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奪ふ男

――奪ふ男 前編――


「金原智明って知ってる?」
 その名が彼の口から出たとき、思わず息を詰めた。
 そんな私を見て彼は、
「あ、やっぱり知ってるんだ」
「どこで聞いたの?」
「本人から。瑠璃子の友達だって言ってたけど、ほんと?」
 私は静かにうなずいた。
「同じ大学の」
 それは正確ではなかった。
 小学校、中学校、高校で同じ学校に通い、そして現在も大学を同じくしている幼なじみだ。家も近く、子供のときからよく遊んだ。
 私はウェイトレスが運んできたばかりのオレンジジュースを、ストローで一度回した。氷が軽い音を鳴らす。
「金原……なんていうか、すごいやつだよな、あいつ」
 彼の言うことは漠然としていたが、正しい。
 智明のことを精密に表現するのは難しい。おそらく一度や二度会ったきりの彼には、漠然と『すごい』と言うのが精一杯だ。
 智明はスポーツや勉強に特別秀でている男じゃない。
 そういった『すごさ』を表しやすいものとは別次元の、違うすごみがある。
 今まで付き合ってきた三人の男も、初めて付き合った鈴山を除き、智明と接触すると、まず智明の話題を出してきた。
 智明は人の印象に残る人間だ。
 私は今までの三人の彼氏のことを少しだけ思い出しながら、目の前にいる四人目の男の顔を見た。
 彼は今、己に何が迫っているか気づいていない。呑気そうに、熱いコーヒーに口をつけていた。

 彼から別れを切り出されたのは、二週間後のこと。
「別に好きなやつができて」
 四人目もまた、今までの三人と同じ、別れた理由を言ってきた。
 様式美に則ったように、今までの彼氏たちと同じ行動をする。
 そう、彼もまた、智明と付き合い始めたと聞いた。

   *   *

 大学の食堂は昼食時に混み合うけれど、前の授業が早くに終わったので、四人がかけられる丸いテーブルを確保できた。
 そこを私は友達の絵里と二人で座り、どちらともがレディースランチのパスタを食べている。
「そういえばさ、最近彼氏とはどうなの?」
 絵里は率直に訊いてきた。
 私は少し詰まり、手を止めてから答えた。
「……別れたよ」
 絵里ははっと息を呑む。
「何が理由? ……まさか、また金原のやつが?」
 そうストレートに訊かれると、答えに窮してしまう。でも絵里の言うとおりなので、結局うなずくしかない。
 そんな態度を見て、絵里はフォークを、がちゃん、と置いた。
「しんっじらんない金原! あいつほんとに何考えてんの!?」
 絵里はまるで自分のことのように激高した。
「瑠璃子の彼氏ことごとく奪うってさ、タチ悪すぎ! さらに腹立つのが、あいつが男ってことだよ! サイテーホモ野郎!」
「絵里、落ち着いて」
 私は激しく憤る絵里をなだめる。
 人の多く集まる食堂で『ホモ野郎』と叫んで人目を呼ぶのは、恥ずかしい。じろじろと見られてる。私は周囲の目を感じて、羞恥で顔を赤らめた。
 絵里も場所をわきまえたのか、おとなしくなった。
「……うん、ごめん。でも、金原が諸悪の根源なのは確かだけどさ、瑠璃子の彼氏も彼氏だよ。付き合ってる彼女から男に走るって、信じらんない……どういう頭してるんだよ」
 絵里は額を押さえているが、私としては冷静だ。
 すでに四回目。慣れるものだ。
 最初は私も、付き合った男がもともとそういう男だったのだ、と思いこむことで片付けた。
 しかし、四人。付き合う男全てが智明の手に落ちるのを見ると、付き合った男が原因なのではなく、智明が特別なのだと気づいた。
「ルリ」
 後ろから呼ばれたとき、私の肩が跳ねた。
 目の前にいる絵里の顔がひきつっている。  やっぱり、後ろにいるのは……。
 私は小さく深呼吸して、振り返った。
 やはり、間違えようもなく、智明が立っていた。
 智明という男は、男女問わず惹きつける容姿の人間だ。
 実は昆虫のように誰をも魅了する性フェロモンが振りまかれているのではないかと、思ったこともある。
 男らしいタイプではなく、どことなく中性的だ。子供の時は、女の子と間違われたくらい。……いや、美少女だと間違われたくらいだ。つまりもともと美少年だった。
 目元が涼やかで、絶やさぬ笑みは周囲に評判が良い。
 智明は定食をトレイに置いて手に持っていた。
「よかった。席が見つからなかったところでルリを見つけてさ」
 智明はトレイをテーブルに置く。
「ちょっと、勝手に……」
 絵里が口を尖らせるが、智明は笑みを浮かべたままだ。
「誰か別の人のための席なの?」
「……そうじゃないけど」
 絵里が諦めたように言うと、智明は私の隣に座った。
 いただきます、と言って、智明は食べ始める。
 絵里は不愉快さを隠そうともしなかった。
「わざわざ瑠璃子のところに来なくても、大変仲のよろしいボーイフレンドがいるんじゃないの?」
「ん? それが何?」
 一言ですらりとかわされると、絵里はますます苛立つ。
「あんたさあ、いい加減にしなよ」
「絵里」
 私ははっきりと、止める意思をもって友の名を呼んだ。
「次の授業、早く行かないといけないんじゃない?」
 絵里は、あ、とつぶやいた。小さな腕時計に目をやった絵里は、顔をしかめる。
 二人の顔を交互に見、心配そうに私に視線を送ってくる。
 私をここに残していいのか、と思ってくれているのだろう。
 安心させるため、私は鷹揚にうなずいた。
 絵里は行く直前、最後に私にだけ聞こえるように、
「逆恨みでもされてるの?」
 と私のことを案じて訊いてきた。
 逆恨みなら、それこそ私にわかるはずがない。
 でも時折、彼から憎まれているように感じたことはあった。
 私は今でもたまに思い出す。

