ところが、実は王女はガロワ領から出ないのではなく出られないのだ、という情報が、王であったエミリアンの元に入る。ガロワの領地から出ようとしても、三つの関門があって、王女を通さないというのだ。
 ガロワ領から出るには、人の通りやすい関門の道を通るか、険しい山を越えるかしかない。
 そのとき王女は人を連れていたが、護衛の騎士達の他に、世話をするための女官達もいた。とても山を越えられない。
 そこで、王女は立ち往生していたというのだ。
 では何通も届いた王女からの手紙は何だったのか、というと、偽造されたものだと調べてわかった。ガロワの領主が偽造したのだ。
 即座にエミリアンはフォートリエ騎士団を派遣し、ガロワ城を攻め入らせ、あっという間に落城させる。
 ガロワ領はガロワ家の支配から解き放たれ、関門が解き放たれ、王女は脱出できた。
 それでよかった、とは終わらない。
 問題は、なぜガロワ家の領主が、関門封鎖をして王女を留め置いたか、ということに移った。
 ガロワ家の当時の領主は、グレゴワールという男。落城のときに死んだ。
 彼の父親はナタンと言い、ギョームと親しくしていた。彼は落城のときから現在まで行方不明だ。
 王女が王城からいなくなって、無責任だと吹聴して回ったのは、ギョームである。
 その線から、ギョームの身辺を洗ってみると、首謀者がギョームであることがわかった。
 そして、王位継承戦争の勃発。
 国内の世論は王女側へと傾いていた。そして、現在女王が在位しているように、もちろん王女側が勝利した。
 敗北したギョームは王位継承権も失い、北の塔に幽閉されることになった。
 結果、王女は女王として、即位したのだった――めでたしめでたし、という話である。

「あの事件が、女王陛下の子との騙りと、何の関係があるのです?」
 宰相ももちろん事件のあらましを知っている。国で知らない者などいないだろう。
 普通の人以上に、宰相の実家のイルヤス家にとっても、冷や汗ものの事件であった。
 宰相の母親の姉が、ナタンの妻として嫁いでいた。つまり、領主であったグレゴワールと宰相は、従兄弟関係にあたる。
 かといって、宰相は会ったことがない。母親の兄弟は二十三人もいて、伯父伯母従兄弟達、親族が多すぎたこともある。
 結果的に、それに救われた。
 ガロワ家と親戚づきあいなんてしていたら、王位継承戦争のとき、現女王に敵と見なされていたかもしれない。
 当時宰相の家は、それはもう必死に、ガロワ家とは関係ないということを言って回った。他の親族も同じようなことをして回ったという。
 とにかく王位継承戦争時には勝者側につくことができて、よかったよかった、という思い出である。
 もう全ては昔のことだ。
 それが今、なぜ話題に出るのか。
 子どもが王族だと騙った。それだけの話のはずなのに。
 デュ=コロワは硬い表情である。いつも目の細い、表情の乏しい顔であるが、いつも以上に無表情さを感じた。
「……歴史は、いつだって勝者と権力者に都合の良いように、書き換えられる」
 重々しく告げた真理は、不安を深めさせる。
「宰相に、歴史の裏側を、事件の真実を伝えよう」

