奪ふ男

ジョーカー 2−8 (3/5)
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「たった一週間で別れるなんて考えないで、もうちょっと付き合ってみたら?」
「…………。いや、だめ。こんな気持ちじゃ陸奥先輩に悪い。ちゃんと別れなくちゃ……。どうしたら別れてくれるんだろ……」
「…………」
 眼鏡の女は答えない。方法が見つからないのかもしれない。
「……先輩に償わなきゃ、いけない、のかもしれない」
 ルリはぽつりと漏らした。
「償うって?」
「陸奥先輩、今バンドのことですごく困ってるらしくて、それで更に私に別れられたらもっと困るって言ってて……だからバンドの方を助けたら、別れてくれるかと思うんだ」
「助けるって、素人の瑠璃子が何を?」
「それがね……」
 瑠璃子と眼鏡の女は靴を履き替え終わったらしく、二人で運動場の方へ向かった。下駄箱を挟んだ向かいにいた僕には振り向かなかった。気づいてなかったのだろう。
 僕は榊に両腕を押さえられていた。
「離せ」
 ルリたちが行ったのを確認して、榊は手を離す。
「……あの場にお前が出ていって、どうすんだよ」
 榊はため息を吐いた。
 黙って聞いていた僕は、最後の『助ける』ということが気になりつつも、ルリの甘さを呪う。
 別れてくれない? 陸奥があれこれ言おうが、そんなの無視すればいい。バイト先に来ようが、同じ学校だろうが、無視し続ければいい。付き合う気をなくすくらいに罵倒すればいい。
 そうできずに、下手に出て相手の了承を得ようとするルリの甘さを呪う。
 結局の所、考えてみれば、ルリは付き合い続けるということだ。このまま。陸奥が、別れると言わない限り。
 陸奥に、別れると言わせなければいけないということだ。
 靴箱の角に置いた手に、力を入れる。握りつぶすように。
 ルリに任せてはおけない。やはりここは僕が――
「金原、妙なこと考えてないよな?」
 榊が水を浴びせるような言葉を投げる。
 そういえばと思う。
 この眠そうな男を、危険人物として警戒したこともあった。
「……榊は、さっきの話を聞いて、何も思わないのか?」
 少し黙って、榊はぽりぽりと頬を掻く。
「ん、まあ、そうですかというか。谷岡さんが誰かと付き合い始めたってのは、知ってたし?」
 西島が言いふらしたことを、こいつも聞いたようだ。
「付き合い始めたって聞いて、何か感想は?」
「……あー、ちょっとショックかなあ、ってとこかな。ちょっとな」
 呑気な物言いに、僕は笑いが喉から溢れてきた。
 ちょっと。
 ちょっとショック。
 たったそれだけか。その程度のことだったのか。
 僕はそんなものじゃ済まない。憎しみに似た嫉妬に支配され、暴走しそうになる気持ちなど、こいつには理解できないだろう。
 哄笑する。こぼれる笑いが止まらない。こんな雑魚に不必要なほどに気を取られていた僕自身に対しての、嘲笑。唇の端を上げ、嫣然と笑む。
「君程度を危険視した僕が馬鹿だった」
 こいつに目を向けるよりも、もっと大事なことがあったというのに。陸奥という、もっと大事な問題が。
 榊の眠そうな顔が、徐々に変わっていった。
 霞が晴れた顔。眠りから覚めた顔。
「お前……まさか、谷岡さんの周囲に人を寄せ付けないようにしたのって」
 榊はその後の言葉を飲んだが、答えはわかりきってる。今更気づいたのか。
 そうだ。僕は排除するんだ。ルリの周囲から、僕以外の人間を。
 今この時なら、最も邪魔な人間――陸奥を。

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