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   ランドセルは冒険道具!――中編――



「おーきーろー! 朝だよー!」
 奈津は熟睡するレナートの身体をゆさゆさと揺すった。
 昨日はえらそうに起こしたくせに、今日はぐっすり眠っている。
「朝だって! このワカメ頭〜!」
 馬乗りになって顔をつねると、さすがに「いだだだだ!」とレナートは目を覚ました。
「乱暴な起こし方しやがって……。そんなのじゃ、いい女になれないぞ」
「いい女の起こし方ってどんなのだよ?」
「いいか? まず起こすときには優しく揺すり、『もう、起きないんなら……』とか言いながら、頬にキス。そんでもって、俺ががばーっと……」
 どこの男の妄想だ。
 奈津はもっと頬をつねってやった。
 宿屋は日本風な畳の宿ではなく、ベッドとテーブルが置いてあるだけの、慣れない落ち着かない場所だった。
 二日連続、無断外泊ということに、奈津は、
(お母さんは心配しているだろうなあ……探し回っているかも……)
 と、しゅんとなりながら、一階の食堂に降りた。
 もう五年生だからある程度漢字も読める。だけど、その食堂に書いてある文字は、日本語ではなかった。英語でも、ないと思う。
 困っていると、頬を赤くしたレナートが勝手に頼んだ。
 和風に、白いご飯と葱のみそ汁に、焼き魚と卵焼きか、それとも洋風に、パンにバターかジャムと、目玉焼きにオレンジジュースか。
 のどちらかだと思った奈津は、レナートが運んできた料理に、目を丸くした。
 丸いクレープ生地のようなものを何枚かと、魚をほぐして何かと和えてあるもの。白いたれと黒いたれ。
 これは何料理なのか。
 奈津はどう食べるのかもわからず、手も出せなかった。
「ほら、温かいうちに、さっさと食え」
 レナートはわかっているようで、クレープ生地のようなものを皿に取り、魚の和え物に手を伸ばそうとしていた。
「……これ、何?」
「何って、クーリマだろ。……知らないのか? 本当に、ずいぶんと遠くから来たんだなあ」
 レナートはしみじみとした調子で言ったが、どこか哀れみの情が含まれているように感じたのは、奈津の気のせいだろうか。
「この生地を取って、この魚の具を生地全体にまんべんなく塗るんだ。端はあけろよ? 食べてるときにはみ出してしまうから。そして、くるくると巻く。あとは、このたれにつけるんだが、白い方は辛いから、つけない方がいいだろうな。あとは、ぱくっと、口に入れる」
 レナートの言うとおりにして、おそるおそる食べてみた。
 生地はクレープのような甘みはなく、もちもちとして、お腹にたまりそうな気がした。具の魚の和え物はよくわからない、辛いような酸っぱいような味がする。
 絶対に、今まで食べたことがない。
 ところが、周囲の他の宿の客も、普通に戸惑うことなく食べている。
(ここ……本当に、どこなんだろう……)
「ああっ、ほら、こぼれてる、こぼれてる。だから言わんこっちゃない」
 周囲を見ているうちに、このクーリマという食べ物の中身が、手にこぼれてしまっていた。レナートはナプキンを奈津に渡す。
 奈津は手を拭く。
「あ、手だけじゃなくて、顔にもついてるじゃねえか」
「え?」
「……右の頬の……面倒だな」
 レナートは立ち上がり、テーブルの向かいから奈津の元へ来て、ナプキンで奈津の顔をごしごし拭く。
 奈津は恥ずかしくなった。
「こ、こんなの、奈津、自分でできるもん!」
「そーゆーのは、こぼさなくなってから言いな。服はこぼしてないな? ……って、がきんちょ、お前の服、変わったやつだなあ」
 奈津の服は制服だ。
 小学校で珍しいかもしれないが、私立のかわいいチェックのスカートと上着。帽子付きである。
「まさか『空魚さまの賜物』……じゃ、ねえよなあ。こんながきんちょが、そんなわけねえか」
 レナートは何か、小さくつぶやいていた。奈津には意味がわからず、首を傾げる。
「ああ、何でもねえよ。にしても、やっぱ、変な服だな」
「レナートの方が変だよ」
 彼は黄土色のどこか汚れたマントをつけて、下には鎧のようなものをつけている。さらに、腰には、剣……みたいなものがある。
(まさか、本当のではない……よね)
