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奪ふ男

――ジョーカー 1−4――


 僕はどうしたらいいのかわからなかった。何をどうすればいいのか、何をどう考えればいいのか。このもやもやとした気持ちの決着のつけ方もわからなかった。
 僕はただルリを目で追っていた。下校のとき鈴山と一緒にいるルリ。笑っているルリ。僕は校舎の窓から、それを見下ろしている。
 次第にじりじりと焦げ付くような黒い感情が生まれてくる。そんなに鈴山の方がいいのか。僕に比べればちょっと話しただけの男と? ルリにとって、僕との時間は何の価値もなかったのかよ。
「智明君……つらいんだよね、わかるよ」
 僕が窓からルリと鈴山を見下ろして、その楽しげな様子に顔をゆがませていると、後ろからさも憐憫に溢れた声がかかった。
 西島だった。
 僕は視線も向けずに目でルリの姿を追いながら、後ろの西島に冷たく問う。
「……わかるって、何が」
「谷岡さんのこと。あんなに軽い人だとは思わなかったよ。智明君、つらいよね。谷岡さんがああいう人だとは思ってなかったんでしょ?」
「……ルリの悪口を言うな」
 声変わりをしたばかりの低い声で、制止する。僕はルリを嫌いたくはなかった。それだけはだめだ。
「……そういえば西島さんはルリの友達じゃなかったの?」
「え、ああそうだったね。でも、あたしは、智明君のことが一番好きだから」
 僕はちらりと振り向いた。
 西島は女子の中で背が高いものの、僕よりは高くない。彼女は僕を上目遣いで見上げてくる。
「智明君を慰めたいの。つらいのはわかるよ。ね……今日うちに来ない?」
 僕を誘惑しようという媚態。何度こんな様子の女や男を見てきただろう。それでも今、この誘惑に心がかすかに動いたのは、西島の媚態がうまかったのか、僕が弱り切っていたためか。
 西島は僕の手を取り、指を撫でる。
「あたしが、忘れさせてあげるから」
 忘れる?
 僕は強く手を振りはらった。戸惑う西島に、にっこり笑う。
「ごめんね。必要ないから」
 忘れたいわけじゃない。これっぽっちも思わない。だけど西島の誘惑に乗るということは、そういうことなのだろう。そう考えつくと、一気に冷めた。
 僕は忘れたいわけでも、逃避したいわけでもない。
 鈴山なんて奴が消えて、元の通り、ルリと二人でいたい。ただそれだけだ。
 だけど、そうするためにどうすればいいのか、わからない。


 何も解決しないまま、日々が過ぎていく。
 窓から空を見ながら、小さくため息をつく。
 そんな僕の様子を見て、西島のようにうじゃうじゃと人が集まってきた。
「どうしたの、金原くん。最近、憂鬱そうだね」
「相談事があるなら聞くよ?」
 ちらりと彼らを打ち見る。いつも僕の周りに集まり、媚びる奴ら。顔も名前もろくに覚えてないどうでもいい連中。この軽薄そうな烏合の衆に、大事なことを相談する気にはなれなかった。
「うん……ごめんね。ちょっとひとりで考えたいんだ」
 すまなそうに視線をそらす。髪がさらりと流れた。
 教師も僕に近寄り、相談事があるなら聞くぞ、と言う。だけどそれも断わった。
 相談するに足る人間なんていない。ひとりで悩み、結論を出さなければならない。
 
