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奪ふ男

――ジョーカー 2−3――


 次の日に僕とルリは一緒に登校した。教室に入るのは、いつもチャイムが鳴るぎりぎりだ。それは家を出るのが遅れたためでも、もしくは歩くのが遅いためでもない。ルリが教室に入るのを後らせるためだ。チャイムが鳴る直前まで中庭で話に花を咲かせ、そして時計を見てちょうどいいくらいに、教室に向かうのが最近の僕たちの習慣だ。
 チャイムぎりぎりというのは、最も生徒がクラスに駆け込む時間だ。走ってくる奴もいれば、遅刻寸前と知っているのか知らないのかゆっくりと歩いている奴もいる。
 ……榊は、後者だった。
 ふわあ、と大きなあくびをしている彼は、いつもと変わらない顔だ。普段が眠たそうな顔だが、本当に眠そうな時でも同じく見える。
「さ、榊君っ!」
 ルリが呼びかけると、教室に入る寸前の榊は振り返った。少し走り寄って、ルリは頭を下げた。
「昨日の遠足のとき、せっかく誘ってくれたのに、断わってごめんなさい」
「いーよ別に」
「そんな。あの、嬉しかったから。ありがとう」
「んなのいいから。俺に手助けできることがあるならしたいって思っただけだし」
 ……僕は、ルリの隣でそんな会話を聞いていた。
 当たり前のことだが、ルリと榊の交流を深めるこんな話を聞くために僕は黙っているわけではない。榊に言うことがあったから、僕はここで何もせずにいた。そうでなかったら無理やりにでも会話を打ち切らせていたか、そもそも榊の姿が見えたところで何かに理由をつけて別の道を通っていたかしていた。
「いい人だね、榊君って」
 そう言うルリに、僕は満面の笑みを浮かべて同調する。
「本当に良い奴だね。でも」
 良い奴、だなんて心にもないことを声に乗せてから、本題を口にした。
「もう二度とルリを誘わなくていいからね」
 ルリは驚いて僕の顔を見上げた。眠さに磨きのかかる榊がぴくりと剣呑な目で僕を見る。
 僕はルリの肩に軽く手を置いて、
「ね。ルリも、榊の助けは必要ないって思ってるだろ?」
 と促した。
 ルリは驚いた表情のままだ。急に僕がこんなことを言ったことに頭が追いついていないらしい。
 でも、僕は絶対にここで、ルリ自身に榊との繋がりを断ち切らせるつもりだった。
 榊のような人種は、僕が何を言おうとルリに直接何かを吹き込む可能性がある。ルリと榊の会話を聞いたのは二度。しかしその二度で、榊がこのままルリと繋がりを持てば、ルリに悪影響を及ぼすと理解するのに十分だった。
 ルリは黙っている。うなずきなよ。うなずくだけでいいのに。
 掴む細い肩に力を込める。
「……ねえルリ……まさか、榊に頼る気なんてないよね……?」
 昨日、榊でなく僕を選んだのに? それとも昨日のことは簡単に覆して、ここで、僕でなく榊を選ぶつもり? そんな恥知らずなことをするの? するわけないよね、ルリにはここで僕しか友達しかいないのに、今まで僕に頼ってきたのに、ねえ――そんな気持ちを含ませた目でじっとルリを見る。
 おびえるようにルリは僕の顔を仰ぐ。いや、仰がざるを得ないように、肩に回していた手を後ろから首と顎にやる。まだ夏には早いのにルリの額には汗が浮かんでいた。
 僕はルリから視線を逸らさない。プレッシャーをかけ続ける僕に、ルリは――首肯した。
「あの……榊君……これからは、誘ってくれなくて……いいから……」
 蚊の鳴くような小さな声だった。
 そうだ。
 この一言でいいのだ。ルリ自身から、これを榊に聞かせたかった。
 僕が言ったところで、『お前には関係ないだろ』と返答されるかもしれない。しかしルリ本人がそう言えば、話は違う。榊はもう、引かざるを得ない。
 榊は垂れた目に胡乱さを宿し、僕を注視していた。
「……谷岡さんって、金原に弱みでも握られてんの?」
「そんなこと、ないよ」
「あはは、変なことを言うね。そんなはずないじゃないか。僕とルリは仲の良い友達同士なんだから」
 場を和ませるために僕はことさらに笑った。
 弱みなら、ある。
 ルリに友達がいない、僕しかいない、という弱みが。
 だがルリはそれを『弱み』などと表現しないだろう。それを『弱み』なんて言えるほどルリは直視して立ち向かっていないし、強くない。
 逆にその弱さがしびれるようにたまらない。
「わけわかんねえ……谷岡さん、それでいいのか? そりゃ俺が手を貸さなくたって一人でできるっつうならいいけど、そうは見えないけど?」
「…………」
「金原といたって、友達できねえよ? このままでいいと思ってないだろ?」
 榊はルリを揺さぶる。ルリは顔をそらしながら、それでも揺さぶる榊の言葉に何かを返そうと唇を動かしていた。
「榊、やめろ」
 何の権利があってそんなことをしてるんだ。たとえこいつにそんな権利があったところで、我慢できないけれど。
「余計なお世話ってことに気づかないのか?」
 榊が詰まった時、チャイムが鳴った。
「……教室行くね」
 どこかうつむいた沈んだ表情と声で、ルリは別れのあいさつをする。
「うん。じゃあ次の休み時間にね」
 僕が手を振ってそう言うと、ルリはちょっとだけ表情をあかるくした。
 

