奪ふ男

ジョーカー 2−11 (4/5)
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 でも、何も変わりはしなかった。ルリは陸奥と付き合い続ける。笑って別れることができるまで――つまり永遠に。
 手のひらを見つめる。抱きしめたルリの柔らかさや温かさを思い出す。初めて知ったルリの唇の感触も、間近で感じた吐息も。
 でもこれは、僕だけに許されたものではない。今のままでは。僕以外に公然と、それを許された奴が存在してしまう。
 僕以外の人間が、ルリの唇に触れ、身体の柔らかさを知る――
 僕だけが知っていればいいことを、他の誰かに知ることを許される――
 今この時でさえも。
 耐えられない!
 燻っていた情念が、大きく燃え上がっていく。
 陸奥とルリが付き合い続けるなんてことは、絶対に耐えられない。
 ルリに何を言ってもどうにもならないだろう。
 ならば、方法は一つしか、僕は知らない。

   *   *

「その髪を何とかしろと言っていただろうが! どこが変わったというんだ!」
 生活主任の教師が頭から火を噴く勢いで、廊下上で叱っていた。
「毛先をちょっと切ってきましたって、ホラ」
「肩より上にしろと言っていただろう!」
 叱られている当人――陸奥は、へらへらと笑った。髪は、腰ほどまでに長い。
 僕は叱っている教師へと、後ろからゆっくり近づく。
「先生」
 僕はゆっくりと、その教師の二の腕に手を置いた。名も知らぬ教師は僕のことを知っていたようで、「金原」と高い声を上げた。
 僕は口の端を上げ、眼を細めて斜めから見上げる。僕の顔にはあでやかな笑みが浮かんでいたことだろう。
「職員室で、先生のことを探してらっしゃいましたよ」
 僕のでまかせに、すぐに職員室へ向かおうと足が動きかけた。けれどその教師は陸奥のことを見ながら、「む、しかし……」と顔をしかめ、足を止めた。もう一つ、後押しが必要か。
「先生を早く呼ぶよう言われました。先生に職員室へ向かっていただかなければ、僕が叱られてしまいます」
 少し悲しげに、途方に暮れて困ってしまったような顔を作った。
「先生」
 一歩近づく。近づきすぎと言われるような距離。どうかお願いします、という切実な意味を込めて、呼びかける。手のひらで、教師の二の腕を撫でると、教師の視線が手に集中した。じっと、ぎらぎらした厭な眼で見つめている。
「先生」
 ゆっくりと籠もるような声でもう一度呼びかけた。この距離なら、小さな声でもしっかりと耳に届くはずだ。この教師には、先ほどと同じ切実な意味を含んだものと聞こえただろう。はっ、と教師はようやく僕の手から視線を逸らした。
「それなら仕方ないな」
 と言う教師に威厳はなかったものの、慌てて職員室へと向かった。
 残ったのは、僕と陸奥。
 向き合ったのは初めてのことだった。開けた胸元にはネックレス、手首にも腕時計以外にも飾りがある。中肉中背のこの男は、癪なことに僕より背が高かった。面長の顔の中にある目が僕を見下しながら観察している。
 制服を崩しまくっている奴は、芝居がかった態度で前髪を掻き上げた。
「……もしかして、さっきのは助けてくれた? ……名前は、何て言うのかな?」
 向けられた陸奥の眼は、僕に興味を持った眼。今までたくさん見てきた眼だ。
 僕はヘドが出そうな思いで、満面の笑みを浮かべる。

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