 
 ルリと鈴山が付き合い始めて十日ほど経っても、僕の頭の中はぐちゃぐちゃしていた。
 むしろ更に焦燥に駆られていた。ルリと鈴山が一緒にいるのを見れば見るほど、不快感が増す。
 最近は食事も喉に通らなくなってきた。ほとんどひとりで食べる朝食・夕食なら構わないが、学校の昼食時に何も食べないでいるとむやみやたらに心配されて、下手をすると保健室まで運ばれる。それが嫌だから、昼休み、教室を出た。
 生徒の約半分は教室で食べるが、別の場所で食べる生徒も多い。食堂はないが、ベンチや、階段や、屋上で食事を取っているようだ。
「うっそマジ!?」
 一際大きな男子の声が聞こえた。
「ほんと、マジマジ」
 その声に、通り過ぎようとした足が止まった。聞き間違うはずがない。鈴山の声だった。ルリと笑い合っている姿を、何度見たことか。
 屋上への昇り階段で、二人の男子がパンを食べている。ちなみに校舎はふたつあり、南校舎は屋上が開放されているが、こちらの東校舎は屋上はいつでも固く閉ざされている。その閉じた扉の前で、筋肉質で大柄な鈴山と、茶髪の見知らぬ男子が昼食を取っている。……そこにルリがいなくて、ほっとした。
 僕は階段の側で、その二人の会話に聞き耳を立てた。
「えーっ、彼女できたって……谷岡……二組の?」
「そうそう。谷岡瑠璃子」
 茶髪の男子は驚倒して、パンを食べる手が止まっている。
「うそだろお! 俺の方がぜってえお前より早く彼女できると思ったのにー! この裏切り者っ!」
「なーにが裏切り者だ。『どっちが先に彼女できても、恨みっこなし』って言ったのはお前じゃん。どうせ、お前の方が先に彼女できると思って、そんなこと言ったんだろ」
「そうだよ! だって、うわ、嘘だろ……」
 茶髪は頭を抱える。鈴山は余裕綽々で相方を見ながら、パンを食いちぎっている。
「年齢イコール彼女いない歴の安崎くーん、このままじゃ、彼女なしで中学卒業しちゃうぜー?」
 鈴山は安崎という茶髪の男をからかう。
「うっせえ! つい最近までお前もそうだったじゃねえか、鈴山!」
「今は違うっつーの。お前と俺との間には、今や深く広い谷があるんだよ」
 ジェスチャーで二人の間に溝を示す鈴山。そんな余裕ある鈴山に、安崎は虚勢を張った。
「ふんっ、どうせ焦って女なら誰でもよかったんだろ。谷岡なんてジミ女、俺なら範疇外だっつーの」
 僕の頬がぴくりとひくついた。
 確かに、ルリは目立つ方ではない。しかしそれが彼女に魅力がないというわけではない。彼女は料理もうまいし、ひとりで食事を取ることが多い僕に、手作りの料理や弁当をくれることもたびたびある。地味というのは、人の話を聞いて、目立とうとせず、人を立てるからだ。他にもたくさん、彼女の良いところはある。
 しかし、ここは我慢である。範疇外と言うなら、それでいい。ルリの良いところは僕だけが知っていればいい。
 ルリが範疇外だと言われた鈴山はにやりと笑み、芝居がかってチッチッチ、と指を振った。
「お前水泳部じゃないから知らないだろ。……谷岡、すげえんだぜ」
「…………。す、すげえって……水泳が?」
「何ボケかましてんだよ。カラダに決まってんだろカラダ。胸はそれなりにあるし、腰はくびれてるし、足はすらっとしてるし。生唾モノだぜ、あれ。ジミだろうが何だろうが、あれ見たら他はどうでもいいって」
 僕は愕然とした。こいつは、この男は、そんなものしか見てなかったのか。それが理由で、ルリと付き合うことにしたのか。
 確かに僕だって、彼女の表面的なところ――こいつらの言うカラダに、魅力を覚えている。けれど、それは内面の美しさを知っているからこそで、カラダだけいい女なんて、ごまんといる。畜生、水泳部なんて早く辞めさせるべきだった。
 ごくりと安崎は唾を飲み込み、興奮気味に鈴山に近づく。
「そ、そのカラダが、お前のものなの?」
 それに対し、得意げに鈴山はうなずく。
 お前のものじゃない! 僕は叫びたかった。
「……で、どうだったわけ?」
 安崎が探るように訊く。すると、今まで優越感丸出しの鈴山が、微妙に口ごもった。今度は安崎が笑った。
「なあんだ、お前まだなんだろ。何やってんだよ、そんなカラダ前にして」
 僕はあからさまにほっとした。
「うっせえな。煩悩まみれのお前と違って、谷岡はピュアなんだよ!」
 ピュア、という言葉に、安崎は笑い転げた。よほど笑いのツボをつかれたのか、何度も自分で言って、そのたびに笑う。
 鈴山はむきになって言う。
「まだ付き合って間もないんだよ! この前、ちょっと無理にキスしたら、谷岡、顔赤くして、『ファーストキスだった』って言うんだぜ? その先どころじゃねえよ」
 ……ファーストキス? ルリの、ファーストキスが、こいつと……?
 くくくくく、と安崎は笑う。
「いかにも慣れてなさそうだもんな。谷岡って男と話すタイプじゃなさそうだし……あ、そういえば、妙にあの金原と一緒にいたよな?」
 自分の名字が出て、僕は思わず反応した。
「なんか家が近い幼なじみらしいぜ」
「あれも不思議だったよなあ。目立ちまくりの金原とジミな谷岡が一緒にいるって。金原狙いの奴が谷岡のことライバル視してなーんかしてたようだけど、どう考えたって見当違いだよな。金原が谷岡と付き合うわけねーって。もっといいのいるだろ」
 もっといいのなんて、いない。こいつらの目は節穴か。
 ひとしきり言った安崎はふいに落ち込んだ。はあ、と深いため息をつき、やきそばパンをもそもそ食べる。
「でもやっぱりショックだ。お前に彼女……。あーんなこともそーんなことも、し放題なんだよな……」
「うらやましいだろ」
「うん。なー、お前の後でいいから、谷岡貸してくれ。お願い!」
 おがむフリをする安崎に、鈴山は笑いながら、ばーか、と言った。


