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奪ふ男

――奪ふ男 後編――


 智明の前にいるのは、鈴山。
 私は気づかれないように近づく。電柱の影に隠れた。
「久しぶりじゃないか、座って話そうよ」
 智明はベンチに座り、鈴山に隣に座るよう促す。
 鈴山は目に見えて狼狽し、同じ場所をぐるぐると回っていた。
「俺さ、谷岡を待たせてるんだけど」
「まあまあ……いいじゃないか」
 智明はゆっくりと、喉の奥から出すようなかすれた声で鈴山を留めさせる。
 遠くで聞いていた私がぞくっとするような色気。
 鈴山はまるで魔法にかかったように、智明の隣に座った。
「本当に、久しぶりだね。たくましいんだ。……何かスポーツでもしてるの?」
 と言いつつ、智明は鈴山ににじり寄る。
 鈴山は動かなかった。智明は手を伸ばす。白い手が、夕日に染まる。鈴山の胸に触れたとき、さすがに鈴山はびくりと驚いていた。が、智明が魔性の微笑を浮かべると、鈴山は再び動かなくなる。
 智明は胸に這わせた左手を、ゆっくりとした動きで上げてゆき、鎖骨に触れる。そのまま首筋へ……。
 向かい合うように智明は膝を割りいれる。
 右手は逆に下まで降り、太腿に触れたとき――
「よせっ」
 鈴山が初めて抵抗らしい抵抗をした……と私は思ったけど、それは間違いだった。
「こんなところで……」
 恥ずかしそうに公園を見回し、そう続けた鈴山。智明の顔には妖艶な笑みがある。
「そうだね。じゃあ別のどこか……」

 すぐ近くであったことに、私は自分でも驚くほどのショックを受けていた。
 今まで四人の彼氏がいた。どうやって智明は、と思ったことはあったけれど、深くは考えなかった。考えたくなかった。
 その考えることすら放棄した事実が、目の前で繰り広げられた。
 こんなもの、見たくなかった、聞きたくなかった。
 私はよろめき、足がもつれ、転んだ。
 思わず電柱から姿を現してしまった私に、二人が息を呑んだ。
「ルリ……」
 私は顔を向けないようにし、急いで立ち上がる。
 いつの間にか涙がこぼれて、点々と雨のようにアスファルトを濡らしていた。
 早くここから立ち去らなくちゃ。
 ただそれだけを思い、公園に背を向け、駅に向かう。
「ルリ! ちょっと……」
 走ってきた智明が私の腕をつかんだ。
「離して」
 私はもがく。だが智明の力は思ったよりも強かった。
 つかまれ続けていても、顔だけは向けたくなかった。ただ涙が溢れて止まらなかった。
 悔しさ。憎さ。どす黒い、ずっと隠していた感情。
 今までためこんだ全てが、口から出た。
「……もううんざり。智明なんて、死んじゃえばいい!」
 私の叫びに何を思ったのか、智明の手の力が弱まった。
 その隙に私は逃げ出した。

   *   *

 私はその夜、夕食を食べなかった。
 黙って二階の自分の部屋に籠もる。その部屋の前で、お母さんは病気かと心配する言葉をかけてくれた。でも、私は悪いと思いつつ、何も答えなかった。そんな私に呆れたのか、しばらくしてお母さんは扉から離れ、朝食用の卵が切れているからと、買い物に出て行った。
 窓から見た空は曇っていた。月も見えない。
 私はベッドの上で、大きなぬいぐるみと一緒に寝そべっている。握るケータイには誰からも電話はなかった。智明からも、鈴山からも、メールもない。
 鈴山はさぞいたたまれない気持ちなのだろう。私ももう、人生上、彼と関わり合いたいとは思えない。
 ケータイを充電器にセットして、まだ八時だったけれど毛布を引いて本格的に眠ろうとした。
 お母さんが大きな声で私の名を呼びながら帰ってきたのは、このときだ。
「瑠璃子! 瑠璃子!」
 がらがらと玄関を開ける音が響き、ばたばたと走ってくる音がする。
 いつもは何でも無関心なお父さんでさえ、どうしたんだ一体、と驚いていた。
 さすがに気になって部屋からそろりと出てみた。
 階段を上ってくる途中だったお母さんは、口をぱくぱくさせ、ごくりと唾を飲み込み、知らせた。
「智明くんが、睡眠薬飲んで、自殺したって」


 智明は救急車で病院に運ばれていた。
 大きな金原家の前で救急車が止まり、人だかりができているところでお母さんは智明のことを聞いたらしい。
 私はお母さんから話を聞くと、すぐにタクシーで病院に向かった。
 胸がぎしぎしと音をたてていた。
 大きな市の病院は夜の闇に覆われ、白く清廉な建物が険しく青白く映った。四角い窓からは明かりが漏れている。
 タクシーの運賃を支払うと、急いで階段を上って病院に入る。
 看護師さんに教えてもらった場所では、智明のご両親が椅子に座り、祈るように手を合わせていた。ちらちらとしっかりと閉じられた扉を仰ぎながら。
「おばさん! 智明は……」
 私が震える声で呼びかけると、はっと二人は顔を上げる。
「瑠璃子ちゃん、智明ね、今、胃の洗浄をしているところなの」
「大丈夫なんですか」
「まだ、わからないの。お医者様は処置中で、まだ……」
 智明のお母さんは瞳に涙をためる。それをハンカチの端でぬぐった。
 私は胸をかきむしるように、ぎゅっと服をつかんだ。
 自分が死んだように苦しくて、水の中にいるように呼吸するのが辛かった。
「瑠璃子ちゃん、これ……」
 智明のお母さんは、白い封筒を取り出した。
「これ、ね。智明の、遺書」
 白い封筒の真ん中には、『谷岡瑠璃子様へ』と細い字で書かれていた。
「……おばさんや、おじさんにも、遺書が……?」
 首は横に振られた。
「瑠璃子ちゃんにだけ」
 白い封筒に書かれた自分の名前におののき、私は顔をゆがませた。
 睡眠薬の誤飲であり自殺ではないかもしれないと、もしかしたら自分のせいではないかもしれないと、心の隅で願っていた。甘かった。自分に甘すぎる考え方だった。
 私にのみ遺書を残すという行為が、責任がどこにあるかを逃げ道を残さず物語っていた。
 受け取らないわけにはいかなかった。
 手の中に白い封筒がある。それでも私の手は震え、中から便せんを取り出せられなかった。読むのがあまりに怖かった。

 私は智明の両親から離れ、病院のロビーに座った。
 診察の時間は終わっている。ロビーには誰もいなかった。か細い蛍光灯の灯りが、遠くにある。
『死んじゃえばいい』
 頭の中で、自分の言葉が何度もリフレインされる。
 どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。
 どうして、智明はこんなに弱いのだろう。
 泣きそうになりながら、私はただ祈る。
 幼なじみの命を助けてください、と。
 もし助かったとしても、それは私の奪われる一生の継続に他ならない。いや、一度自殺に追いやったという負い目が、もっと智明に何も言えなくさせるだろう。そして智明から離れる自由を失うこととなるだろう。
 だけど、それでも助かってほしい。
 このまま私のせいで死なれるのは、耐えられない。
 智明が全てをかけて私の全てを奪うというなら、それも受け入れるから。
 だからどうか智明を助けてください、神様。
 私は祈り続けた。
 遠くの蛍光灯は切れ始めたのか、ちかちかと点滅し始めた。




愛は自己への獲得である。愛は惜みなく奪ふものだ。

――「惜しみなく愛は奪ふ」有島武郎



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