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翼なき竜


 10. 戦争と人


 レイラ=ド=ブレンハール女王の治世、6年目の夏。
 入道雲の浮く夏の空に、10体もの竜の影があった。それぞれに人が騎乗している。
 王宮の張り出したテラスから、宰相はその影を見続けていた。
「見続けたところで、どうにもならないだろう」
 部屋の中で、デュ=コロワが地図を下瞰していた。
「見続けて陛下の身が安全だというのなら、わたしもできるかぎり見送り続けるが」
 翼を上下に揺らす竜のどれかに、女王がいる。彼女は今、戦場へ向かっているのだ。
 宰相はため息をついた。
 後悔してもし足りない。女王を戦場へ向かわすことを止められなかったなんて。
 どんなに説得しようと、どんなに周囲の人間を使って働きかけようと、女王は戦場へ行くと言った。
 そして押し通してしまったのである。
「……こうなるのなら、私も戦場に向かえば……」
 ぽつりともらす。
「それはやめた方がいい」
 きっぱりとデュ=コロワに否定された。
「宰相には、戦場に出ることは無理だ。特に、竜の介在する戦争には」
「……? どういう意味ですか?」
「竜騎士が戦場で、どう戦うかわかるか?」
 宰相は少し考えた。
「……竜に乗って、矢を射たり、槍で戦ったり……ですか?」
 竜狩りのときは、そうやって女王は狩りを行っていた。竜は上下に揺れながら動くが、女王はうまくやったもので、矢は獲物に突き刺さっていた。
 一度見学したときのことを思い出しながら宰相は口にした。
 しかしデュ=コロワは首を横に振る。
「それでは本当の竜の力を使わない。竜の最も重要視される特性は、人を食うことにある」
 宰相は固まった。
「それは……もしや……」
 窓から小鳥の鳴き声が聞こえた。軽やかな音である。
「竜の介在する戦争は、最も悲惨で、最もむごい。まさに最終兵器と呼ばれるにふさわしい。竜騎士団には毎年たくさんの若者が入団を希望して来るが、何人が残ると思う? そのむごたらしさを目の前で見て戦い続けるほどの精神的に強靱な人間は、なかなかいない」
 淡々とした口調で告げるデュ=コロワに、宰相は驚きの目を向ける。
 乾いた口を開き、宰相は絞り出すように訊いた。
「……女王陛下は……?」
「さあどうだろう。女王であらせられるのだから、前線になど出ないだろう」
 宰相はほっとして胸をなで下ろした。
「しかし、好戦的な方であるし、もしかしたら自ら竜に乗って戦場を走り回る可能性もある。女王陛下の判断次第だ」
 宰相は再び顔がこわばった。
 やはり、何としても止めておけば……。
「後悔している場合ではないぞ、宰相。戦場にいずとも、我らの戦いは始まっている」

 そこが戦場ではないからといって、戦争とは無関係ではない。
 女王に代わって城を預かる身として、宰相は前線への補給を指示しなければならなかったし、他国にも目を向けなければならなかった。


 前線。
 ラビドワ国、カプル国、それに我が国・ブレンハールの隣接するエル・ヴィッカ地方と呼ばれる三角地帯において、戦争は激化した。
 女王率いる国軍本隊とブッフェン率いる精鋭フォートリエ騎士団は、まずは二手に分かれ、女王軍は大軍の力でもってまっすぐ前進し、それを囮にする形でフォートリエ騎士団は山中奇襲を仕掛け、ラビドワ軍の兵力を削り取った。

 土石流のように勢いよく進む女王軍とフォートリエ騎士団は、ラビドワ国の領地に入ったところで再び合流した。
 後に、エル・ヴィッカの戦いと呼ばれる戦いの、一幕のことである。


「フォートリエ騎士団、合流しました――!!」
 すぐさま兵士が叫びながら、女王率いる国軍の駐留する地に響くように報告して走っていった。
 エル・ヴィッカ地方の、山間のことである。暗い木々に覆われたそこは、常ならばこれほどの人がいることはないだろう。
 駐留地にはあまたもの兵士がいて、フォートリエ騎士団が進むと、彼らは顔を明るくさせた。そして疲労したフォートリエ騎士団のみなみなに、水をすぐさま持ってくる。
 本隊はそれほど兵士の減りはないようである。立てられているテントの数も多い。
 奇襲をいくつも行って薄汚れたブッフェンは、ようやく人心地がついた。しかしこのままぐっすり眠るわけにはいかない。
 馬から下りると、まず女王の居場所を尋ねた。
 騎士団の連中に休憩を指示する。そしてブッフェンは女王へ報告をしに、彼女のいるという山の更に奥へ、疲れた足に鞭打って歩き出した。