 脳の血管が全部、ぶち切れるかと思った。
 もともと鈴山に好感情などこれっぽっちもなかった。僕がいるはずだった、ルリの隣を奪った男。邪魔者以外の何者でもなかったのだから。
 しかしこの下劣で下種な会話を聞き、それ以上の嫌悪感を持った。
 この男は、ルリの近くにいるべきではない。ルリを汚すだけだ。排除しなければならない。
 ……そうだ、初めからそうするべきだったのだ。どうすることもできない、なんて悩んでいたなんて、どれだけ僕は馬鹿だったのだろう。別に何をしたっていいじゃないか。
 不必要な存在は排除する。こんな簡単なことをしないなんて、ルリに付き合うと言われたショックが大きすぎたんだ。
 そうだ。きっとルリは騙されたんだ。ルリはやさしいから、こんな汚らしい奴の言うことを聞いて、丸め込まれてしまったんだ。
 このまま騙されて付き合い続けたとしても、ルリは『鈴山程度の男と付き合う女』と見下されてしまう。彼女の価値を下げることにしかならない。でも大丈夫。僕がしっかりと、ルリの前に顔を出せないように、排除しておくから。
 そう考えていくと、心の中がすっきりとしてきた。ルリを嫌うことなく、僕はすべきことを見つけた。多少ルリへの怒りや恨みは残ったけれど、それ以上に鈴山への嫌悪が打ち消してくれる。
 全て悪いのは鈴山。こいつを排除すれば、僕たちは元通りになるんだ。
 本当に頭の中の血管が、何本か切れたのかもしれない。今までにない発想が思い浮かんでくれたのだから。


 僕は二人の前に姿を現した。
「鈴山、君」
 かすれた声で、彼を呼んだ。
 二人はびっくりしているようだった。それぞれパンと紙パックを持ったまま、微動だにしない。
「君に、話があるんだけど、いいかな」
 僕は鈴山をまっすぐ見上げ、淡く微笑む。鈴山が動揺しているのが、手に取るようにわかる。
「お、俺に……?」
「うん。君に。君と二人きりで、話がしたいんだけど」
 二人きり、というところを強調しながら、ちらりと窓の外にある時計台を見る。
「昼休みは終わるから、放課後でいいかな? ……それとも、僕と話したくない?」
 少しうつむき、悲しげに瞳を揺らすと、鈴山はすぐに横に首を振った。
「いや全然! 放課後だな、わかった!」
「ありがとう。じゃあ、放課後……校舎の裏でいいかな?」
 今度は鈴山は前後に首を振る。
「わ、わかった。ちゃんと行く!」
「うん。ありがとう。じゃあ……放課後にね……」
 僕は妖艶に笑み、かすかにうなずいた。立ち去った後も何度か後ろを振り返りながら、鈴山に手を振る。
 角を曲がった時点で、作り物の笑みを消す。
 ……その時点で、僕にはこの後の計画が成功することは、わかりきっていた。


 僕の力で、無理に鈴山を押し倒し地面に縫いつけることは困難だ。
 だけど甘く囁けば、それは簡単だ。今までの人生の上で自信があった。
 鈴山を校舎の裏の地面に押し倒し、僕は見下ろした。このまま首を絞めてやろうか――首筋を撫でながら、そんなことを考える。しかしシミュレートしてみると、その場合鈴山は死にものぐるいで抵抗する。僕と鈴山の腕力差を考えると、そうなったら返り討ちに遭う。
 やはりここは計画通りに進めなければならないだろう。僕の目的は、怒りのままに殴り、自己満足を得ることじゃない。こいつをルリの前に二度と顔を出させない、別れさせるという、崇高な目的があるのだ。
 鈴山は性急に、僕にキスをしようとした。やんわりと奴の口の上に手をかざし、それを直前で止めた。
「まだダメだよ」
「な、なんでだよ」
「だって鈴山君、ルリと付き合っているでしょう?」
 鈴山はたじろぎ、視線を逸らした。
「僕は鈴山君に、僕だけを見てもらいたいんだよ……ね」
 僕は手を下におろし、軽く撫でる。
 僕は唇が触れる間際まで顔を寄せ、鈴山と視線を合わせる。憂いを帯びた表情を浮かべて。
「僕とルリ、どっちを選ぶ……?」


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