翼なき竜

25.宰相と葉(2) (2/7)
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 宰相の脳裏に、狂気に冒されたように侵攻を開始すると宣言した女王の姿が浮かんだ。彼女が我を失ったあの……。
「そう、エル・ヴィッカの戦いのときだ。もともと竜の翼は、二つそろって、どう猛さを抑える働きをしてくれた器官だ。支配欲、戦闘欲に負けそうになるたび、片翼の力は失われていく。それまでこらえていたつもりだったが、とうとうエル・ヴィッカの戦いの時、欲に負け、戦争を始め、自ら前線で戦った。それで一気に残りの片翼の力を失った」
 だけど、頬に翼はあるではないか。ちゃんと残っているではないか。
 ――ねえ、嘘でしょう? ねえ、陛下。
 心中懇願する宰相には気づかず、女王は落ち着いた様子で自らの頬をブッフェンに示す。
「今、片翼は前の通りに残っているだろう? けれどこれは、私の飼っている竜の力を分けてもらったハリボテだ。本当はもう残っていない。瀕死状態さ」
 宰相は思い出す。エル・ヴィッカの戦いの後に見た、彼女の頬。そこには翼なき竜がいた。見間違いかと思っていたが、本当にそのとき、翼は失われていたのか。
 そしてこの前も――
「この前のレミーの事件の時、私の飼っている竜が襲ってきただろう? あれはね、私が翼を完全に失いかけたからだ。ナタンと戦って、私はそのとき理性の全てを失う寸前だった。だけど、宰相が身を挺して守ろうとした。……あれは奇跡だったのだろうね、目の前でそれを見て、私の中に最後の理性が戻った」
 でももうだめだ、と湿った震える声で女王は言う。
「二度目の奇跡はないだろう。もう……春も待たないうちに、戦争か何かがきっかけで、きっと私は理性を失う。そして、いつも共にいてくれた竜に食われる」
 女王はアルマン王の像を見上げる。彼の像の頬にある両翼の揃った竜のあざを。
 説明を終え、女王は黙る。
 ずっと話を聞いていたブッフェンは、何を言うのかと思いきや、場の雰囲気にそぐわない猥雑さでうなった。そして竜の絵と女王の頬を見比べる。
「……正直、信じられねえんだけど。いきなりそんな話。お前冷静じゃねえか。死ぬ前だっつうなら、もうちょっと冷静じゃいられねえだろ?」
 な、そうだろ、とブッフェンは女王に懇願するように問う。
 宰相もそう思いたい。今の話は全部冗談だろう、と思ってしまう。
 本当の話とは思えない。淡々と語る彼女が、本当にもうすぐ死ぬとは思えない。いつも通りではないか。
 そんな、こんな……話、信じられない。
 女王は石像の土台の部分に寄りかかった。
「冷静……それはそうだ。私が片翼を失い、残りの片翼もいずれ失う――食われて死ぬと知ったのは、七年も前のことだ。泣くのもわめくのも暴れるのも悪夢を見るのも、もう飽いた」
 女王は疲れたように首を曲げて、石像に側頭部をぶつける。
「……私だって信じたくなかった。だが現実に翼は着実に失われ、徐々に闘争本能の誘惑は大きくなってきた。……信じなければ嘘になったなら、私だって信じなかった。だけど、そんなことをして闘争本能の誘惑に負けても、死ぬだけだってわかってたんだ。理性的に冷静になる以外、私に生きる方法はなかった……!」
 宰相は息を呑みそうになった。
 レミーのことを調べているとき、女官のマガリは言っていた。即位直後の女王は、愛竜のギーにすら剣を振るうほどに荒れていたと。
 それは当然のことだったのだろう。竜に食われるとなれば……それも目の前の竜に食われるであろうことがわかれば……。

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