奪ふ男
――ジョーカー 2−1――
高校に合格した当初は感謝を捧げた神様だけど、クラス分けを知ると、恨めしく思った神様。
高校一年の僕とルリのクラスは、またも分かれてしまった。ルリは三組。僕は四組。教室が隣り合っていたことが唯一の救いだ。
「智明くーん、また一緒だね〜、これって運命かも」
にも関わらず、西島はまたも同じクラス。笑みで返しておいたが、激しくどうでもいい。西島も同じ高校を合格したと聞いたときですら、それほどの感慨はなかった。西島自身は僕と一緒の高校に通うことを知り、浮かれまくっていたけど。
どうでもいい奴が一緒で、一番大事なルリと離れるなんて、憂鬱だ。
桜が咲く頃、高校生活が始まったわけだが、中学時代と変わったことは少なかった。
制服は学ランからブレザーに替わった。
人間関係については、クラスメイトがほとんど知らない人間ばかりにもなったが、僕に群がってくることに変わりない。メンツが入れ替わった程度のことで、特に大きな変化はなかった。
中学時代と特に変わることはない。僕は相変わらず帰宅部で、ルリは水泳部。
ルリは新たな人間関係を築こうとしていた。クラスメイトたちと、部員たちと。
これが一番大きな変化だったのかもしれない。
ルリは大人しめな性格ながら、努力して、クラスメイトや部員たちと仲良くしようとしていた。
僕はそれを見て、焦った。
中学一年のときも、入学した当初は知らない人間とうまくやるため、ルリは積極的に他の人と話したりするものだった。普段は控えめだけど、こういうときだけ、ルリは積極的になる。中学一年のときはそれが気にならなかった。でも今は違う。焦りが大きかった。
ルリに話しかける男、女。そいつらがみんな、ルリに気があるように思えてならない。
以前は、ルリは僕のもので、他の人間なんて関係ない、って思ってた。他の人とルリが話していて、むっとして腹立たしくなることはあっても、ルリがとられる、なんてことまでは危惧していなかった。
でも、鈴山という前例がある。忌まわしい前例ができてしまった。
水泳部に入部したルリが泳ぐのをプール脇で見ていたとき、男子水泳部の部員らしき男二人が通りかかり、話しているのを聞いてしまった。
「新しく入部した一年の谷岡、いいよな」
「ああ。控えめで女の子らしいし」
よく考えればわかることだった。僕のルリが、他の人間にもよく思われるに違いない、って。
そう思えると、ルリのクラスメイトも水泳部の部員達も、誰も彼もが第二の鈴山予備軍に見えてならなかった。
だから僕は、彼らを排除することにした。
「智明、また来たの」
ルリが呆れたように言い、教科書やノートを取り出していた。ルリのいる、隣の三組だ。
「来ちゃまずい?」
「用もないのに休憩時間に毎回来て。入学したてなんだから、クラスに溶けこもうとした方がいいのに」
「そんな必要ないよ」
何もしなくたって蟻のように人は寄ってくるのだから。そもそも周囲に合わせるということは得意じゃないし、する必要も感じない。
「なー谷岡ー、古典の辞書持ってない? 貸してほしいんだけど」
窓から顔を出した男子が、ルリに呼びかけた。見覚えがある。水泳部の男子で、同じ一年。
「あ、古典の辞書?」
ルリがロッカーに取りに行こうとする前に、僕はその男子に近寄り、
「古典の辞書だったら僕も持ってるよ。貸してあげる」
艶を含んだ声で言う。
「え、あ、あんた、誰」
「僕は四組の金原。忘れたならいつでも借りに来てよ」
ルリじゃなくね。にっこりと満面の笑みを向けた。
こうやっていつでも見ていないと、ルリに近づこうとする奴がいるから困る。おちおちしていられない。ルリのクラスの中にもルリと親しくしようとする奴はいて、目が離せない。