 教室に入り、自分の席についてから、僕は気づいた。席替えは遠足直前だったのだが、僕の席の隣が榊の席だった。
 僕は席やその周囲を気にしない。席替えというものが存在するのに、覚える意味があるのだろうかとさえ思う。クラスメートの顔と名前を覚えるのもだ。どうせ一年で変わるし、三年で卒業するのだし。
 同時に教室に入ってきた担任の教師により、朝のホームルームがあった。次に一限目の数学の時間が始まる。
 高校に入学して二ヶ月しか経っていないが、僕は数学に苦手意識を持っている。
 早く終わって、休み時間になれば、ルリと逢えるのに。そんなことを一時間中考えていた。
 
 ようやく長い数学の時間が終わり、喜び勇んでルリの元に行こうとすると、隣にいる榊が眠い顔とは裏腹の冷たい声で話し始めた。
「俺、知ってんだよな」
 榊の席は窓側の端だ。榊の隣にいるのは僕だけということになる。僕に顔を向けているわけじゃないけれど、どうやら僕に話しかけているようだ。
「お前が入学してから谷岡さんの周りでやってたこと」
 周りでやってたこと……?
 ルリと一緒に登下校したりお昼を食べたりしてきたこと……ではなさそうだ。榊は渋い顔をしている。
 ルリの周囲から人を排除していったことだろうか。
「それが?」
「それが、って……。何考えてあんなことしてんだよ」
 呆れたように、そして咎めるように、榊は口を尖らせている。
「そんなの榊に関係ないだろ」
 こいつに明かす必要を感じない。
「僕が何を思おうと、何をしようと、榊に関係あるか?」
 ねえけど、と不満顔で榊が言う。
 ああ面倒だ。僕とルリのことに首をつっこむなよ。
「さっきルリ自身が言ったじゃないか、榊の助けは必要ない、って。ルリはこの現状で満足してるんだよ。榊がルリにぐちゃぐちゃ言うのは余計なお世話なんだ」
 榊は沈黙した。
「……確かに」
 そう答えたのを聞いて、僕は軽くほっとし、口許を緩ませた。
「……だけど、谷岡さんは本当にいいと思ってるわけねえだろ」
「いいんだよ」
 それでいいんだ。それこそがいいんだ。
「いいわけねえだろ。お前想像しろよ。ダチいなかったらいろいろ辛いだろ。いずれ……」
「おっはよー、智明くーん、逢えなくて寂しかったあ!」
 後ろから突き飛ばされるように衝撃があり、僕の首に女の腕が絡まりついてきた。
 にこにこしている西島だ。カバンを持ったまま後ろから抱きついてきている。一時間目が終わった今、登校したらしい。
「昨日の遠足に行けなくて残念だったー。智明君と一緒にイルカとか見たかったのに」
「……西島さん、風邪はいいの?」
「やっと治ったんだあ」
 もっとゆっくりと家で休んでいればいいものを。絡んでくる腕を解き、さりげなく離れるように冷たく言う。
「とりあえずカバンを置いてきたら?」
 西島は持っているカバンに目を向ける。西島は自分の席に向かった。
 さあルリのところに行こう――と扉に向かって歩き出したら、
「……お前、谷岡さんが好きなの?」
 と唐突に榊は言い出した。
「西島と谷岡さん、微妙にというかあからさまにというか、態度が違うんだけど」
「さあどうだろうね」
「その答えが肯定も同然だろ。でも理解できねえな。好きならなんで、友達を作らせないなんて悪質な嫌がらせを……やっぱり理解できねえ。わけわかんないし、谷岡さんが良いって言うなら、もういいや」
 榊は首をかしげつつ、あくびをして机に寝そべった。
 この諦めの良さ、それが榊の長所だろう。できることなら、そもそもまったく関わってこないでほしかったけれど。
 とにかく榊のことは片が付いたか。
 理解できなくたって、されなくたっていい。僕は僕の望む未来のために動くだけだ。
 そして榊が近づかない今、その望んだ未来が手に入ったのだ。

 
 このことがあってから、ルリは榊に近づくことはなかった。榊もだ。望んだとおりの展開。
 ルリは僕を頼る。時折、「これでいいのかな」とルリはぽつりと漏らすが、僕はいつも「いいんだよ」と答える。ルリは僕だけを見ている。僕だけ、僕だけを。
 ……僕はそれに、油断していたのかもしれない。僕とルリの間に入り、邪魔をする人物は榊だけではなかったということを、失念していたのだ。
 

