奪ふ男

ジョーカー 3−3 (3/4)
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「……っ、わかった、わかったからっ。智明の言うとおりにする。無視しない。演技もしない。仲良くする。何でもする。だからお願い、やめて、こんなの見られたら……」
 ――言ったね?

 部屋の扉が開き、光が入り込む。
「あれえ?」
 女子たちが入ってくる。
「誰もいないじゃん」
「体育用具室みたいだし、人なんかいるはずないしねえ」
「ごめん、気のせいだったみたい」
「気づかないうちに帰っちゃったのかなあ」
「金原さんもいないしね。先に帰ったのかも」
 足音と声は遠くなっていき、そして再び扉が閉じられた。
 僕たちは、部屋の奥の跳び箱の陰にいた。
 行ったのを確かめてから、立ち上がる。
「行ったみたいだよ」
 傍らにはぐったりとしているルリがいた。三角座りをして膝に顔をうずめている。
「……先に、帰ったら。わたしは、しばらくここにいる。……疲れた」
 顔をうずめたまま、ルリはそう言った。
 それならと、僕は再び腰を下ろす。
「僕もいるよ。一緒に帰ろう」
 夜は暗い。これより遅くにルリ一人で帰したら、心配しすぎて手につかないに決まっている。
「帰りなよ。暗くなるよ」
 言われて思わず軽く吹き出した。僕が言うならともかく、ルリからそんなふうに言われるなんて。
「同じ事をルリに言うよ」
「わたしのことは平気だから」
 そう言われても、僕はそこに留まった。先ほどの淫靡な空気が残る中、ルリはずっと膝を抱えて顔をうずめていた。じっとうっとりと見つめ、背に手を伸ばそうと考えていたら、耳の色に気づいた。
 視線を感じたのだろうか、ルリはぎくりと身体を震わせ、おもむろに立ち上がる。
「暑いから帰る」
 そう言い捨てるようにして、扉を開けて、出て行く。
「なるほど、暑かったんだね」
 そう言いながら、僕も笑みながら追いかけた。

 外に出たらすでにあの女子たちの姿は見えなかった。
 見上げると空は思ったより暗くなっている。
 ルリと帰りながら、僕たちはぽつりぽつりと話をした。桜が散ってしまったこと。家の近くにビルが立つこと。そんなたわいもない話。
 だけど嬉しかった。
 以前のように戻れたようで、嬉しかった。
 ルリは約束を守って、他に誰もいないのに僕と以前のように接してくれた。それが苦だというそぶりも見せない。
「だって難しいことじゃないから」
 それとなく口にすると、ルリはそう答えた。
「……習慣なんだろうね。智明とこうして、『普通』に話をしたりするのは。本当のところ、しばらく前から、ほとんど演技なんてしていなかったよ。意識しないと、私自身演技をしていることを忘れてしまうくらいに。……私たちも、ほとんど生まれたときから一緒だし。家族のようなものだものね」
 家族のような、という言い分にはひっかかった。
 けどルリのこれまでが演技じゃなくてよかったことの方が大きい。
 あの微笑みが、心からのものだったんだ。自然な様子に見えたのは、本当に自然だったからなんだ。僕の目が曇っていたわけじゃない。心からルリは笑って、心から、自然に、接していたくれたんだ。淡々としている様子に喜んでいるようには感じないけど、今までと変わらないということなら当然なんだろう。そんな様子だからこそ、ルリの言うことは本当なんだ。
 ああ、良かった!
 ぐっと拳を握りしめる。
 家の前まで来て、淡々とした様子でルリは僕に言った。
「良かったね」

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