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翼なき竜


 17. 竜族の秘(2)


「私が今宵来るということは、どこからお知りに?」
「女官のマガリからだ」
 オレリアンは思い出す。夜這いの手引きをしてくれた女官だ。妙に積極的に手引きしてくれたと思ったが、こういうことか。
「それよりオレリアン殿。夜這いに来て、私が兵を呼んだらどうしたんだ? 国際問題だぞ」
「陛下が事を大げさにしようとするならばそうなるでしょうが、そうしないと思いましたので」
「随分自信がおありのようだ」
 女王は苦笑しながら、ワインの栓を開ける。用意されていた二つのグラスに注ぎ込む。
「お待ちいただいていたということは、よろしい答えが来るということでしょうか」
 オレリアンは椅子の背に手をかけた。
「さあ。オレリアン殿にとって、よろしいかどうかは。……愛人の件はなしです。宰相が決めたので」
 オレリアンの目が細められる。
「……どうやら歓迎されてないようですね。貴国は我がドウルリアを、まだ疑っておられますか?」
「いいや。でも、宰相が決めたから」
 宰相、とオレリアンは口の中で転がす。
 ドウルリアにとって、ブレンハールの宰相は、恩人でもある。
 何せ女王が攻め入ると言ったとき、それを諫めたというのが宰相だから。
「……宰相殿は、嫉妬深いお方ですね。彼には感謝しているからこそ、婿ではなく愛人と妥協したのに……愛人ですらダメだとは」
 困ったようにオレリアンは微笑む。
「ですが私はこのままで帰国するわけにはまいりません。これでは、私が来た意味がありませんので」
 オレリアンは女王の前に、覆い被さるように立つ。
 問題は宰相が嫌だと言うことではない。女王を納得させることにある。女王に愛人として認められれば、それで任務は達成する。恩人である宰相には悪いが。
 燭台のろうそくの火が揺らめく。
 オレリアンがテーブルの上に手を乗せたとき、不思議そうに女王が訊いた。
「……そもそも順番が違うのではないかな?」
「順番……?」
「オレリアン殿が私の愛人となるのは第二目標だろう」
「何の話です、一体」
 オレリアンが怪訝そうに眉を寄せるのと対照的に、女王は笑みを浮かべた。
「『竜を操る秘技を知れないのであれば、ブレンハールの女王の愛人になってこい』――それがドウルリア国王の命令ではなかったか?」
 オレリアンは目を見開き、絶句した。
 その会話はドウルリア王宮でのことだ。もちろん情報が流出しないよう、出入りに気を配っている、国で最も厳重な場所。国王、王弟、共々、もちろん間者の存在には、常に気をつけている。
「……ブレンハールは、優秀な間者をお持ちなようですね」
 オレリアンは何とか、声を振り絞った。
 王宮内部に間者がいる。そして会話の内容が、ブレンハールに漏れていた。……ということは、ドウルリア国王が、ブレンハールに敵愾心を持っていることも、知られている可能性がある。
 それどころか、ドウルリアが本当にラビドワ国に武器を援助した、ということさえ知られれば……。
 勝ち目のない戦争。侵略。という文字が、オレリアンの頭の中にぞっとする響きをもって浮かんだ。
 今、女王はすでにそれを知っているのか? まだばれていないのか?
 疑い、惑い、隠すための笑み、それらが混然となって、オレリアンの顔は不自然な表情を作る。
 女王は場の雰囲気を和らげるように笑う。
「現在我が国は、貴国と友好関係を築きたい。大事なのはそれだ」
「…………」
 公表して攻め入る気はないということか。
「オレリアン殿。私があなたを愛人とすることはできない。代わりに、あなたたちの知りたい第一目標、竜族と我が国の秘密を教えよう。これで手を打たないか?」
「竜を操る秘技を……!?」
 何としてでも隠し通したいはずの秘密を、明かすというのか。
 女王は、オレリアンに座るようにうながした。

「我が国と竜族は、契約を結んでいるんだ」
 座ったオレリアンは目をぱちくりさせる。
「契約? あの言葉の話せない獣と?」
「そう。数百年前、人竜戦争の終結時に」
 人竜戦争なんて、歴史を学ぶときに出てくる単語だ。
 驚きつつも、オレリアンは静かに女王の解説を聞いた。
「当時、人と竜は、覇権を争って戦っていた。人間対竜族の総力戦だ。そのとき人間は、各国同盟を結び、力を合わせ、戦っていた。その同盟の盟主が、我がブレンハールの当時の国王。アルマン王だ」
「知っていますよ。結局竜族も人間もどちらも殲滅することはできず、和平を結んだのでしょう」
 それは全ての革命だった。
 竜は敵という意識が同じ大地に共生する仲間という意識に逆転したのだ。神学にもかなりの影響を及ぼし、現在では竜と人とは対等、ということになっている。
「その和平のとき、アルマン王と竜族の長のみで話し合いが行われた。そして竜族と人間は、和平と協力体制を結ぶことにした」
 オレリアンは訝しがる。……協力体制?
