ランドセルは冒険道具!――後編――
走り回って、疲れて奈津とレナートは昼食をとっていた。
白いまるまるとしたものが串に刺さっている。
朝食同様よくわからなかったけれども、食べると、イカ焼きを思い出した。中には米……のようなものが入っている。包んでいるのはイカではないが、イカに近い味だ。少ししょうゆを垂らして焼いて欲しいなと、がじがじ食べながら思った。
「たーく、がきんちょのせいで、とんでもないことになったぜ」
隣でレナートが大口で同じものを食べている。
「レナートのせいじゃん! 適当なこと言って……。けど、あの女の人は普通じゃないよ。すごくこわかった……」
あんな女の人に預けられそうになったかと思うと、もっとこわくなる。
「はっはっは。やっぱりがきんちょはがきんちょだな。恋愛っていうのは、ああいう修羅場を何カ所もくぐり抜けていくものだぜ。ふ、ろくな恋愛してないな?」
刺されそうになる恋愛の方が、ろくなものではないと思う。
誰でも女なら手当たり次第なレナートの恋愛がろくなものでないのは、当然か。
「食い終わったら、別の女性のところに行くぞ。……あ、今度こそは、何も言うなよ?」
「……それで、お母さんって呼ばなきゃいけないの?」
奈津はイカ焼きもどきに視線を落とす。
「いやだよ……。奈津のお母さんはただ一人だもん。お父さんがワカメ頭なんてのも、やだもん……」
「ワカメって、しつこいな、お前も」
うちに帰りたい、と奈津は思う。
お母さんはお母さんだし、別の人をお母さんだと言うなんて、考えられない。
同時に、このワカメ頭がお父さんなんて、思えない。
「……そうだな、確かに、お前の気持ちを考えてやらなかったのは悪かったよ。おっかさんを恋い慕うのは当然だよなあ」
奈津はぱあっと顔を明るくさせた。
「けれどな、お前を家に帰してはやれねえ。俺は旅するつもりだが、どこかに預からせなくちゃ困るんだ。……ううん」
悩みつつ、レナートは食べ終わった串を、店先のゴミ箱に放り込む。
「……これしかないか」
奈津は口の中を一杯にしながら、首を傾げた。
コダッパラルの街を抜け、西の森林の中には、一本細い道が通っていた。
森は甘い匂いがした。どこに匂いの源があるのかと思いながらレナートに連れられ歩いていたが、森全体が甘いような気がする。
木自体はまっすぐ太陽に向かって伸びているのではなく、くねくねと曲がっていて、目が回りそうな気がした。
葉が敷き詰められた森であるが、小道だけはきれいに掃かれているのか、土色の地肌が出ている。
しばらく進むと、小さな家があった。
大きな樹と一体になったような、小さな家である。大樹が枝で家を守っているかのようだ。家には煙突が突き出し、白い煙が空へ向けて絶え間なく出ている。
石造りの、あまり見たことのないタイプの家だ。
奈津は、ここが日本ではないのではないかと考え始めていた。
ハワイはアメリカだけれど日本語が通じるというし、それと似たような場所なのではないか、と。
外国のことはよくわからない。けど、動物のような人々やワカメ頭も普通な国があるのかもしれない。
セン君と遊んでいたときに、どうやってそんなところへ運ばれたのか、想像もつかないけれど。
レナートが扉を叩くと、しばらくして開かれた。
「あっ、レナートちゃんっ」
出てきたのは、またも女。
前と同じく付き合っている人なのかな、と奈津は冷めた気持ちで思った。
その女性はレナートの影に奈津がいるのを見ると破顔した。
「レナートちゃん、まあ、こんなかわいい子を作って!」
奈津は意表を衝かれた。
レナート関係の二人の女性と会ったが、奈津の存在を喜んだのは、初めてだ。
レナートは頭を抱える。
「どーして、みんな、俺の子供だと誤解するんだ……。こんなでかいがき、できているはずがないって、わかってるだろ? 姉さん」
(姉さん?)
