翼なき竜

23. 女王の子(6) (4/6)
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 彼女の声は震えていた。
 彼女は気づいていないのだろう。
 七年前の話をし始めたときから、女王は宰相の顔を見ないようにしていた。ついさっき、ようやく顔を向けたのだ。
 七年前の話、その話に女王自身のことはろくに語られなかった。宰相も聞こうとは思わない。
 しかし、グレゴワールと似ていること、それだけは忘れられる話ではない。
 宰相は、彼女との出会いを思い出す。
 そのとき女王はおびえていた。
『やめろ、来るな……!』
 おびえながら、腰にある大剣を抜こうともせず、逃げようとした。
 彼女は、宰相をグレゴワールと重ね合わせていたのだろう。
 顔を見せるたびに、七年前の事件を思い出させていたのだろう。
「似ているのでしょう? 私の顔を見るたびに、嫌なことを思い出していたのでしょう? どうして私を辞めさせなかったのです? 顔も見たくなかったでしょう」
 きっと、近くにいるだけで辛かったのだろう。
 女王という立場から臣下を適材適所で振り当て、イーサーを財務顧問、宰相という地位に任命したものの、苦しかったのだろう。
 それを勝手に告白して、どれだけ迷惑に感じていたのだろう。
「言ってくれればよかったんです。そうすれば私だって宰相という地位に執着するほど、愚かではありません。即座に職を辞して、二度と顔を見せませんでした」
 そうすれば、彼女だって苦しまなかったはずだ。
「そんな、そんなの、私は望んでいない。宰相を辞めてほしくない。……気にしてほしくなかったんだ。何も知らないでいてほしかったんだよ……」
 女王は宰相の手を強く握り、立ち上がる。宰相の顔を見下ろし、悲痛な訴えをする。
 宰相は首を回し、顔を背けた。痛みが走ったが無視する。動く方の片手で顔を覆い、請うた。
「……お願いします。帰ってください」
 息を呑む音が耳に届いた。
 
 
 ぱちりぱちりと、暖炉の火がはぜる。暖炉の中にある小さな火は、かすかに燃えている。
 その前に置かれた椅子に座っている宰相は、冷めた瞳に火を宿していた。
「うお、あっちい! こんな真夏に暖炉……寒いんですか、宰相閣下」
 爺に案内されて、ブッフェンが部屋に現れた。部屋の温度に顔をしかめ、手で煽いでいる。
「……何の用ですか」
 自分でも驚くほど冷たい声音だった。
「見舞いですよ。女王陛下が回復したと思ったら、今度は宰相。災難でしたねえ、ま、とにかく生きててよかった」
 ブッフェンはおもむろに近寄ると、宰相の額に手を当てた。
「熱はないようだ。寒気は? 寒いなら寝てた方がいい」
 宰相は痛む腕で、ブッフェンの手を払う。
 すぐに暖炉の火へと視線を戻し、眉を寄せながらとげとげしく言う。
「……寒くはありません。火を見ていただけです」
「火」
「そうです」
 宰相の瞳には、暖炉の火だけが映っている。
 胡乱なまなざしを向けるブッフェンは、爺を呼んで、水桶を取ってこさせた。そしてその桶一杯の水を、暖炉に投げ入れる。
 肉が焼けるような音と煙によって、火はかき消されてしまった。
「何をするんですかっ」
 宰相はようやく、ブッフェンに顔を向けた。
 ブッフェンは空っぽの桶を乱暴に爺に返した。
「どうせ、火で顔を焼くとか、ろくでもねえことを考えているからでしょうが。あんたが怪我人じゃなかったら、頭から水、ぶっかけてましたよ」
 ぐっと詰まった。その通りだったからだ。

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