 部活動に参加しない帰宅部にも弊害というのは存在する。
 僕のクラスだけなのか学校全体の慣習なのか、委員というのは部に入っている者より帰宅部を優先的に所属させることになっている。
 僕は図書委員となっていた。委員の中でも図書委員であることに特に理由はない。
 一学期に一回、『図書館だより』というものを作成し、そこで各クラスの委員が選んだおすすめの本を紹介するのが、主な仕事だ。
 六月の中旬。ちょうどその締め切りが迫りつつあった頃、僕は放課後の教室に残っていた。不本意ながら同じ委員の西島と。
「智明ー、帰ろう?」
 西島と机を向かい合わせていると、扉からひょっこりとルリが顔を出した。ルリは僕の前にいる西島に驚き、開けてすぐの扉が揺れた。
「あれ谷岡さん。今からあたしと智明君で、一緒に図書委員の仕事をしなきゃいけないの。ごめんね、一人で帰って?」
 西島は妙に威嚇するような声を出した。
 締め切りが迫っていることだし、さっきからその仕事をしようということで教室に残っていた。
 ルリはちらりと申し訳なさそうに僕を見る。
「じゃあ……外で終わるの待ってるよ」
「大変な仕事だし、きっと遅くなるから帰った方がいいと思うけどなあ、あたしは」
 西島の言葉に僕はかすかに眉を寄せた。本を紹介する原稿を書くぐらいで、何が大変な仕事だ。
「そんなにかからないから、待っててよ」
 僕がそう言うと、元気づけられたかのようにルリは大きくうなずいて、教室を出た。きっとすぐ外の廊下にいるのだろう。
 実際、大したことのない仕事だ。適当な本を選んで、原稿の半分以上を適当にあらすじで埋め、残りを適当な感想を書けばいい。
 だからどちらかが本を選び原稿を書くか決めれば、今日の話は済む。
 しかし、西島は、
「二人で本を決めて、二人で書こうよ」
 と言いだした。
 あれがいい、これがいい、でもそっちもいい、智明君の好きな本は、あたしの好きな本は、と話は遅々として進まず、挙句、僕の好きなものだとか関係のないことまで脱線した。
 外ではルリが待っているというのに話は終わる気配を見せない。青空があかね色の空に変わろうとしている。
 いったいいつまで、こいつと無意味なこんな話を……!
 ついに我慢が限界に来た僕は、
「もういいよ。僕が全部書く」
 と言って立ち上がった。
「えっ、二人で書こうよお」
「西島さんはやる気がないんだろ? 僕がやるからいいよ」
 僕だって意欲的じゃない。それでも、ぐだぐだ言い合っているくらいなら引き受けて、ルリと一緒に帰りたい。
 原稿をカバンの中につっこみ、肩にかける。扉を開けた。
 すぐ横でルリがぼーっと窓から空を見ていた。
「ルリ、待たせちゃってごめん。帰ろう」
「あ、終わった?」
 ルリは、はっと気づいたように僕に顔を向け、たまらない笑顔をくれた。
「あれ谷岡さん、まだいたんだ」
 西島の言い草は、さも居ることが悪いとでも言いたげだ。慌てて僕を追ってきた西島もカバンを持って、教室を出てきていた。
「じゃあ西島さん、さようなら」
 僕は笑ってルリの肩に手をかけ、西島に背を向ける。
 ルリはためらいつつも、押す僕につられるように歩き出す。
 さあようやく、ルリとの楽しい下校の時間だ。
 ――と思っていたところに、西島の声が空気を裂いた。
「谷岡さんってさあ、高校入ってから智明君以外、全然友達いないよねえ?」
 ルリが、足を止めた。口がきゅっと閉じた、白い顔で。
 西島とこれ以上おしゃべりをする気はない。ルリの背を軽く押してうながそうとするが、ルリはまったく動かない。
 ルリはゆっくりと、西島に振り返る。
 無表情で余裕のかけらもないルリとは対照的に、西島は悠然と、くすりと笑う。
「今日だって、智明君以外に一緒に帰る友達がいないんでしょ?」
「……西島さんに関係ないでしょう」
「あたしにはないけどー、智明君にはあるじゃない」
 西島は僕の顔を見て、困ったように顔をしかめた。そして良識ある第三者みたいに言ったのだった。
「いくら同じ中学出身だからって、智明君に寄っかかりすぎじゃない? 智明君にだって都合あるんだしさ。ちょっとは迷惑を考えたら?」
 僕が迷惑なわけがないじゃないか。こんなに望んでいた状況を!
 ルリは目を見開く。その白い顔は、青くなった。
 西島に対して僕が反論を口にしようとしたとき、ルリは逃げるように駆け出した。

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