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翼なき竜


 14. 英雄の場(2)


 めくるめく詩的なセリフが、役者達の口からこぼれる。
 歴史的英雄に扮装した彼らの芝居は、見る者にその世界に浸らせ、その悲劇的運命に同情し、涙をこぼさせるのに十分だった。
 『英雄』最終幕。
 至る所ですすり泣きが聞こえる観客席の二階。
 特別観覧席に、女王はいた。と言っても、王城ではなく城下の芝居小屋みたいなものであるから、立派な席というわけでもなかった。カーテンも薄汚れている。
 近頃評判だという劇を見に来ている彼女は、空虚な目であった。
 ただ目を見開いてはいるが何も見ていないような、うつろな表情。
『……この劇、つまらないの?』
 ギャンダルディスが壁から姿を現すと、女王はびくっと姿勢を正す。
 人型のギャンダルディスを、しげしげと見つめる女王。
「その人型の幻影、現れられるのは王城内だけだと思ってた」
 他の人に聞こえないような、小さな声。
 ギャンダルディスの声は他の人には聞こえない。もちろん姿も見えない。だから普通に会話すると、まるで女王が一人で話しているようで、不気味に見える。
 女王はギャンダルディスと話すとき、人の多いところではささやき声となる。
『まあ、本体からあまりに離れるとだめだけどね。ぎりぎり城下なら姿を出せるんだ』
 幻影を出すのは、その竜の力が関係する。まだ若いギャンダルディスは、城下までが精一杯だ。年を取れば、大陸の東に竜の本体がいて、西の端に人型を出すこともできる。
「ふうん。便利だな」
『まあね。で、この劇、面白くないの?』
「面白いと思う。脚本が光っているな、これは」
 と言いつつ、感情的なところが見られない。
『でもレイラはあんまり見てなかったよね』
「……ちょっと考え事をしていて」
『退位のこと?』
 女王は難しい顔をしている。
「ジャキヤ地方で洪水があったそうだ。物資の提供は宰相がしているだろうが、軍の派遣は私の権限にある。どうしたものか、と」
 呆れたようにギャンダルディスは肩をすくめる。
『何言っているの。そんなこと考えなくていいんだよ。君はもう王ではないんだから』
「……次の王が決まるまでは、王ということになる」
 ギャンダルディスは彼女の後ろに立ち、肩に手をかけた。そして子どもに言い含めるように、ゆっくりと耳元で言い放った。
『いいかい? 君はこの国に必要ないんだよ』
 劇はクライマックスを迎える。英雄を刺し殺す息子の苦悩――。
『君がいなくても、この国は十分やっていける。君が王でいる必要はまったくないんだ。むしろいない方がいいくらいだ』
 英雄の息子は父のなきがらにすがり、嘆き哀しむ。
『他の人達は、君が必要だ、なくてはならない、と、さも困ったような顔をして言うかもしれないけれどね、そんなの嘘だよ。いいかい、誰から何を聞いても、誤解してはいけないよ。特に宰相、彼の言うことを聞いてはいけない。彼はきれいな言葉で説得しようとするだろうけど、形だけだよ。本当は君を必要としていないんだから』
 ギャンダルディスは女王に繰り返し繰り返し、必要としていない、と告げた。ゆっくりとわかりやすく、一滴一滴毒を染みこませるように。別の考えを抱かせないように……。
 舞台上にいるのは、いつまでもいつまでも号泣する英雄の息子。
 本当は殺したくなかったんだ、本当は生きていてほしかったんだ――そんな感情がよくわかる慟哭、セリフ。
 物語は、悲しく終わりを迎える。
 拍手の嵐、泣き声の渦。
 女王は肩を震わせていた。目許を手で覆っている。
『すごいね、この歓声。君も泣くくらい、いい芝居だったようだね』
 竜であるギャンダルディスには、人間の心の持ちようとは違うところがあるせいか、感情的にのめり込めない。でも他の人たちは泣いているから、とても悲しく、女王すら泣かせるような話だったのだろう。
 女王は答えなかった。
 舞台上に役者達が全員集まり頭を下げた後、何も言わず女王は涙を払った。