「当時、王女殿下がガロワから帰ってこず、一年が経とうとした頃、さすがに私は奇妙に思った。そしてエミリアン様から、王女殿下から送られたという手紙を見せてもらった。中身はガロワが楽しいから帰らない、というものだったが、私はその手紙に暗号が使われているのに気づいた。フォートリエ騎士団で使われる暗号だ。そこには、ガロワに閉じこめられている、との殿下の救援のメッセージがこめられていた」
「……ちょっと、待ってください。それは確か、ガロワ家が偽造したという手紙でしょう? どうして陛下の暗号が? 陛下はその頃、関門前で立ち往生していたはずでは……」
「宰相。疑問があろうとも最後まで聞け。……全て、わかるから」
 宰相は口をつぐむ。
「私はまず、ブッフェンと話し合った。しゃくなことだが、あいつに聞くのがちょうどよかったのだ。あいつはすでにフォートリエ騎士団の団長となっていた。私はフォートリエ騎士団の暗号をちょっと知っているくらいで、本当に陛下の救援の暗号か、自信が持てなかったから。私の解読は正しいと、あいつは言った。これは緊急事態だということで、フォートリエ騎士団はガロワ城へ向かった。私も、それについて行った」
 どんどんと、知っている事実と食い違ってくる。
 そもそも城を攻めるよう言ったのは、病床にあった王のエミリアンではなかったか?
「フォートリエ騎士団は今も昔も強いことに変わりない。ガロワ城は落ちた。そこで、王女殿下は発見された。発見後彼女に訊いてみると、王女殿下は一年間、ガロワ城に監禁されていたと、そのときになって知った」
 食い違いの振れ幅が、大きくなる。
 食い違うどころではない。まったく違う事件だ。
 監禁されていたというのと、関門を通してもらえなかったというのは、事件の悪質性も何もかもが違いすぎる。
「……当時王であらせられたエミリアン様に至急知らせると、事件をを修正するという話になった」
「修正……?」
「王族たるものが、臣下たる貴族に監禁されたというのは外聞が悪い。監禁されたのではなく関所が通れなかった、という事件に塗り替えられた。元々フォートリエ騎士団は忠誠心が厚く、彼女にとっても元仲間。詳しい事件のあらましを知る者は少ないこともあって、国王命令が下れば、秘密は守れた。
 殿下は城では見なかった、関所付近にいたところを発見した、ということにされた。そうなると、私が手紙から暗号を解読して、となるのも矛盾点になる。だから手紙はガロワ家が偽造した、ということにされ、フォートリエ騎士団がガロワ城に攻め入ったのも、王の命令ということになった」
 そうして、今みなが知る事件となったわけか。
 事件を隠すのは、大変だったと思う。これこそ、国王命令がなければできないことだろう。
 そうして事件は終わったわけか。
 デュ=コロワの顔は、まだ暗い。
「私は、救出後の殿下に訊いた。監禁中、ガロワの領主・グレゴワールに何かされなかったか、と」
 宰相の身体に、びりっと何かが走った。
「殿下は答えた。『何もされていない。グレゴワールは監禁したとはいえ貴族で、紳士らしく、王族である私に無礼なことはしなかった』と」
 宰相はほっと息を吐く。止まりかけた心臓が動き始めたような、そんな感じだ。
「なおも私が問い詰めようとすると、殿下は笑って言った。『もしお前が想像するような下劣なことをされていたとしたら、自殺でもしてた』と。それで私は納得し、話は終わりだ。おそらくエミリアン様は、そのような下劣な想像を誰にも抱かせたくなくて、事件を改ざんしたのだろう」
 さらに安心を深める。宰相は笑うことさえできた。
 もう事件は過去のこと。
 女王はこの事件について語らない。と言うよりも、七年前に起こったことほとんど――王位継承戦争や、即位など――について、何も語らない。
 人生にはいろいろある。
 今は彼女は女王で、平和に過ごしている。それで十分ではないか。
 なのに、デュ=コロワの暗い表情。不吉であった。
「だが私は思う。そのとき本当は何かがあったのではないか。一年監禁されていた。一年だ。十月十日に足りる。……子どもが生まれていても、おかしくないだろう」
「デュ=コロワ様! それはひどい侮辱です!」
 思わず宰相は叫ぶ。
 何てことを言うのだろう。
 この人は、どれだけ女王を侮辱して貶めているか、わかっているのだろうか。
 エミリアンの命令は正しかった。事件の真実を明らかにし、このような勘繰りをされたのでは、女王はたまったものではなかっただろう。
「あなたのその発言は、不敬罪に相当しますよ! だいたい、あなたは陛下から話を聞いて、何もなかったと納得したのでしょう。女王の子だと騙る子どもが現れたくらいで、納得を揺らがせないでください!」
 デュ=コロワはむっとした表情を作る。
「他に理由がないわけではない。以前から疑っていたのだ」
「何故です」
「それは……」
 と言いかけて、デュ=コロワは口をもごもごとさせ、宰相から視線を逸らし、何も言わなくなった。
 宰相は強く言って、デュ=コロワを追い詰める。
「他に理由はないのでしょう? だったらこの話は終わりです」
「待て。……女王の子だと公言する子どもはレミーという名の男の子で、六歳だという……ちょうど年齢が合う」
「六歳の子どもなんてどこにでもいますよ」
「それに、我が領地の町では、レミーが女王の子だと信じる人間が増えているらしい。なぜなのか調査中だが、それだけの理由を持っているのだと思う」
「歴史上、神の申し子だと公言した男が内乱を起こしかけた事件があります。どんなばかげた話でも、信じる人間は信じます。理由にはなりません」
 デュ=コロワは小さくため息をつく。それは宰相に隠そうとしていたらしいが、ちゃんと見えていた。
「……宰相。あなたはガロワの領主であったグレゴワールに会ったことはないな?」
 質問というより確認の問いであった。
「ありませんよ」
 もともとガロワ家は親戚づきあいをほとんどしない家だったそうだ。ガロワ家が親しくしていたのはギョームと近隣の領地の貴族のみ。大人しく領地経営し、領地外に出ることはほとんどなかったという。
 もうそろそろ、こんな話を続けていたくなかった。証拠も何もないのに女王を貶める会話なんて、話すだけで不敬である気がする。
 宰相は部屋を出ようと立ち上がる。
「私は一度会った。ガロワ城の城攻めのとき、死体になった姿に。そして最近、レミーの顔もちらりと見た。レミーはグレゴワールに似ていた。……女王の子だと公言する子どもが、グレゴワールに似ている……これが偶然だと思うか?」
 ばかばかしくて立ち去ろうとしていた宰相の足が、止まった。
 初めて、まさか、と思った。

