奪ふ男
――奪ふ男 中編――
恋人がいないクリスマスをすごし、冬休みが過ぎ年を越した。
成人式があって、その夜は中学の同窓会があった。
思ったよりも人が集まり、大体は男子、女子、別れて思い出話に花を咲かせていた。
智明はいなかった。そもそも成人式に出席すらしないと、事前に私は聞いていたので、探すこともなかった。
智明が来ないことに、みんな残念そうだった。
彼は中学時代、男子女子共に人気があったからだ。
智明が鈴山と付き合うという噂が流れても、からかいの対象やいじめの対象となることはなかった。
智明は、一種の聖域だった。
実際、本気で智明に惚れていた男子にも何人もいた。それがおかしくないような男、それが智明だった。
薄い唇に乗った笑みは匂い立つような妖艶さに満ち、中性的な容姿とあいまって、その年や性別では考えられない色気があった。
教師ですら智明を前にするといつもの調子ではいれなかった。
同級生は智明が来ないことを惜しみながら、どこかほっとしているようだった。
一種の、青春の見せた幻のようだと思っているのかもしれない。ここで本人が現れ、思い出の幻を打ち砕かれたくないと思っているのかもしれない。
だけど、もし本人がここに来ても、誰の思い出も壊さないだろう。現在の智明も、妖艶さ、中性的な色気、それらを持ち続けているからだ。
「……金原、来ないんだ」
私の近くで小さく言ったのは、背の高い男だった。
――誰だっただろう。
私はしばらく男の顔を見る。男も私のことがわからないようで、目を細めて見てくる。
「あ、谷岡?」
その名字の言い方、それを聞いてわかった。
「……鈴山、君?」
彼と会うのは、卒業式以来だった。
初めての彼氏。智明に奪われた彼氏。
別れてから、極端なほどに話をしなかった。
年月を経て、ようやく私は笑顔を向けられた。ぎこちなかっただろうけれど。
鈴山も苦笑いするように笑った。
同窓会の会場から外に出て、ぽつりぽつりと近況を互いに話す。
「鈴山君は東京の大学かあ。意外。てっきりオカマバーとかにでも行っているのかと」
「谷岡サン? ちょっとちょっと」
「だって、智明と付き合ったってことは、そういう道を進むのを決意したってことでしょ?」
昔のことは深刻にしたくなかった。忘れてしまえるような昔話、笑い話にしたかった。
現在進行形の智明には話せないことだ。
鈴山は顔をひきつらせる。
「あ、あのなあ……あれは、熱に浮かされたようなもので、その、若気の至り? その記憶は消去してくれないかなあ」
私はくすくすと笑った。
「なんていうのかな、こう、反抗期の子供が暴走族に憧れるような、そういう一時期の病気みたいなものだったんだから。実際のところ、金原に騙されたようなもんっていうか。まあ、すげえ噂になったけど、何もなかったし」
私は笑うのをぴたりとやめた。
「……何もなかったの?」
鈴山はそうそう、と大きくうなずく。
「一切何もなかったから! それだけは俺、昔の自分を褒められる。谷岡と付き合ってた頃は、金原は俺に思わせぶりなことしてきて、俺もふらふらっとしちゃって……俺たち別れることになったけど。けど、それでも何もなかったし。谷岡と別れた後も、なーんか金原、手のひらを返すように俺を避けて、自然消滅?」
あれほど優越感と怒りに満ちた笑みで『付き合うことになったんだ』と言っておいて、何もなかったと。
智明は一体何がしたいのだろう。ただ……憎くて、奪いたかっただけ?
私たちは白い息を吐いた。
「なあ、俺たち、やり直さねえ?」
場の雰囲気から、鈴山がそう言い出すことは予想がついていた。
彼は智明とのことをなかったことにしたいのだ。智明と付き合う以前にリセットするため、心を切り替える意味で、再び付き合おうと言っている。
私はしばらく黙ったまま考えていた。
彼は智明から解放されたがっている。逃げたがっている。……私と同じだ。
それならば、今までとは違う結果が見られるかもしれない。
雪がちらつき始めた頃、いいよ、と私は応諾した。
* *
大学が始まった。
私は智明と向かい合って、食堂で食事を取っていた。
「ルリ、髪型変えた?」
智明の言葉に、思いの外動揺した。
「あ、う、うん。ちょっとね」
智明に気づかれるとは思わなかった。……いや、でも、彼はいつも気づいてくれたような気がする。
私も女だ。髪型や、化粧や、ダイエットや、そういったことに気を配る。胸の大きさや、腰のくびれにも。
だが、目の前にいる智明は、もちろん胸もくびれもないのに、私の彼氏を奪っていく。
彼を目の前にすると、私の努力は全て無意味に思えてくる。
「そういえば今日は藤枝さんいないんだ?」
「絵里はサークル。忙しいんだよ」
へえ、と言いつつ、智明は何かを考えているようだった。
「……いつも藤枝さんとルリって一緒にいるよね」
「専攻が同じだから授業もかぶるし。趣味も合うから。一緒にいると気が楽なの」
絵里とは大学に入ってからの友達だ。付き合いは短くても、いろいろと気が合う。
智明はくすりと笑う。肘をついて、顎に手を当てていた。
行儀が悪いと注意しようとしたが、すでに彼は食事を終えていた。
「今度は彼氏じゃなくて、彼女を作るつもり?」
表情が凍りついたことが、自分でもわかった。食事に伸ばす手がぴたりと止まる。
気を緩めてしまったことを後悔した。
「何、言ってるの」
「だからさ、ルリと藤枝さんが」
「やめてよ。私は普通なの。智明とは違うの」
「僕は自分がノーマルだと言っていた人を何人も見てきたけれどね、そういう意識は意外と脆いよ」
智明の瞳に光が宿り始めた。
いけない、と思った。このままでは、絵里が智明の手に落ちる。
智明は自分をよく知っている。自分がどれだけ人を魅了するか、傲慢なまでによく知っている。
絵里は智明を嫌っている。だけど、そんなことは意味がない。全て智明の前では意味がないのだ。性別も、好悪も。
智明は女が嫌いというわけではないらしい。絵里に手を出すのを渋る理由なんてない。
打てば響くような絵里を、友人として私は好きだ。
……仕方ない。
友を守るため、私は諦めたように口にした。
「絵里はただの友達。私が今付き合っているのは、鈴山君だよ」
「鈴山? 誰?」
名前を聞いても、智明には本当にわからないらしい。
「……中学時代の同級生」
智明は長い指で髪を触りながら、思い出すように考える。
「ああ、前にルリが付き合ってた?」
そして智明が奪った。
智明の瞳に光がある。彼の獲物が決まったのだ。
もう終わりかもしれない、と絶望的に思ったけれど、過去から解放されたい鈴山の意思に一毫(ごう)の希望を信じたかった。
* *
鈴山は東京に下宿しているので、会える機会は少ない。
数少ないその機会にデートをするということで、私は夕方、駅前で待っていた。
ところが、約束の時間になっても彼は来なかった。ケータイも通じない。
駅には出口が数カ所ある。どこか別のところにいるのだろうか、と私は周辺を探し回った。
西口には近くに公園がある。子供も遊ばない、寂れた公園。
私はそこで、彼の後ろ姿を見た。
――……智明?