よく見ると、奈津の頭を撫でている女性は、若草色の髪をしている。レナートのエメラルドグリーンと似ていると言えば似ている。
「だぁかぁら、信用をなくすようなことはするんじゃありません、って言ったでしょ? レナートちゃん、ちょっとは勉強したかしら?」
レナートは困ったような笑みを浮かべて、頭を掻いた。
「……姉さん、ちょっと、このがきんちょのことで話したいことがあるんだけど、いいかな?」
レナートの姉は彼の瞳の奥を窺い見るようにして、扉の中へいざなう。
「このがきんちょはうるさいから、できれば二人で外で」
「な、奈津、うるさくないよ!」
できるだけ静かにしているつもりだ。……我慢できなくなるまでは。
レナートは「はいはい」と言いながら奈津を家の中へ押し込めた。
家の中は、女の人の部屋、という感じが目一杯にした。
凝ったテーブルクロスがテーブルに敷かれ、その上にバスケットがあった。中には、クッキーのようなお菓子がある。
焼きたてのようで、甘くておいしそうな匂いがただよってくる。
奈津は手を伸ばそうとして、ふるふる頭を振った。
(だ、だめだめ。勝手に食べるのは、やっぱりだめだよね……)
別のところへ目を向けると、部屋の隅にはたくさんぬいぐるみがあった。
十個どころではない数の、大小さまざまなものが積んであったり、飾られていたりしている。ただ、何の動物かわからないものも多かった。
そのぬいぐるみたちを見たり、抱きしめたり、投げたりしているうちに、二人は戻ってきた。
「ナツちゃん。今日からね、うちで預かることになったの」
奈津は驚く。
「お母さんと呼んでなんて言わないわ。ナツちゃんのお母さんは、ただひとり。……けれどね、ナツちゃんのおうちを探すのが、難しいの。レナートちゃんが探してきてくれるから、それまでうちで待ってましょ」
「…………」
「がきんちょ。いいか、姉さんは身体が弱いんだ。だから、お前がおっかさんといたときと同じくらい何でもしてくれるとは思うなよ。俺はお前を信じて、身体の弱い姉さんのところへ預けるんだからな。姉さんのことを思いやって、ここで、良い子で暮らしていけるな? 俺が、代わりにお前の家やおっかさんを、探してやるから」
「……待ってたら、お母さんのところへ帰れるの?」
「約束はできない。けど、俺は精一杯努力してやる」
「本当に本当?」
「ほんとのほんとだ」
奈津は、ここが普通でないと、薄々感づいていた。
すぐにうちに帰れるとは、もう思えなくなっていた。
けれど、この知らない人ばかりの中で、一番信じられるのは、レナートだ。
だから。
「うん」
奈津は力強くうなずいた。
レナートは奈津の頭をくしゃくしゃに撫でると、惜しむ間もなく、扉へ向かった。
奈津は母鶏を見るひよこのような目をして、レナートの背を見送った。
「じゃあ、今日からよろしくね」
「よ、よろしくお願いします。えっと、レナートのお姉さん」
「私はビーチェ。いろいろ教えておきたいことはあるけれど、まずは落ち着いて、お菓子でも食べましょ」
ビーチェは奈津を椅子に座らせ、バスケットを手に取った。
「どうぞどうぞ。いっぱい食べて、大きくなるのよ」
いつもは――お母さんなら、お菓子は食べ過ぎちゃいけません、夕飯が食べられなくなるから、とたくさんは食べさせてくれなかった。
そこに、たくさんの匂い立つお菓子。
誰も叱る人もいない。
奈津は笑顔で、手に取って食べ始めた。甘くて、どこかハーブのような香りがして、おいしかった。
そんな奈津を、満足そうに見るビーチェ。
「あ」
と何かに気づいたようにビーチェは声を上げた。
「いけないいけない。忘れてたわ」
彼女はぱたぱたと台所に向かう。
不思議に思って、しばらくしてから奈津が追った。
台所は、奈津の家の台所とは違った。
冷蔵庫や炊飯器やガスレンジもない。
煉瓦で組まれた大きな物体が家具のようにあり、中から音をたてている。耳を澄ますと、火が燃えている音だ。
その巨大な何かは上に管があり、天井にまで繋がっている。
確か、外から見たところ、煙突があったはずだ。
(あっ、これは、かまどなんだ)
奈津は頭にぴんと来た。
本の挿絵で見たことがある。
何の本だっただろう……とても有名な話だった気がする。
「うふふ」
ビーチェが含み笑いをし、かまどの戸を開ける。火が燃えさかっている。
火がビーチェの頬を照らし、長い影を作り出す。
奈津にはその笑い方が不気味に見えた。何が楽しいのか。
そのとき、奈津はかまどの話を思い出した。
(……ヘンゼルとグレーテルだ……!)
小さいときに読んだので、細部はあやふやだけれど、最後に魔女がグレーテルをかまどの中で焼き殺そうとし、それを察したグレーテルが逆に魔女をかまどで焼き殺すことは覚えている。
ビーチェが覗き込んでいるかまども、子供ひとりくらい入れそうな大きさだ。
「ふふ」
ビーチェはかまどの中を棒でかき回しながら、またも含み笑いを浮かべる。
火が大きくなったり小さくなったりするもので、影も伸びたり縮んだりする。
「これくらいでいいかしら。……今日はお祝いだわ。久しぶりに、まるまると太った子が手に入ったし……」
奈津は目を見開いた。
(ま、まさか、奈津のこと!?)