   *

 女王は城の北、後宮で休養を取っている。
 現在住まう王族は、女王しかいない。
 宰相が女王の寝室に入るとき、彼女は食事を取っていた。
 女王は宰相を見ると、食事を下げさせ、顔をきりっとさせた。
「どうした、宰相。何か問題があったか?」
 それはいつもの女王のようだ。頼りがいがあり、大剣を振り回してもおかしくないようないつもの。
 だけど宰相は見た。入室するとき、その瞬間、辛そうな様子で食事を取っている女王を。
 よく見れば顔色も悪く、本調子でないのは丸わかりだ。
 彼女を突き動かすのは、女王としての責任。
 ――陛下、陛下の子だと名乗る子供が現れたのです。
 そう言ったら、女王はどんな顔をするだろうか。
 聞けば全てがわかる。
 全てを知っているのは、女王なのだから。
 監禁されるとき、護衛の騎士は全員殺されたそうだ。そして世話をする女官はみな、地下牢に入れられたそうである。
 つまり一年、女王がどのように生活していたのか、知る者はいないのだ。
 宰相は想像する。手足を押さえつけられても、泣いても、どんな言葉を叫んでも、誰も助けにこないような絶望的な状況を、想像してみる。
 ……監禁された期間は一年と聞く。
 考えて、宰相は苦しくなってきた。脂汗が額に浮く。
 ――考えたくない。想像したくない。信じられない。信じたくない。これでは、想像の中で女王陛下を滅茶苦茶に汚すようなものだ。
「何があったか、宰相」
 女王は見透かすように言葉を投げ、腕を組んだ。
 たとえばここで、女王の子だと名乗る子供がいると、話そう。
 それがただの嘘であった場合、笑えない悪辣な嘘だが笑い話で終わる。
 しかし本当だった場合、笑う場所などない。確実に女王の精神に負担をかける。
 まだ、話すべき時期ではない。女王の具合も悪いのだから。
 調べなければならないことは多い。
 そう、子供がいたとしたら、どこでどういう過程で女王の手から離れ、今デュ=コロワの領地にいるのか。それにその子供を育てたのは誰だ?
 真相を知るためにも――いや、デュ=コロワの話がただの空想だとするためにも、調べを進めなければならない。
 宰相は簡単に挨拶をして、後ろめたさを感じつつ逃げるように女王の部屋から出た。




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