奪ふ男

ジョーカー 2−14 (3/4)
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 別れたはずが、どうしてルリに傷を負わせる状況になっているわけだ? ルリの前から姿を消したはずじゃなかったのか?
 陸奥は苦しみから逃れようとしながら、
「違う、違うんだって。話すから、手を離せ」
 僕は耳を傾けず、手を緩めない。
「俺は悪くない! ソコの女が別れてもしつこくしてきて、俺は困ってただけだっ。ないがしろにしたつもりはねえよ。お前は違う。な、だから手ぇ離せ、ホラ」
 驚いた様子でルリが声をあげた。
「陸奥せんぱ……」
「お前は黙ってろ!!」
 陸奥が遮るように叫んだ。
 僕はひとかけらも心を揺さぶられなかった。
 どっちみち、陸奥の言うことなど全く信用する気はない。嘘をつくのに慣れていると知った以上、こいつの言葉を何一つ信じるつもりはない。
 いらいらとしてくる。
 こいつの言葉は、どんなものであろうと憎さが増してくる。
 僕が陸奥に追及しようとしたとき、後ろから小さな声が上がった。
「……先輩が智明をないがしろにしない、ってどういうこと?」
「うるせえ黙ってろっつっただろ!」
「何で、陸奥先輩と、智明が? どうして、何で、どうして?」
 ゆっくりと振り返る。すぐさまルリと視線がかみ合った。
 ルリは、ハンカチで頭を押さえながら、僕を見ていた。
 僕だけを見ていた。
 何かを悟った目をしていた。それでも、それが間違いであることを、僕に求めている。違うでしょ、と目が訊いている。
 答えに一瞬の躊躇もしてはいけない、と僕の中の何かが言ってきて、その内心の警告に従ってすぐさま口にした。
「誤解だよ」
 でもその言葉を発した瞬間、ルリの目が、濁った。
 赤い血で汚れたルリの顔が歪む。
「ひどい」
 ルリは僕だけを見て言った。泣きそうな声で続けている。
「ひどい、ひどい、ひどい、ひどい、ひどい」
 ルリが、涙をこぼす。僕の嘘を見抜いたルリは、壊れた機械のように言葉を紡ぎ続ける。
「ひどい、ひどい、ひどい。何で、どうして、ひどい、智明……」
 絞り出す非難の言葉は、僕だけに向けたものだった。
 僕だけへの強い視線、僕だけに向けた強い感情の発露。
 それへの悦びにたゆたう暇はなかった。
 頭のハンカチを押さえたまま、ルリは立ち上がる。おぼつかない足取りで、扉へと向かって歩く。
「ひどい、もういや、ひどすぎる」
 僕は陸奥の首を締め上げる手を離して、慌ててルリの前へと立ちふさがった。
「血が出ているのに」
「それがどうしたの。智明には関係ない。智明がいないところに行くの。どいて。顔も見たくない」
 ルリの放った言葉のナイフは思いもよらない鋭さで、僕の内側を切り刻み、硬直させた。
 ルリはうつむいた顔を決して上げることなく、僕の横をすり抜けてゆく。
 このままルリが一人でどこかに行ってしまうのはわかっている。
 でも喉から声が出ない。開きかけた唇が閉じ、結ばされる。何と言って引き留めればいいのかわからない。
 頭の中が麻痺している。どうしたらいいのか、どう言えばいいのか、わからない。考えることができない。
 引き留めたい。どこかへ向かうならついて行きたい。
 だけど、僕はルリが教室を離れてしまうのを、不本意にも見送っていた。
 見送ってなお、先ほどの言葉のナイフは僕を切り刻み続けていた。鐘の音のように頭の中で反響し続けている。
 その言葉の意味を、理解できない、したくない。

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