そんなに太っているとは思わない。……けれど、モデルみたいに痩せているとも言えない。
さっきお菓子を食べていたとき、ビーチェはとても楽しそうにしていた。そして次々に奈津に食べさせた。
『いっぱい食べて、大きくなるのよ』
なんて、魔女のヘンゼルへのセリフのようだ。
(だ、だけど。だって、レナートのお姉さんだもん……)
心臓をどくどく言わせながら考えている間に、ビーチェはかまどの中の灰や薪を寄せ、スペースを作った。子供が入ることは可能だ。
「ああ、楽しみだわあ。こんがりと焼いて、おいしくしてあげるから、待ってなさい……でも、一人で食べきれるかしら……少しずつ食べていけば大丈夫よね。今日は足を食べ、明日ははお腹を食べて……一人だと五日はもつわねえ」
ふふふふふ、と笑う姿を見て、奈津はぞっとした。そして頭の中で、自分が丸焼きになって足を食べられ、腹を食べられる姿を想像し、恐怖の限界が突破した。
奈津は居間に戻るとランドセルを取って、家を飛び出した。
恐怖の魔女の家を飛び出した奈津は、コダッパラルに戻っていた。
街の入り口で、途方に暮れていた。
(どうしよ)
それに奈津の全ての悩みが凝縮されていた。
奈津はここへ来てから、家に帰りたいと思っていながらも、レナートについてきていた。
誰かに預けられるなんてことになり、不満に思っていたのは確かだ。が、こうしてレナートもいなくなり自由になっても、途方に暮れるだけだ。
何度もレナートに家に帰りたいと言ったものの、奈津自身、帰り方も帰り道もわからない。
「おや、レナートの連れてた子じゃないかい」
座り込んでいた奈津の前に、カーラがいた。買い物帰りなのか、たくさんの荷を抱えている。
「こんなところでしょぼくれて、ん?」
「…………」
奈津は顔を一度上げたものの、落胆したように下ろした。
「……レナートは街を出て、この道をまっすぐ向かったよ」
奈津はもう一度、はっとしたように顔を上げた。
カーラは気だるげな動きで道の先を指差す。
「走っていけば、追いつけるかもねえ」
奈津は立ち上がる。そして、ぺこりと頭を下げて、躊躇せず走っていった。
レナートのお姉さんのことは、恐怖であった。
けれど、奈津の身体に染みついたように、信頼できるのはレナートになっていた。
子供一人が走っていく様子に、街へ向かう人々は一瞬振り返る。
奈津は時折石につまずいて転けながら、そのたびに、きっ、と顔を上げ、もう一度走り直す。
周囲の山々には目もくれず、奈津は走る。
けれど、向かいから「ひぃっ」と言いながら通り過ぎて行く人を見たら、さすがに、変に思った。
何かから逃げてきたような……。
それでも、奈津は先へ走る。
「レナート!!」
男の野太い声で、彼の名を叫ぶのを聞いたとき、奈津は、
(やった、追いついた!)
と喜んだ。
だけどそこには、男達に囲まれ、刃物――剣を向けられた、ピンチのレナートがいたのだった。
レナートを囲んでいるやつらは、奈津にはまだ気づかない。
「スタンルルの将軍からの命だ! 将軍のお嬢さんに手を出したむくい、受けてもらう!」
「ああ、いやだねえ。俺が手を出したくなるくらい魅力的なお嬢さんだった、と受け取ってくれればいいのに。いや、実際かなり魅力あるお嬢さんでね、楚々としたところが、なんともたまらなくて……」
ぺらぺらとまくし立てるレナートに、周囲の男は剣を握り直す。
「やかましい! 覚悟しろ!」
三人の男が、一斉に、レナートに襲いかかる。
「レナート!!」
奈津が思わず青ざめながら叫んだ。
レナートは目をむく。
「ばっ、がきんちょ! どうしてこんなとこに……!」
「なんだ、この子供。仲間か、一緒にやっちまえ!」
男の一人が、奈津に向かう。
(こわいっ! でも、でも、じっとしてちゃだめだ……! こんなとき、こんなときは……!)
