奪ふ男

ジョーカー 2−11 (3/5)
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 どうでもいい奴らにであれば、いつだって適当にうまいことを言うのに、ルリ相手であれば言葉が出ないことがある。他の人間に部屋に来て、だとか言われたことは数知れずだが、すぐさまうまくあしらう言葉を口にする。でも今、僕は絶句していた。
「……嫌?」
 ルリが首を傾げている。僕は慌てて首を横に振り、言葉を振り絞って笑みを作り上げた。
「全然。おばさんやおじさんがいても、僕は一向に構わないよ。ルリのベッドって僕には小さいけどね」
 ついでにあの家、家中に声がよく通るけどね。
 ルリは瞠目し、僕の腕を叩いた。
「何、変なこと考えているの。あ、まだ酔ってるんだったね。ったく、酔っぱらいはもう」
 赤い顔で怒られる理由がわからない。というか、確実に酔っぱらいに認定されているのが不本意だ。ルリのベッドが嫌で客間の布団がいい……という問題ではないのはわかる。
「しばらく前まで、よくうちに泊まっていたじゃない。智明のおばさんもおじさんもいないなら、うちに泊まって、朝ご飯だって食べていったら? お母さんと私が作るよ。智明、朝食ちゃんと食べているか怪しいし」
 ふうん、僕の健康を考えてのことか。残念。
 中学くらいまで、僕はルリの家に何度も泊まっていた。おばさんが勧め、時には今のようにルリが勧めて。最近はないけれど。多分ルリは、そのときと同じつもりで言ったのだろう。
 ついさっきベッドで押し倒されながら、ルリはまったくそんなことなかったかのような顔をして、こんなことを言う。多分今のルリの頭の中を占めているのは、押し倒されたことより、僕の両親が家にいないという事実。ただそれだけなのだろう。
 ふと、小さな頃、幼稚園か小学校の頃を思い出した。僕がルリの前で泣くことを、恥ずかしいと思っていなかった頃のこと。両親のいない真っ暗な家の中、ルリと泣いていた日のこと。
 今まで、何度もルリは僕に、泊まらないかと誘ってきた。そのときと今と、ルリは同じ顔をしていた。笑顔の奥に、悲しみが隠れている。
 ルリは変わらない。
 それを知って、僕はほっとしていた。
 でも、
「ごめん。申し出は嬉しいけど、家で勉強したいから。一人きりの家の方が、勉強はかどるんだよね。今日は無理でも、ぜひまた誘ってほしいよ」
 今日はテスト週間の真っ最中だ。テストの点数と頭の良さは違うとわかっていても、ルリには頭が悪いと思われたくない。小さな意地がある。
 ルリの家に泊まるということにくらくらとするような魅力を感じるものの、それは生殺しの苦しみと表裏一体だとわかっている。多分眠れないと想像つく。
 ルリは、僕が断わったことを気にしていないと本気で思ってくれているのだろう。中学までだって、誘われたって断わった時もあるのだから。彼女は変わらない笑顔のままだ。
 ちゃんとお水をたくさん飲んでね、なんて言いながら、ルリは家へと帰っていった。
 
 家に帰り、ルリに言った通り勉強を再開した。そして十分勉強し、することを済ませた後、僕は自室のベッドに潜った。
 その瞬間、身体中がひきつった。
 ルリの匂いが残っていた。
 強く目をつぶると、より感覚が鋭敏になってくる。満たされている。水槽の中に閉じこめられ、そこにルリで満たされ、ルリに包まれているかのようだ。
 ベッドの中で手を目一杯広げ、そして掴むように握りしめた。しかし、開いてもそこには何もない。
 ――今日の夜は特別なことがあった。

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