 獣道を通った先には、兵士と崖の前で見下ろしている女王がいる。彼女は当然ながら、鎧をかっちりと身にまとっている。
「お久しぶりですねえ、陛下」
 ブッフェンの明るい声に、女王は顔を上げた。
 手を上げながら近づいていたブッフェンだったが、ぎょっとした。
 女王の右の頬に包帯が巻かれていたのだ。
「それ……どうしたんですかね?」
「ん? ただのかすり傷だ。矢がかすめた程度のものだが、念のため包帯を巻くよう言われてな」
 矢が当たるような距離にいたということか、この女王サマは。
 女王はくくく、と笑い始める。崖から何かを見下ろしながら。
 何が面白いのだろう、とブッフェンも同じように見下ろした。
 そこには山を覆う木々や草が茂っている。その木々や草の隙間から、人が進むのが見えた。
 距離があるので小さく見えて判別しにくいが、フォートリエ騎士団の連中である。列の後尾にいた、まだこの駐留地に入れていない連中だろう。
 女王はとても楽しそうに言った。
「面白いだろう? まるで蟻の行列のようだ。竜の足でぷちっとつぶしたくなる……つぶしたら、どうなるだろうなあ……」
「……あれはうちのフォートリエ騎士団なんですが」
「それがどうしたっていうんだ。敵軍だろうが自軍だろうが、同じ人間じゃないか」
 くくくくく、と女王は笑い続ける。
 ブッフェンは信じられないような言葉を耳にし、憮然とした。
 彼は眉をひそめる。鼻をすん、と鳴らした。
 臭いがした。生臭い、よく嗅ぎ慣れたもの……。
「……血、の臭いが」
「ああ。さっき人を斬った」
「……戦場で?」
「いやついさっきだ。間者が紛れ込んでいたようでな。背後から襲いかかられたから、私自ら、手を下してやった」
 何がおかしいのか、女王は笑い続けている。
 ブッフェンは一歩退いた。
 少し離れたところにいた兵士に、小声で問いかける。
「大丈夫か?」
「は? 何がでしょう?」
「何がって……あの女王陛下サマサマだ」
「陛下の頬の傷は、本当にかすり傷程度ですよ。矢には毒も塗られてませんでした」
「そうじゃなくてだな……」
 言いかけたが、面倒になってやめた。
 そもそも護衛のくせに女王の背後を襲いかからせたような無能に、彼女の変化が気づけているとは思えない。
 傍若無人な言動の女王であるが、中身はマトモであったはずだ。
 それとも、血に酔ったか……?
 いつの間にか、崖下から人は消えていた。全て駐留地に入ったのだろう。
「作戦会議を行う。来い」
 女王はぴたりと笑いをやめた。鎧の音を響かせ、颯爽と歩いてゆく。
 その背を見ながら、ブッフェンはやはり、彼女の異常を感じ取っていた。

 一つのテントには、将軍たちがそろい踏みしていた。奥の上座は、女王のために空いてある。
 入り口に近い場所に、ブッフェンは座った。
 目の前のテーブルには地図が敷かれている。ブレンハール、カプル国、ラビドワ国、その三国の地図……ちょうどこの戦争のためにあるような地図だ。
 その地図だけ見ても、我が国の国土の大きさは、カプルやラビドワと比較にならないほどである。しかもラビドワは、このエル・ヴィッカ地方をほとんど失いつつある。
 まさに大人と子供のけんか。しかも大人側は本気でやるという、容赦のなさ。
 大人には大人の事情や誇りがあるということだ。
 ――まあ、そんなことはどうでもいい。
 ブッフェンにとって、王位継承戦争以後、平和の中で待ちに待った戦い。彼は戦えればそれでいいのだから。
 女王が一段高い台の上にある、毛皮の敷かれた椅子に座った。
「作戦会議を始める。さて、フォートリエ騎士団と合流したこともあって――」
「ちょっとよろしいでしょうか、陛下」
 もじゃもじゃとした白ひげの将軍が、口を挟んだ。
「陛下に意見を申し上げることこそ、おそれおおいとは存じ上げております。しかし、どうか、お聞き下さい」
 女王はつと目を細めた。
「許す。話せ」
「は。陛下には、前線から退いていただきたいのです」
 ブッフェンは、やっぱり前線に出ていたか、と思った。
「なぜだ?」
「まず第一に、陛下の安全を考えてのことです。前線に出て雑兵と同じ場所で戦われることは、あまりにも危険すぎます。我々は、陛下が頬に傷を負ったと聞いただけで、心の臓が止まりそうになりました。王位継承戦争の折のように、ぜひとも後ろで」
 そうですそうです、と他の将軍達も同調してうなずく。
「私は竜に乗っている。不安がることはない」
「その竜も、問題なのです。……脱走兵が増えています。脱走した者を捕らえたところ、『目の前で人が竜に食われるのを見たら、怖くなった』……だから逃げたと、言っています」
「ロルの粉は、全員に支給しているだろう? ロルの粉さえ振りかけていれば竜は襲わないと、しっかりと伝えたはずではなかったか?」
 女王は苛立ち混じりに、肘掛けを指で叩く。
 そう言われたところで、怖いものは怖いのだ。
 ブッフェンは10年ほど前、デュ=コロワのいる竜騎士団で、初めて竜を見た。そのときの第一印象は、やはり恐怖であった。
 これは人間とはわかり合えない種族だと、敵であると、本能的な部分で感じた。
 あんなのと仲良くなろうと思えるのは、『泰平を築く覇者』の印を持つ女王と、デュ=コロワのような変質者くらいなものだろう。
 ブッフェンが考えたのと同じようなことを、白ひげの老将軍は力説する。
「怖いものは怖いのです。竜を怖がることこそ、当然なのです。事実、ラビドワ国軍を見れば、竜を見て即座に逃げ出す兵士も多いでしょう。我が軍も同じです。特に我が軍のこの本隊は、徴兵してきた平民が多数います。十分に訓練されているとは言い難い人間です。陛下、前線へ立つのはおやめください。後ろで構えていてくださってこそ、我らは安心して戦いにゆけるのです」
 女王は乱暴に立ち上がった。拍子に椅子が倒れた。
「ふぬけ共め!」
 そんな言葉を残して、彼女はテントから出て行ってしまった。