 城下には相も変わらず人が溢れている。勝利の余韻がいまだ残り、どこか浮き足立っているのだ。
 女王はべールを顔に巻き付け、片翼の竜のあざをかくしていた。
 市場では商品の名が叫ばれているが、その影で市民同士が昨今の情報を取り交わしている。
「ジャキヤ地方に大雨が降って、洪水になってるんだってよ」
 女王は足を止めてそれらの会話に耳を傾けた。
「どれくらいの規模だい?」
「さあ。ただ、何人も死んだらしいし、水に流された村がいくつもあるんだってさ」
「そういうところには病も流行る。神様もひどいことをなさる」
 しばらくして彼らの会話が別の話題になると、女王は歩き出す。
 女王の表情は暗いものだった。うつむき加減で、考え込みながら足を進める。
 女王は一人の男とすれ違った。その男は振り返る。
「え……もしかして、女王陛下!?」
 東と西の文化が混ざり合った市場で、女王の姿もその中に紛れていた。頬の竜を隠せば、城下にいても今までばれたことがない。
 こんなところでそう呼びかけられるとは思ってなかった女王は、目を見開き、思わず足を止めた。
 男は走り寄って、女王の前に立つ。
「やっぱり女王陛下だ! こんなところで……うわ、ほんと、感激です!」
「な、なぜ……誰だ、お前」
 そばかすの散った、若い男だ。女王に見覚えはなかった。
「覚えてませんか? エル・ヴィッカの戦いの時、陛下に助けられた者です。おれ、戦うのとか苦手で、死にかけて……そのとき、陛下が竜に乗って前に出て、助けてくれました。……あのときのことは一生忘れられません!」
 若い男の目はきらきらとしていた。
 まさしく英雄を見る目。
「あのときの陛下の戦いぶりは、まさに勇猛果敢! ほれぼれするものでした! ラビドワの連中をあっという間に蹴散らして、後には何も残さない! あの戦いぶりを見たら、この国の未来が見えた気がしました。他国なんて目じゃないです。どの国だって、この国にかなうものですか。この国は世界の頂点に立ち、永劫繁栄し続けるって、そう確信しました」
 女王は顔に巻かれたベールの端を、きゅっとつかんだ。その指先は白くなっている。
「そうだ、陛下。陛下は他国へ侵攻するよう命令した、って話が噂になっているんですが、本当ですか? 命令を撤回されたとも聞きましたが……」
 女王はずっと黙ったままだった。このおしゃべりな青年だけがしゃべっている。
「侵攻するってことなら、おれ、賛成します。だってエル・ヴィッカの戦いのすさまじさは世に広まって、他国だって震え上がっているっていうじゃないですか。今がチャンスでは? おれ、ちょっと想像するんです。我が国が世界を統一したとき、どうなるのかって。きっと他国だって、それがいいんですよ。何にもない小国の国民であるよりも、竜の恩寵を受けたこのブレンハールの国民になった方が、絶対にいいはずですよ」
「…………」
「そりゃあ、おれの考えって単純で、世の中を知らないって言われますよ。実際統一するまでには、他の国は抵抗するでしょうし。でもそれが何ですか。今の我が国なら、そんな抵抗、簡単にねじ伏せられますよ。ええ、陛下の戦いぶりを見たら、本当にそう思えました」
 男は生き生きと語っていた。
 女王は目を伏せる。そのけぶるような睫毛は震えていた。
「……私のしたことは……見る者に、そう思わせてしまったんだな……。選民思想を強め、他国を軽視し、簡単に侵略に賛成する……そんな国民を作ったのだな、私は」
「え? どうしたんです、女王陛下」
 市場の人々はざわめいていた。男が、陛下、陛下、と連呼するもので、人々は周りを取り囲んでいた。
「本当に女王陛下……?」