ルリ自身はそんな魔の手なんか気づいていないようで、近づく人間は誰でも仲良くしようとする。むしろルリ自身が近づこうとさえする。だから僕がなんとかしなくちゃいけないんだ。
ルリの周囲から、他の人間を排除しなくちゃ。
僕の地道な努力は実を結びつつあった。
ルリに近づこうとする人々はルリよりも僕を選んでゆく。
次第にルリは僕だけのルリになってゆく。
日に日に嬉しさがこみ上げる僕とは対照的に、なぜかルリは沈んでいった。
その日もそうだった。ルリは朝も昼もうつむきがちで、僕との会話にもあまり乗ってこない様子だった。
下校途中、ルリは公園に僕を誘った。ちょうど通学路の横には、僕たちが小さい頃によく遊んだ公園がある。ルリが部活動を終えてからの時間なので、子どもたちはみな、各々に帰り始めていた。匂い立つ紫の藤棚の下をくぐりぬけるようにして、ブランコの方へと進む。
空いたブランコに、ルリは座る。
「なんか、寂しいんだ」
ぽつりと言うと、ルリはブランコを漕ぎ始めた。ブランコは自然に、前に後ろにと動いていく。それに連動するように、ルリは止めどない言葉を口からこぼれさせる。
「クラスの人とか、同じ水泳部の人とかと、……うまく仲良くなれないんだ……。どうしてなんだろう……」
さも人生の重大事のように深刻そうにルリは言っていた。
「それが、どうしたの?」
そう問いかけた僕の気持ちはそのままだ。僕の思ったとおりに事は運んでいる。それの何が悪いの、と。悪い所なんてない。
けれど、そういう返事にルリは驚いているようだった。
「どうした、って……だから、新しい友達ができなくて……悩んでいるんだよ」
「友達ができないからっていいじゃないか。友達ってそんなに必要?」
「え、必要に決まってるじゃない。智明はさ、何もしなくても勝手に人が集まってくるからいいよ。でも私は違うよ。一人でいたら、ずっと一人になっちゃう。そんなのやだ。誰かと打ち解けたい。みんなの中にいたって、一人でいるような気分なんだよ。友達がいないと、さびしいよ……さみしいよ……」
こうやって、心情を吐露してくれるのは嬉しい。それって、僕に心を開いているってことだから。
でもやっぱり理解しがたい。わかるのは、ルリが寂しがり屋だってことだ。そういえば、いつも猫の大きなぬいぐるみを抱き枕代わりにして寝てるって言ってた。そういうところも、寂しがり屋の証明になるのかもしれない。
ルリはいつの間にかブランコを漕ぐのをやめていた。
僕は彼女の後ろに回って、鎖ごとルリを抱きしめた。息を呑む音が聞こえる。
「ねえルリ、寂しいなんて言わないでよ。僕がいるじゃないか」
耳元で、熱くささやく。
僕が。僕だけが。
「他の誰もいなくっても、僕はずっとルリの側にいるよ。絶対に、何があっても」
「智明……」
こわばっていた声がやわらぎ、喜びをまとっていた。
「それとも今の僕だけじゃ足りない? どうしたらルリの寂しさが消えるかな……」
ルリの周囲に人を寄せ付けないために時間を費やしすぎたのかもしれない。入学して一ヶ月は経った。もういいだろう。そろそろ人は固まり始め、グループを形成する。ルリはそれに弾き出され、微妙に孤立している。もう排除の必要はないだろう。これからはもっともっと、ルリと一緒にいよう。
ルリのその寂しさを埋めるように。
「僕だけはルリの側にいるからね」
「ありがとう、智明……智明と一緒に高校に来れて良かったよ……」
安堵に充ち満ちた声で言い、ルリは僕の腕に手を回す。
そうだよ。僕だけを見ていればいいんだ。
ああなんて幸せなのだろう。ルリは僕だけを見ている。僕を求めている。他の友達を作るなんてことを忘れさせるくらい、一緒にいて、満足させよう。
僕は内心の歓喜を表すように、強く抱きしめた。ルリは抵抗しなかった。それどころか、僕に身を預けるように後ろへ重心を移す。しかし、その途中で、はっとルリは身を固くした。