 ……女王の後にしたテントの中は、恐慌状態になった。
 女王陛下を怒らせてしまったどうしよう、と誰もが慌てふためいている。これが歴戦の将軍達の姿かと思うと、ブッフェンは笑いそうになったが、あまりにばかばかしくて笑えなかった。
 とにかく、作戦会議は中止になったわけであり、ブッフェンはテントを出た。
 ぽりぽりと頭を掻きながら出てみると、内部と同じように慌てふためいている兵士が集まってくる。
「どうなさったのですかっ!? 陛下が大層お怒りのご様子でしたが……!」
「……いや、その、ねえ?」
 ブッフェンは空を見上げる。空は砂埃が散ったように、黄ばんで見える。
「とにかくブッフェン様、陛下のお怒りをお静めください! 陛下はテントの裏にいらっしゃいますから!」
 またもや、ブッフェンは面倒そうに頭を掻いた。
 しかし、若々しい兵士達のすがるような目。女王が怒ったら天災でも降りかかってきそうなほどの、真剣な目である。
 彼らのような王第一主義者、いや、王原理主義者たちは、かなり多い。王は偉くて尊いのだ、という教えを骨身にしみこませた人々である。
 しぶしぶ、ブッフェンはテントの裏に向かった。
 裏といっても、駐留地自体が奥行きのある場所を確保したわけではない。テントの裏は、すぐ森林が広がる。
 女王は木に手をついて、うなだれていた。
「さっきのようなガキみたいなマネは、さすがにないんじゃないでしょうかねえ」
 ブッフェンはとげを含んで彼女の背中に声をかけた。
「あの将軍たちの言うことは正しいでしょ。そりゃわたしは戦争したらどうだとは言ったし、好戦的な女王陛下は前で戦いたいかもしれない。が、ちょっとは節度を守ったらどうだ? お前、ちょっと戦場から離れた方がいいんじゃねえか?」
 先ほどの異常な言葉の数々を思い出す。少し、血から離れた方がいいだろう。
「それでも前線に出るっつうなら、わたしゃ力業を使ってでも、前線に出るのを止めますよ」
 女王はゆっくりと振り返った。
 彼女の顔は、青白かった。弱々しく口の端を上げる。
「……そうしてくれると、助かる」
 ブッフェンは訝しげに眉を寄せる。
 彼女の今まで暗かった瞳に、弱いながら光が宿っていた。
 ――それが、ブッフェンがこの戦いの中で見た、最初で最後の『マトモ』な女王の顔だった。

 その後、戦いは大方の予測通り、圧倒的な力をもってブレンハールがラビドワ国に侵攻してゆく。
 王城に攻め入ったとき、ラビドワ国は崩壊した。
 その後のラビドワ国の分割や、カプル国の今回のことへの感謝の印としての貢ぎ物は、些細な問題である。

 さて、戦いの中で、女王はというと、あの作戦会議以後も前線に出たがった。
 ブッフェンは縄でしばりつけて前線に出るのを止めていたのだが、これに他の将軍達から非難の声が続出した。
 白ひげの老将軍曰く、『女王陛下に何てことをするのだ。陛下の御意志ならば、前線へ出せばよい』と。
 あの作戦会議での意見はなんだったのだ、と問うと、『あれはあくまで臣下としての意見にすぎん。陛下の御意志と決断が、何にもまして最重要に決まっておろう』というわけだ。
 他の将軍どころか部下達からも非難され、女王は相変わらず前線に出たがる。
 そんな状況にばからしくなって、ブッフェンは女王を止めるのをやめた。
 女王は嬉々として愛竜のギーに乗って、前線に出るようになる。もはや止めるものはどこにもない、誰にもない。

   *   *

 ブッフェンは後に思う。
 このエル・ヴィッカの戦いの戦場にデュ=コロワか宰相がいれば、何かが変わっていただろうか、と。
 デュ=コロワはまた違った選択をするかもしれないが、結局ブッフェンと同じ道をたどりそうな気がする。
 しかし、宰相がいれば、何かが変わっていたかもしれない。
 そう思うのは、女王が城へ凱旋した日に宰相が彼女にしでかしたことを、後になって聞いたからだろう。




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