奈津は悲鳴を上げそうになりながら、背負っていたランドセルの側部に手を伸ばす。
『――いいですか、昨今、子供を狙った犯罪が増加しています――』
学校の先生の言葉がよみがえる。
『――犯罪に巻き込まれそうなとき、身に危険を感じたとき、コレを使って――』
奈津は教えられたとおり、一気にそれを引っ張った。
ビー! ビー! ビー! ビー! ビー! ビー……
大音量の、警音が響き渡った。
「わっ!! なんだこの音!?」
耳を押さえても聞こえてくるような、大音量である。鳥も飛び立つ。
男達は顔を見合わせつつ、すたこらと逃げて行った。
まだブザーは鳴っていた。
レナートもびっくりして腰を抜かしている。
奈津はランドセルを下ろし、防犯ブザーを元通りに直した。するとようやく、音は鳴りやんだ。
「やるな! がきんちょ!! すげえもん、持ってるじゃねえか! なんなんだ、それは」
レナートは褒めちぎりながら近づいてくる。
「本当はね、誘拐されかけたり、知らない人に馴れ馴れしく変なところを触られそうになったら、ってもらったものなんだけどね」
レナートは彼女の頭を撫でようとした手を止めた。
「……にしても、どうして追ってきたんだ? 姉さんのとこで待ってるって言ったろ?」
「だって! ビーチェさん、奈津を食べようとしたんだよ!」
「はあ?」
「ま、まるまると太った子をこんがり焼くって……!」
奈津の手足ががくがくと震えてきた。
「何言ってんだ? ……あ、そういえば、太った大鶏を一羽もらったって喜んでたけど……」
「違うよ! だって、一人で食べるって。でも一日で食べ尽くせないから、今日は足、明日はお腹だって……!」
足やお腹が痛くなってくるような気がした。
「はあ…ん。それは、お前が一人で大鶏を食う、って話だよ」
「え?」
「姉さんは身体が弱くて、大鶏なんて食えないんだ。料理するのは好きなんだけどな、自分ではあまり食べられない。だから、お前に食わせようってことだよ。でも、お前も子供だし、一日では食えないって話だろ」
「…………」
何を誤解したんだ、とレナートの目が言っている。
「しゃあねえなあ。もう一度姉さんのとこに戻るか」
「……ねえ。奈津、レナートについていっちゃ、だめ?」
すでに歩きかけたレナートは、振り向いた。
「さっきの、忘れたのか? 俺はとある世界を揺るがす重大な事情で追われてんの。危険なんだよ」
「どこかのお嬢さんに手を出したとかそういう話の、どこが世界を揺るがすの?」
聞いていたのか、とレナートは目をそらして言葉を詰まらせる。
「危険でも、奈津、レナートについていきたい」
「姉さんとこにいた方が、いいって」
「行きたい。だって、奈津も、自分で家に帰る方法、お母さんにもう一度会う方法、知るために動きたいもん。待ってるだけじゃ、つらいよ」
レナートはワカメ頭をがしがし掻いた。
「……姉さんとこ、戻るぞ」
「レナート!」
悲しさと、懇願のにじむ声だった。
「勝手に飛び出してきたんだろ? 姉さんが心配してる。――旅は、それからだよ」
「レナート!」
今度は歓喜の声だった。
奈津はレナートに抱きついた。
「あーちくしょう、こんながきんちょ連れて、各地で俺のかわいい女達に説明するのが面倒だぜ」というレナートの言葉は、無視することにした。
心が浮き上がるような気がして、奈津はレナートと手を繋いで、コダッパラルへ向かった。
空で高速で何かが通り過ぎるような音がした。
飛行機かな、と思いつつ、奈津は空を見上げることはなかった。
レナートとさえ一緒ならきっとお母さんとまた会えると、信じられる。奈津は強くレナートの手を握る。
頭上の空には巨大な魚が飛んでいた。風を切り、空を行く。
レナートは見上げながら、縁起がいいな、と笑う。
ぽちゃん、と空で水音がしたような気がした。
* *
むかしむかし、ザルガシーには、生き物は何もなかったと言われる。
ただ冷たい大地だけが転がっていたそうだ。
あるとき、空魚が『他のところ』から生物を取ってきて、ザルガシーに落とした。そうやって人が、植物が、動物が増え、それぞれが混じり合っていった。
落とされてやってきた生物は、『空魚さまの賜物』と呼ばれ、祝福される。『空魚さまの賜物』のうち、特に人に近いものは、いろいろなものを伝えてくれたからだ。
言葉、技術、『他のところ』の話……。
新たな『空魚さまの賜物』は、ザルガシーに何を伝えるだろうと、人々は楽しみに待っている。
だけど、たまに、『空魚さまの賜物』だと気づかない、気づかれない人もいたりする。
『空魚さまの賜物』が『他のところ』に帰ったという話は聞かない。が、前例は必要ではない。もともと『空魚さまの賜物』は、今までなかった智恵や知識を教えるもの。
『空魚さまの賜物』が、今までなしえなかったことをしても、何ら不思議はないのだから。
そして奈津は、今までにない道を進むのだ。
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