翼なき竜

24.宰相と葉(1) (4/5)
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 宰相は怪我のせいで、毎日は出仕できなかった。その日も医者の診察を受けたり治療をしてもらう日で、王城に出られなかった。
 治療を終え、服を整え、書斎に入ろうとした。
 黒檀の大きめの机と周囲に本棚が並んである部屋である。窓のカーテンもカーペットも慣れ親しんだ部屋だ。あまり人を立ち入れさせず、宰相個人の、ひとりで考えを練る部屋だった。
 その慣れ親しんだ書斎に入った途端、びくりと宰相は立ち止まる。
 黒檀の机に腰掛けている子どもがいたのだ。
 ゆったりとした黒い服はすそが長く、袖も長い。細い帯で腰をしめているだけの、形状としては簡単な服。数百年前の古い服装のようだ。黒い髪は足ほどまでに長く、結わえられていない。
 子どもはまるでこの部屋の主のように奔放に足をぶらぶらとさせ、真正面から青い瞳で興味深そうに宰相を見ていた。
 見たことのない顔である。
 戸惑い、扉の外にいる騎士に、
「中にいるのは誰ですか?」
 と尋ねた。
 騎士は首をかしげて部屋の中を見る。
「中に誰かいるんですか? 入れた覚えはありません。どこにいるんですか?」
 目の前にある机の上に座っているではないか。部屋に入ったらすぐに見える位置に。
 けれど騎士は部屋の中を回って探しながら、気づいていないようである。
『他の人には見えないんだ。ここでは君しか見えないよ』
 子どもが口を開く。
 その声は、あり得ないほどに高音で、耳を通さず頭の中に響いてくるような感じだった。『音』だと思えない。
「誰もいないようですよ」
 子どもの前で、騎士は肩をすくめた。
『ほらね』
 子どもはくすくす笑う。
 何か見間違えたようですね、と言いながら騎士は部屋を出て行った。
 ばたん、と扉を閉められる。
 なんなのだ、この子どもは。不気味で近づく気になれない。
「……誰ですか、あなた」
『ギャンダルディス……と言っても、君はこの名を知らないだろうね。何度か会っているんだけどね。ふふ』
 見た覚えはない。こんな不思議な声の出し方の人間に会っていたら、覚えているはずだが。それにそもそも、他の人間に見えないとはどういうことだ。
『レイラ以外の人間と話すのは久しぶりなんだ。だから失礼なことを言っても笑って許してね』
 女王を名前で呼び捨てにしている。いっそう不気味に感じた。
 どこの誰だ。女王と親しくしている人間、しかも呼び捨てにするほどの親しい子どもなんて、知らない。
『そんなに引かないでよ。……それにしても体中の傷、痛い? とりあえず、レイラを身を挺して助けてくれてありがとう。君の行動に、彼女は救われたんだよ』
 ギャンダルディスと名乗った子どもはにこりと笑う。
「……あなたは何のために私の前に現れたのですか?」
 ギャンダルディスは難しい顔をして、腕を組んだ。青い瞳がきらりと光った。
『僕はねえ、君に対して複雑な気持ちなんだ。君の傷を見ると申し訳ない気持ちにもなる。レイラを助けてくれた人でもあるから、お礼を言いたい気持ちもある。……でもね、すごく腹立たしい気持ちもあるんだ』
「……?」
『だからこれから言うことは、君への怒りゆえか、君への感謝ゆえか、僕自身にもわからない』
 一瞬だけ、子どもは翳りのある表情を見せた。それはすぐに消えた。
 宰相が謎めいたせりふと表情をいぶかしがると同時に、ギャンダルディスは机から降りた。

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