「アルマン王に竜は術を施した。竜の血を流し入れて、竜を敵対視しないという呪いだ。その呪いは強力で、彼の血に連なる者に影響した。だがやはりアルマン王に一番影響が出た。彼は竜のあざを頬に持つ、『泰平を築く覇者』の最初の一人だ。アルマン王の子孫にも『泰平を築く覇者』がときどき生まれる」
 オレリアンは女王の頬を眺め見る。
「陛下も、その一人ですね」
「そう。ただし、このあざは何の力もないわけじゃない。『泰平を築く覇者』は竜に同族と認められる。ブレンハールの王家の血筋に竜の血筋が混じり込むことは、大きな意味がある。我ら王家の人間は、竜を敵視しない呪いがかかっている。そうして和平が築かれる」
 オレリアンは首を傾げた。
「……それで、協力体制というのは?」
「アルマン王に呪いをかけ、王家の血筋に永久的に影響を及ぼす代わりに、竜族は我が王家に協力することになったのだよ。それはつまり、我が王国・ブレンハールに協力するということで――」
 オレリアンは顔を青ざめる。
 まさか。
 協力というのが、
「竜を操る秘技……ですか!?」
 女王はうなずく。
「そうだ。技など何もない。昔からの契約で、竜族は我が王国では利用できるだけのことだ」
「ちょっと待ってください。人竜戦争当時、国はブレンハールだけではなかった。確かにブレンハールは大きな国家でしたが、我がドウルリアもあったし、他にもたくさんの国家があった。ブレンハールは対竜同盟の盟主となっただけで、どうしてブレンハールだけが竜族とそのような協力体制を築けるのですか!? 他の国家は!?」
 同盟の盟主として和平を結んだなら、契約は同盟を結んだ他の国家にも適用されなければならない。しかし現在、ブレンハールは竜を戦力とし、ドウルリアは竜を戦力にできない。
 女王はしばらく黙った。
 気まずそうに、
「……和平のときにどのような話し合いが行われたか、記録はない。ただ予測するに、人間の社会のことをろくにわかっていなかったであろう竜に、アルマン王が、ブレンハールに都合の良いことを吹き込んだのではないか、と思っている」
「そんな、ばかな」
 歴史上、人竜戦争は和平を結んで終結した、として片付いている。
 あまりに卑怯な契約だ。
 竜はアルマン王を、人間族の長だとでも思いこまされたのだろう。しかし、彼らは一国の王にすぎない。
 それ以後数百年、ブレンハールは大国だった。竜の力を使って。
 そして、ドウルリアのような小国は、ブレンハールの影で虐げられてきたのだ。
 そこにいるのが大国の女王であることを忘れ、オレリアンは義憤に駆られていた。
「そんな契約、無効だ!」
「……最初がどうあれ、契約は有効だ。ブレンハールの王族に竜の血が流れている限り」
「……今現在、何人ですか、それは」
「さあ。直系が私と叔父のみ。しかし途中で貴族へ降嫁した方々もいるから……合計して数百人はくだらないだろう」
 時代が下れば下るだけ、子孫は増える。それも当然だ。
 ……となれば、打つ手がないわけか。永久に竜はブレンハールに協力する。
 そう落胆したところで、女王の意図に気づいた。
「……陛下、これが狙いですか。他国は竜を操る術を持ちえない。どうしてもブレンハールが強いのだから、戦争しても無駄だと、悟らせるために」
 長い間ブレンハールへ敵愾心を持っていたドウルリア国王も、どうしようもないことを悟れば、諦める。
 女王は口許に笑みを浮かべる。
「ドウルリアの使者殿。国王陛下へお伝えください。これからも仲良くいたしましょう、と」
「…………。伝えましょう」
 オレリアンは初めて、目の前に置かれたワインを飲んだ。
「それにしても、お会いしたときから不思議でしたが、どうして陛下の『泰平を築く覇者』のあざは、片翼がないのですか?」
 女性の顔について、通常ならばオレリアンは問わない。
