奪ふ男

ジョーカー 2−14 (2/4)
戻る / 目次 / 進む
 強張って激情に支配されそうな顔を無理やり笑みを作ってみせる。もっと自然に笑わなくちゃいけない。こんな時に笑えず、何のために今まで、笑いたくなくても笑ってきたのか。笑え、笑え、ルリの緊張を解き、もう大丈夫だと知らせるために。脳から表情筋へ強く訴えかける。
 もっと安堵させなければならない。どこが傷かわからないから頭は触れず、頬を撫でる。そして何度も繰り返した。大丈夫だよ、安心して、と。
 涙は頬から横に流れた跡が幾筋もある。その上に、更に涙は溢れた。
「あ、う……」
 ルリは僕だけを見つめる。涙を流しながら。僕は応えるために、笑顔を作り続けた。瓶に水が溜まるように臨界点がやってきたのか、ルリの顔が崩れた。歯を噛みしめて、目を瞑る。その美しい睫毛の下から涙が溢れて止まらない。
「ともあき……!」
 何かが決壊したように、ルリは大声で泣き始めた。僕の名を呼びながら、慟哭する。
 握りしめられた手が、僕に向かって広げられた。
 ルリを抱き寄せようと、花瓶の破片や切り花を横にやる。そして、床と彼女の身体の間に腕を滑り込ませ、上半身を起こさせた。
 花瓶の水は床に広がっていたようで、ルリの背を全面的に濡らしている。水滴が間断なく落ちてゆく。抱きしめ、背をさする。水に濡れていたけれど、ルリの背は熱かった。背だけでなく、抱きしめて触れた場所全てが熱い。
 何度も何度もささやく。
「もう大丈夫だから、もう、こんなことはないから、僕が守るから」
 二度と、こんなことをさせられるものか。こんな痛みを負わせるものか。
 目頭が熱くなってくる。
 誰であろうと。これから、僕は守るから、何をしても。どんなことになっても。絶対に、僕が。
 ルリは顔を僕の胸に押しつけ、泣き続けている。でも先ほどよりも安心したのか、泣き声は小さくなって、少しだけほっとする。
 でも、ルリの後頭部に目を向けると、息を呑んだ。
 髪の合間から見える白いうなじから制服にかけて、赤い血が伝い落ちている。血が止まっていない。
 ハンカチを取り出したものの、確かな傷口の場所がわからない。このあたりだろうと見当を付けて、傷の触りに気をつけながら、ルリの頭の僕から見て右側を押さえた。
 青いハンカチはみるみるうちに紅く染まってゆく。
 ハンカチを押さえている手の上から、別の手が重ねられた。
「頭の傷は、深くなくても、他の場所の、き、傷より血が多く出るって、聞いたことあるから。そんなに心配しなくて、いいよ」
 冷静さを少し取り戻したルリは、僕の腕を叩き、僕を安心させようとする。
 でも血が流れ続けているのは変わらず、ルリの顔色は悪く、声も震えてたどたどしくなっている。
 傷は、ハンカチで止められるようなものじゃない。
「保健室、いや、病院に、救急車を……」
「大げさな」
 背後で、鼻で笑われた。
 かっとなって立ち上がり、振り向く。陸奥の襟元を掴み、そのまま黒板へ背を押しつけた。
「よくもそんなことが言えるな、お前」
 このまま絞め殺すべきだ。いや、そうするのが遅すぎたくらいだ。後悔すら覚えている。こいつは殺しても殺し足りない。
 本気でそう思って力を入れるが、陸奥は僕の腕に手を掛け、必死にそれを留めようとしてくる。
「一体どういうことだ、あ? 別れたって言わなかったか? 僕に納得させられるような言い訳があるのか?」
 言いながら力を加え続ける。

戻る / 目次 / 進む

stone rio mobile

HTML Dwarf mobile