「そんなばかな。陛下がこんなところにいるはずが」
 円を作って中央に空間ができていたが、ある人が勇気を出して、女王の前に出た。
「あ、あの! 本当に女王陛下なんですか!?」
 それはダムの決壊のようだった。一人が飛び出ると、二人、三人と前に出る。後はわっと押し寄せるのみである。
 女王は人に押しつぶされた。前後左右人が圧迫し、身動きできない。指一本動かせられない。さらに圧迫はとどまることなく強まり続ける。
 苦しい、と叫ぶことすらできない。呼吸すらうまくできない。本当に息が詰まってきて、女王の頭は朦朧とし始めた。
 そのとき、つんざくような警笛が場を貫いた。
「この場にいる者は全員解散しろ! 逮捕するぞ!」
 並び立った兵士が中央に集まろうとする人々を解散させる。抵抗する人も中にはいたが、兵士がただの警邏ではなく、正式の軍の兵士であることがわかると、黙って離れていった。
 兵士は円陣を組んで、誰も中に入れないようにする。
 中央に残ったのは、座り込んだ女王のみだった。
 馬車から宰相が降り立ち、女王の元へ駆け寄る。
「大丈夫ですか、陛下」
 女王の押しつぶされた結果、彼女のベールは顔から取れ、地面に落ちている。服も乱れていた。
 座り込みながら、ちらりと宰相を見上げる。
「……また、女王に戻れって話をしに来たのか」
 宰相は彼女のベールを拾い上げ、はたいて砂を落としてから、女王に手渡す。
 それを受け取る女王の手は、震えていた。そのベールを顔に押しつける。
「もう、私にはわからない。何が正しいのか、何が間違っているのか。みんな、みんな、私を肯定する。私が間違っていたと思うことすら肯定する……。わからない……何もかも……」
 ベールを顔に押しつける手は握りこぶしを作った。
 宰相は思わず、彼女の肩に手をかけた。細い肩を見て思った。彼女は神でもなんでもない、ただの一人の女なのだと。
 彼女は精神的に疲弊している。休養が必要だ。
 そのために、王を退位することになっても、仕方ないのかもしれない。
 彼女に重荷を背負わせすぎた。それが背負いきれなくなったなら、彼女自身のために、引退を認めるべきではなかろうか。
 そうは思ったが、今宰相が彼女のもとへ来たのは、この話をするためではない。
 宰相は女王の耳元に口を寄せ、火急の用事を告げた。
「その話は後でゆっくりしましょう。とにかく、今すぐ王城へ戻ってください。エミリアン様が……危篤です」
 黒いベールに顔を押しつけていた女王が顔を上げた。
 嘘だろう、と信じられない顔をして、女王は首をかたむけた。
 宰相は彼女の背を強く押し、馬車に乗せる。
 空はいつの間にか、曇り始めていた。


 エミリアンの寝室には、彼の正妻であるセリーヌ、部下、医者たちが集っていた。
 誰もが静かにかたわらにいる。
「父上!」
 女王はエミリアンのもとへ走り寄った。
 ベッドで伏せるエミリアンは、顔だけを娘に向けた。
「父上、父上」
 エミリアンの口許には吐血した跡があった。
 落ちくぼんだ瞳が女王を注視している。
「……レイラ」
「はい、ここにいます、ここにいます、父上」
「……最期に、二つ、願いがある」
 エミリアンのかすれた声は虫が鳴いたように小さい。女王は必死に顔を寄せ、耳を澄ます。
「わしを、殺せ、お前の手で」
 臓腑を絞り出した苦しみと決意の塊のような声だった。
 女王の後ろに付き従っていた宰相は、はっきりとそれを聞き、顔を歪ませる。
 一番近くにいた彼女はぴくりとも動かなかった。




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