 それが気になったのは、もしかしたら呪いが消えかけているのではないか、と思ったためだ。もしこれが、契約が切れる予兆だとすれば、ドウルリアにとって吉報だ。
 女王はひどく嫌そうに、顔をしかめた。
 しかしオレリアンが契約の解除に関係しているのかも、と期待しているのを見ると、女王は嫌々ながら話し始めた。
「これは契約とは関係ない。『泰平を築く覇者』というのは、竜の血が濃い。このあざは私の身体の中で、竜の要素を集めて形にしたようなもの。私の竜としての分身だ」
 女王は背もたれに身体を預ける。
「竜にとっての翼はただ飛ぶためにあるわけじゃない。竜は本来、どう猛な本能を身体に持っている。その本能を抑える理性を持つのが、二つの翼」
「なら片翼がないというのは……?」
「普通より半分も理性がなくて、どう猛ということだ」
 女王は面白くなさそうに、吐き捨てるように言う。
 オレリアンはよく理解できなかった。かすかに首をかしげるが、女王はわかりやすく説明してくれそうにない。
 女王は窓から夜空を見上げた。冬の黒い寒空を見ながら、立ち上がる。
「さあ、オレリアン殿。そろそろお帰り願おうか。手みやげも持たせたのだから、もう文句はないでしょう」
 オレリアンは苦笑いを浮かべながら、立ち上がる。
「……随分と太っ腹ですね、陛下。おおっぴらにしたくない話のはずでしょう。私を仮にでも愛人としておけば済む話を、わざわざこんな貴重な情報を出すなんて」
 黙りこくる女王に、オレリアンは一歩踏み込む。
「宰相殿を愛してるから?」
「ああ愛してるよ」
 即座に返した女王は、言ってから照れて、そっぽを向く。オレリアンは楽しそうに笑った。
 挨拶を交わす。彼は扉を開けて出て行った。

 女王は一息ついて、もう一度椅子に座る。
 ベッドの奥にかかっている重いカーテンが、シャッと開かれた。
 そこから現れたのは、女官のマガリと宰相。
 マガリは胸をなで下ろして、女王の側に駆け寄った。
「ああ、陛下、無事でようございました! 襲われたらになったらどうしようかと……!」
 女王は彼女の背を撫でる。
「大丈夫だと言っただろう? 彼はドウルリアの使者だ。私の嫌がることをするわけがないじゃないか」
「ですがですが」
「もしそうだったとしても、マガリや宰相はそこから出て止めてくれただろう? それに、私にはこれがある」
 と、女王は自らの腰にある大剣を持ち上げた。
「まあ、これは最後の手段。ドウルリアの使者に怪我を負わせただけでも問題になる」
 自分の身を案じるより相手の身を案じる彼女は気丈で、平気そうだった。
 それでも女王の古参の女官であるマガリは心配そうに彼女を見上げていた。
 一方、宰相はぼーっと隠れていた場所で立っていた。
 先ほどの会話をずっと聞いていたのだけれど、宰相の頭に占められているのは一言。『ああ愛してるよ』
 ――陛下が、陛下が、愛してる、って。
 羽が生えて、ぷわぷわと身体が浮き上がってきそうである。
「宰相、どうしたんだ?」
 女王がいぶかしげに呼びかける。
「あ、え、あっ、はい、何でしょうっ」
 慌ててそこから動き出した。
「今晩は、夜遅くまで王城に留めてすまなかった。泊まる部屋を用意させるから」
 マガリはその準備のため、部屋を出て行った。
「竜族との契約についてドウルリアへ漏らして、よかったのですか?」
 気分をしゃっきりさせるため、固い話題を出した。
「逆上して他国同士で同盟を結び、攻められる可能性もあります」
「ドウルリア国王は、そこまで馬鹿ではないさ」
「今でなくても、いずれ」
 この契約を話すことは、牽制するという長所もあるが、短所が大きすぎる。情報はいずれ回る。攻め入られる口実になる。
 女王は座り直す。
「……今までの歴史上、我が国が他国に傍若無人な振る舞いをしたことは、数限りない。竜の力を使ってな。いずればれたよ、これは。私は、そろそろ先祖の尻ぬぐいをするべき時ではないか、と思ってる」