 劇の衣装のようだ。周囲の人も、変な服ばかりだけれど。
(……もしかしたら、ここは劇や映画の俳優さんばかりの街なのかな……)
「俺の服が変……そうか?」
「うん」
 街の中がこんなにへんてこなら違和感はないが、やっぱり一般的におかしい。
「……そうかねえ。これでも良い方だと思うが。ふむ。女にもてるためには、もっとセンスを磨くかね」
 センス云々よりも、一般常識の方が必要だと思う。……だけど、ここにいると、奈津の方が常識のない気分になる。
「女にもてるって……相変わらずだねえ、レナート」
 気だるい雰囲気をまとった女性が、テーブルの前に立った。
 奈津はまたもびっくりする。
 褐色の肌のその女性は、鼻の形や目の形が、まるで猫のようなのである。銀髪が短く切りそろえられ、手には長いキセルを手にしている。
 ぴったりとした服を着ている。脚が細くて、モデルのようだ。
 気だるげながらくっきりとした瞳は、ごろにゃんとすり寄る猫と言うより、黒豹を感じさせる。
「カーラ! 久しぶりだ! 会いたくて会いたくて、死にそうだったぜ!」
 レナートは満面の笑みで彼女に近づき、馴れ馴れしく肩を抱く。
 彼女は奈津を見下ろす。
「……で、子供をこさえてたのかい?」
「おいおい、カーラまで俺を疑うのかよ……」
「日ごろの行動を省みたらどうだい?」
 キセルの頭で、こつんとレナートの額を叩く。
「こんなでかいがき、いつ作るっていうんだよ。俺が十六なの、知ってるだろ? おい、がきんちょ、お前いくつだ?」
 むっとしながら、奈津は答える。
「……十歳」
「ほうら。俺がこいつを作ったとしたら、六歳のことになるじゃないか」
「おっそろしいねえ。六歳で……」
「カーラ。もちろん冗談で言ってるよな?」
 カーラはキセルを吸う。しばらくしてから、煙を静かに吐き出した。
「それで、私を呼んだのは、どういうことだい? もう別れたんだ。関係ないだろ?」
 レナートは奈津を見る。子供だとばかにするようなものではなく、真面目でしんみりとしたような表情だった。
「このがきんちょを、預かって欲しい」
「え!?」
 奈津は驚きに顔を染めた。
「預かるだけじゃなくて、育ててもほしい」
「な、に、言ってるの!! 奈津は、うちに帰る! 預かるって、育てるって、何!?」
「黙ってろ、がきんちょ」
「黙らない!」
 レナートは眉を上げ、口を大きく開けた。
(怒られる――!)
 奈津はきゅっと目を閉じる。
 だけど、レナートは考え直したのか口を閉ざし、優しく奈津の肩に手を置いた。
「……いいか、お前はもう、家に帰れないんだ」
「な……」
「おっかさんも、お前が家に帰ってくるのを、望んでないんだよ」
「そん、な、こと、ないもん……!」
 奈津は動揺のあまり声が潤んだ。
(お母さんが、帰ってきて欲しくないと思ってる? そんなこと、あるはずない。……あるはず、ない……。それに、レナートにわかるはずがない……)
 二人の会話を聞いて、カーラが理解したように、うなずいた。
「そういうことかい。不憫だねえ。手を貸してやりたいよ。……だけど、預かれないよ」
「頼めるのはカーラしかいないんだ。他にいないんだ。なあ、俺にできることなら何でもする。もう他の女に走ったりはしないから、なあ」
 レナートはカーラの肩をもう一度抱くが、彼女はふりほどいた。
「あんたがこの子に手を貸してやりたい、って気持ちはわかるし、私もそうしてやりたいと思う。……けれど、そういう問題じゃないよ。人間一人預かるっていうんだ、簡単に応諾できないことだよ。とても、残念だけれどね」
 彼女は奈津をすまなそうに見下ろす。
 熟慮し、冷静に人を預かる責任を考えて断わったことが、その目を見れば、よくわかる。
「……そうか。悪かったな、無理な頼みをして」
「いいよ」
 カーラは颯爽と去っていった。
 途端に、レナートは大きなため息をつく。
「あー、くそ、あいつが最適だったんだけどなあ。……カーラにも都合があるし、仕方ないか」
 奈津は彼女に引き取られず、ほっとしていた。
 カーラが気に入らなかったわけではない。けれど、急に誰かのところへ引き取られるなんて、受け入れられることではない。
「ねえ、奈津がうちに帰れないって……ほんと?」
「ああ」
 レナートは簡単にうなずいた。
「おっかさんに会おうと思うのは、諦めな」