「智明……鈴山君は……?」
「鈴山?」
冷たい声が出た。なぜ今、学校も別の、忌まわしい忘れたはずのその名が出てくるのか。まだ未練があるのか。水に流すとか言ったくせに。
するりと腕をはずし、咎めるように言った。
「……鈴山のことは話題にしないようにしようって言ったのは、ルリじゃなかった?」
「あ、そうだったね……。ごめん……」
ルリは口籠もって、そのまま黙った。
公園から家までの距離は、そんなにない。大通りを歩くこともないし、閑静な住宅街を走る細い道だけだから、近所の人と出くわすことはあっても、めったに同じ学校の奴らと会うことはない。
……はずだったが、その時は違った。
四つ辻でちょうど、僕たちから向かって右から走ってくる自転車に乗った、少し知った顔の人間と遭遇した。
「あ、榊君」
僕は無視しようとしたのに、同じく気づいたルリが声をかけた。
でもそも男は気づかないのか、走り去ろうとしている。
「あれ、気づかないのかな。榊君、さ、か、き、くーん」
ルリは口の周りに手をやり、山に向かって叫ぶかのように呼ぶ。
「ルリ、きっと別人だよ」
せっかくの僕とルリの二人の時間を、わざわざ削る必要はない。
でも、タイミングが悪いことに、そいつは振り返り、自転車を止めた。
「谷岡さん、と、金原……。奇遇デスネ」
榊。下の名前は忘れた。垂れ目で、いつも眠そうに見える顔の男だ。そのせいか、天然パーマ気味の黒髪も、寝癖のように見える。僕と同じクラスの奴だ。今はジーンズに薄手のシャツというラフな格好をしている。
隣のクラスのルリがなぜ知っているか、僕がなぜ名前を覚えているか、というと、こいつがルリと同じ水泳部に所属しているからだ。
僕と同じクラスだけあって、ルリに近づくかどうか監視しやすく、最低限の名前は覚えた。ルリに近づくそぶりを見せたことはなかった。
が、どうやらルリは名前を覚えるくらいにはこいつのことを知っていたらしい。そしてこいつも、ルリの名字を知っているくらいには知っているわけか。
「うはあ、嫌な予感がしたんだよなあ……黒猫が横切ったし……第六感に従うべきだった……」
ぶつぶつわけのわからないことを言いながら、自転車を押して榊は近づいてきた。
そいつはルリと挨拶を交わすと、ちらりと僕の方を見る。本当にちらっと、窺うように。
その目は何だ? どういう意味だ? 僕が邪魔だとか思ってるんじゃないだろうな?
僕は榊を睨み付けた。瞬間、気配に気づいたように奴は僕を見てきたので、にっこりと笑っておいた。
ルリは榊に話を振った。
「家、こっちなの?」
「いや、ちょっと遠くのゲーム屋に行く途中でさ。今日発売日だから」
「ふうん。そういえば、最近部活に出てないね」
「あー俺そんな部活に張り切る気ないから。暑いときに泳いで涼めればいいと思って入っただけで、わざわざ身体作るためにランニングとかしたくないし」
「やる気ないねえ」
「ま、最初からユーレイで行かせてもらうつもりだから。ところで、何で谷岡さんと金原が一緒にいるわけ? マジ喧嘩する直前ってんなら、すぐに帰るよ? 脱兎の如く去るよ?」
ルリはぷっと吹き出した。
「マジ喧嘩なんてしないよ。私と智明は幼なじみなんだよ」
「へ。ほー……」
短い反応だけど、何かを含んでいるような気がして、僕の癇にちょっとだけ障った。だけど眠たそうな榊はその心情を露わにしない。腕時計を見て、
「早く行かなきゃゲームが売り切れるから、行くわ。んじゃさよなら、お二人さん」
会話を切り上げ、言い捨てるようにして、榊は自転車に再び乗って行った。
「なんかゆるい感じだけど、榊君って面白い人だよね」
僕は今日榊と出くわしたことも会話も全て、無意味なこととして忘れたかもしれない。くす、と笑いながらルリがそう言わなければ。