「尻ぬぐい、ですか」
 果たして、竜族との契約の秘密をばらすだけで、他国は納得するだろうか。理不尽さを感じつつ、我が国の力を噛みしめて、口先だけの納得を口にするだけではなかろうか……オレリアンのように。
 かといって、アルマン王の子孫が途絶えて契約終了できるならともかく、子孫は数百人。契約は永久的だ。
 結局、国力に物を言わせて、他国に納得させるしかないわけか。
 他国に糾弾されるより、自分からばらす分だけ、マシという程度だろうか。
「まあまあ、もういいじゃないか、竜の話は。部屋の準備ができるまで、飲もう」
 女王は一転あかるく言うと、宰相の背を叩いた。
 女王はグラスにワインを注ぎ込む。宰相はそれを手渡された。
 正面の椅子に座り、一口飲む。
 美味しい。渋さが好みだ。
 宰相が味わうようにゆっくり飲むのとは違って、女王の飲むスピードは速い。何度も瓶からグラスにそそぐ。
 心なしか、顔が赤いような……。
「陛下、大分酔ってません?」
「全然」
 と言いながらグラスのワインを飲み干すと、再び瓶からワインを注ごうとした。しかし、一滴落ちただけである。
「もう一本、持ってくるか」
 と、よろよろと立ち上がる女王。
「もう十分では? これ以上は……」
「そんなに飲んでないじゃないか」
「すでに陛下お一人で、半分は飲んでますよ」
「この程度、多いとは言えないよ。毎晩一本飲んでるし、やっぱり足りない」
「毎晩一本!?」
 女王はしまった、という顔をした。
 たまにそれだけ飲むのは構わないだろうが、毎晩となると身体に良いとは思えない。
「いつからですか?」
 女王はうーん、と唸りながら答える。
「即位したくらいからだから……かれこれ六年、七年、かな」
「ろく……なな……」
 絶句していると、慌てて女王はなだめる。
「大目に見てくれ。習慣で、飲まないと眠れないんだ。寝酒だよ寝酒。ほら、お前も飲め飲め」
 女王は別のワインを取ってこさせると、栓を開け、愛想良く宰相のグラスにそそぐ。
 こちらのワインも美味しい。
 にこにこと女王は宰相の顔を見ている。
「……機嫌、良さそうですね」
「ん? ふふ、そうなんだ。昼にぐっすり眠ったとき、いい夢を見たから。背を貸してもらったおかげだ」
 彼女はぐっすり眠ったと言えるほど、長く眠らなかった。
 オレリアンが図書室に来た後に老臣達もやってきて、その騒ぎで彼女は目を覚ました。
 仮眠程度の眠り。それでもにこにことしているくらいなのだから、さぞいい夢を見たのだろう。
「丘で眠る夢を見たんだ」
 宰相の訊きたそうにしている顔を見て、女王は答える。
「ギャ……ギーの身体を枕にして、竜の丘で、ゆっくりと眠る夢なんだ。春かな。大きな木には葉が生い茂り、涼しい影を作っていたから」
「夢の中で、眠る夢ですか」
 宰相が笑う。
「そう。お前も出てきたよ。『もうお時間ですよー』って言いながら丘を登ってきて、私を起こすんだ。私はギーの背を一撫でし、お前と並んで、丘を降りていく」
 女王は語りながら、幸せそうな表情を浮かべる。
 『もうお時間ですよ』というのは、いかにも自分が言いそうなセリフだと思った。
 何てことのない、日常的な話だった。
「いい夢だったよ。本当に」
 女王は淡く微笑んで、ワインの溜まったグラスを見下ろす。
「お前と一緒に寝たら、もう一度あの夢が見られるかな」
「そうですねえ」
 相づちを打った後になって、彼女がどんな衝撃的発言をしたかに気づいた。
「え、え、あの、それは」
 すぐ後ろには、彼女の眠るためのベッドがある。
 ワインの入ったグラスを傾けながら、上目遣いで見つめてくる彼女。
 長いような短い時間、二人は見つめ合っていた。
 部屋の準備ができましたよ、とマガリがやってきたのはすぐだった。




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