   *   *   *

 ――中学三年生のとき、初めてできた彼氏の鈴山から、別れを切り出された日。
 別れを切り出されたショックが体の隅まで響き渡っていて、放課後遅くまで私は教室にいた。窓からは木枯らしの吹く秋空が広がっていた。
 そこに、智明が現れたのだ。
 扉はいつの間にか開いていて、学ラン姿の智明が立っていた。声変わりをしたばかりの智明は、それでも中性的なものを残していた。
 智明は笑みを浮かべていた。その笑みがただの喜びや楽しさの感情だけでないことはすぐにわかった。もっと深く、暗い、私に対する強い怒りに似たもの。
 悪意を感じてひるみ、私はシャーペンを取り落とした。セーラー服のスカートの上に落ち、汚い床に落ちる。
 智明は私から決して目をそらさず、口を開いた。
「鈴山君は、僕と付き合うことになったんだ」
 衝撃的で、何の反応も返せなかった。
 確かに、智明は男でも女でも彼氏がいる女でも、彼女がいる男でも、手玉に取れるような魅力に溢れていた。
 私は机の下でこぶしを強く握り締めていた。
 そのこぶしで、優越に満ちた微笑みを浮かべる智明に殴りかかってやりたかった。
 だけど私は殴るどころか、文句すら言えなかったのだった。

   *   *   *

 教室内は暖房が効いて、暖かい。
 部屋は大教室だが受講者が多くて、後ろの方しか席がなかった。
 私と智明は隣り合って、後方の席に座る。偶然にも、私たちはこの日の昼食の後、同じ授業を受講している。
 用意をしようと、教科書やルーズリーフ、ペンケースを取り出す。
 私の持つシャーペンにはストラップのようなものがついている。有名キャラクターの猫の人形だ。
 私はこのキャラクターが昔から好きで、今も自室にいくつかぬいぐるみがある。
 持っている最も大きいぬいぐるみは、小さな子供ほどの大きさのもので、それは小学校か幼稚園のとき、商店街の福引で当てたのだった。
 そのときとても嬉しくて、近所で自慢して回っていた。
 ところが、当時の智明がほしいと言い出した。
 それはもう、嵐のような激しさでほしがった。私は、嫌だあげない、と言ったのだけれど、智明は泣くし、家に帰ろうとしても服とぬいぐるみをつかんで離さないし、根負けして手放した。(その後、智明のお母さんが返しに来てくれて、今も部屋にある。)
 智明が私の彼氏を奪うのは、その延長線だと思っている。必死に私のぬいぐるみをつかんで離さないのと同じ……。

 突如、隣から音楽が聞こえてきた。私はびっくりした。
 智明は音源のケータイを取り出し、話し始める。
「あ、ごめん。……もしもし。……ああ、うん」
 教壇には教授が現れた。授業が始まりそうだったので、智明は立ち上がり、ケータイで話しながら教室の外に出る。
 ……もしかして、前の、奪われた彼氏だろうか。
 そう想像して私はとてつもなく嫌な気分になった。
 ああいやだ。
 どうしてこうなったんだろう。
 どこかで智明と縁を切ればよかったのだろうか。だけど、何か嫌な予感がして、ためらってしまった。それに彼の妖艶な微笑が怖かった。
 怖くて、怒ることもできない。後ろめたいことをしているのは智明なのに、私の方が一歩引いてしまう。
 子供のときから智明に譲ってきた私は、知らず知らずのうちに智明には強く出れなくなっていたのかもしれない。



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