奪ふ男

ジョーカー 2−16 (5/6)
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 ルリをこの場から立ち去らせたのは、彼女はきっと止めるだろうからだ。陸奥をどうしても脅さなければならなかった。可能性を滅した今後のために。どんなときだって側にいたくて側にいてほしいルリを外に出したのは、僕にとって苦渋の決断だった。この胸の痛みを、誰かに理解してもらおうなんて考えていないけど。
 服を整えて歩き出した僕に、時間を置いてから店を出てきた陸奥が遠い後ろから叫んだ。
「お前、何なんだよ! 何がしたいんだ! 意味わかんねえよ!」
 離れてからじゃないと言えない小心さにうんざりしながら、僕は一言も答えず、振り返りもしなかった。
 こいつに僕の気持ちなんてわかるものか。かけらも言う気にもなれない。
 もう二度と、話したくない。見たくもない。

 ――しかし、陸奥の中に疑問を残したままでいたのを、深く、深く後悔することを、そのときの僕は知らない。

 駅ビルから出ると、沈む寸前の夕日の光が鋭く目に飛び込んできた。
 太陽に目を奪われるのは一瞬。気づくと、すぐ隣にルリがいた。
 たぶん、僕のことを待っていたんだ。
 じっと見上げてくる目を見れば、わかる。
「これを、陸奥先輩に渡してほしい」
 僕に差し出してきたのは、さっきルリに返したばかりの貢がされたお金の入った封筒だった。
「これはバンドの資金として渡したもので、私に返す必要はないの。手切れ金としても、ほしくない。私が先輩と会ってほしくないんでしょ。もう会わないし、話もしないから。会わないってことは信じてもらっていいよ。誓ってもいい。私だって二度と怪我なんてしたくないし、そんな人と話したいわけじゃないんだから。だから、智明から渡して」
 予想外のことだった。ルリはお金を渡すと約束をしてしまっていたのかもしれない。ルリは約束を結んだとき、頑固に義理堅くあろうとするから。
 二度と会わないと誓われたことは、純粋にうれしかった。
 ああ、僕の苦労が報われたんだ。
 でも、返すために陸奥に会うつもりもなければ、陸奥に返させるつもりもなかった。
「どうせバンドで必要だっていうのもでまかせにすぎないんだから、財布に戻しておいた方がいい。僕に渡されても、陸奥にはもう会わないから渡せないよ」
 ルリが不思議そうに首をかしげた。
「智明と陸奥先輩は、その、付き合ってる、んでしょ?」
「冗談。どうしてあんなやつと僕が。もう二度と会いたくないね」
 こうやってルリと陸奥が別れた以上、必要ない。
 ルリは口を開けて、呆然としていた。そしてこめかみを押さえる。
「こんな早くに別れるなんて」
 言ってからかすかに自嘲気味に笑い、早さについては私に何も言う資格はないね、とつぶやいた。
 久しぶりに見た、彼女の笑み。ああ、うっとりしてしまう。満面の心からの笑みでなくてもいい。それだけを求めるなんて狭い心は持っていないのだから。
 いまのルリは誰のものではない。
 ……そして、僕のものでも、ない。
 無性に、誰よりも早く気持ちを伝えたくてたまらない衝動があった。
「大好きだよ、ルリ。誰よりも。僕はいつだって、ルリのことしか考えていないよ」
 手を取って、甘く誘うように囁く。
 僕の一億分の一の気持ちだけでも伝わってほしかった。
 手の甲を、指の股を、指先をゆっくりと順に大事に撫でていく。
 ふと顔を上げると、くしゃくしゃの顔をしたルリがいた。
 僕の手を振り払い、距離を取って、ルリは震える声で告げた。

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