「…………」
 奈津はショックを受けていた。
 母と会うのは諦めろ、母は会いたいと思っていない、という言葉は、まだ子供の奈津に、大きな衝撃を与えていた。
 そんな奈津の手を、レナートが引いて歩き出した。慌てて、横に置いてあったランドセルを取る。
「どこ、行くの?」
「お前を預かってくれる心優しい女に会いに行くんだよ」


「まあ、ナツちゃんというのね? うふふ、これからは、私をお母さんと呼んでちょうだいね」
 奈津はあきれ果てていた。
 コダッパラルの、バザールの一角である。果物(多分)屋の娘に、レナートと奈津は向き合っていた。
 それはふわふわとした砂糖菓子のような女性。カーラとは対照的な、かわいらしいタイプだ。この人は動物らしいところもなく、普通の人間らしい人である。
 どうやら、レナートとつきあっている……らしい。
 レナートが奈津のことを説明し、預かって欲しい、と言うと、この女性は即決した。
「ほら、呼んでちょうだい。お母さん、って」
 言えるわけがない。
 口を一文字にして閉ざしていると、レナートが助け船を出してくれた。
「まあまあ、会ったばかりでは、な」
「……それも、そうね。ねえ、レナート。約束は忘れないわよね? 私がこの子を預かったら、もう他の女のところには行かない、って」
「ああ、約束だ」
 奈津は顔をしかめた。
 これでは奈津は、この女がレナートの心を繋ぎ止める道具ではないか。
 いろんな女のところへ行くレナートもレナートだが、この女もこの女だ。
「助かったぜ。お前以外、頼れるやつなんていないからな」
「まあ、うふふ」
 で、レナートはまた、彼女の肩を抱く。
「あ、ナツちゃん。ちょっと外で遊んできてちょうだい。お母さんとお父さんはこれから……ね」
 お母さん? お父さん?
 奈津はむかむかしてきて、言ってやった。
「ねえ、レナート。他に頼れる人はいないって言ったけど、さっきのカーラさんは、どうなの?」
 ぎくりとレナートの顔がこわばった。
 肩に抱かれた彼女は有頂天だった様子から、急転直下、ブリザードのような空気を身にまとう。
「カーラ……? どういうことなの……? レナート」
「あ、いや、このがきんちょの、勘違いで……」
「あのねえ、さっきレナートがカーラさんを呼んで、奈津を預かってくれって頼んだんだよ。『カーラの他に頼れるやつはいないから。他にはいないから。もう他の女のところに行かないから』って」
 言ってやると、奈津はすっきりした。
「レナート……?」
 彼女がゆうらりとレナートを見上げる。
「ごっ、誤解! このがきの、たちの悪いジョークだって!」
「ひどい……騙したのね……私の心を弄んで……」
 じわっと、砂糖菓子のような彼女の瞳に透明な美しい涙がにじむ。
 奈津はこのときになって、悪いような気持ちになった。彼女が悪いわけじゃない。やっぱり、言わなかった方がよかったのかも、と。
 彼女を泣かせ続けるのは悪い。
 奈津はなんとか泣くのを止めようと思った。さっきのは嘘だよ、と言うか、慰めるか。
 そのどちらかで迷っている内に、彼女はかっと瞳を見開き、
「こうなったら、あんたを殺して、私も死んでやる!」
 と、屋台の裏から刃物を取り出した。
「きゃあっ!」
 奈津は悲鳴を上げた。
 刃物はおそらく、果物を切って試食させるためのものだ。だが、殺傷能力はもちろんある。きらりと刃が光る。
 彼女は猛然と、刃物を振りかざす!
 ひゅっとレナートの胸の前、すれすれを通る。
「お、おちつけ……! 俺が、わ、わるかっ……」
「死ねえ!!」
 彼女は屋台から外へ果物を踏みつけながら出ると、レナートに刃物を振り回す。
 謝ってもどうしても聞き入れず、顔を赤くして彼女は刃物を振り回し続ける。もう鬼だ。砂糖菓子の甘さはどこにもない。
(な、なにこの人! こわっ!!)
 奈津は硬直してがくがくと震える。
 レナートは奈津の手を引くと、全速力で逃げ出した。
「まてぇぇぇえええ!! 死ねやコラ――!!」
 彼女は刃物を振りながら夢に見そうな形相で追いかけ回す。
 なんとか振り切ったときには、奈津もレナートもくたくたになっていた。


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