翼なき竜

15.英雄の場(3) (3/6)
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 死の鐘を撞かせ、明日には城下では黒い旗が掲げられるだろう。それは各地へと広まるだろう……。
 洪水被害のための指示もさせ、部下全員を走らせたとき、そこにはまだ宰相以外に、セリーヌがいた。
 王太后は窓から人工的な田園風景を眺めていた。いつもと変わらぬ日であるかのように。鴉が遠い空を飛んでいる。
「……やはり、ここから見る風景が一番美しいですわ。だって近くへ行くと、靴が土で汚れることもございますし、水車の音もよろしくありませんわ」
 パーティの歓談するときのような話題であった。
「王太后様、無理をなさっているのでは」
 何しろ、夫を義理の娘に殺されたというのだ。どのような感情が渦巻いているのか、わかったものではない。
 おっとりとセリーヌは答える。
「宰相様。貴方って陛下がおっしゃるように、お優しい方でございますわね。三十年連れ添った夫が死のうとまったく心が動かされない妻、という存在なんて、信じられないのかしら?」
 セリーヌはくすくすと笑う。宰相の表情がこおりついた。
 部屋の中では、エミリアンのなきがらの周りで、彼の部下達が準備をしていた。
 二十年王であった方なのに、その彼に付き従っていた部下達だというのに、黙々と作業を続けてる。誰も――哀しむことはなかった。
「エミリアン様は、王でございましたわ。夫でも愛する人間でもございませんの。だからあの方が望んで殺されたというなら、それもよいのではございません? あの方がわたしや他の人間に望むのは、肯定の言葉と命令に素直に従うことだけでしたもの。『そうでございますわね』って言っていれば、あの方はなんだって満足なさったのよ。単純な方ね」
 従順な王太后だと思っていた彼女から出た辛辣な言葉に、宰相は相づちも打てない。
「どうして素直に従っていたかというと、王だから、という理由以外ありませんの。王でなかったらわたしは連れ添っておりませんでしたし、部下の方達も従っておりませんでしたでしょう。あの方には、王という価値しかございませんでしたわ。悲しいことに、あの方自身もそれをよくわかっていらしたの。だからこそ、王というものにどんどんと固執していかれ、王の権力を強化なさったわ。……悪循環と言うのかしらね」
 他人事のような口調だった。愛する夫が亡くなったばかりの妻の口調でも、言葉でもなかった。何かの研究題材を、第三者として見て、推論するような。
「エミリアン様の自我は、王という立場と混同されていた。王が自分だと思い始めていらっしゃった。あの方は誰よりもご自分を愛された。だから、次の王位を継ぐ娘も愛された。……悲しいのは、女王陛下もエミリアン様を愛されたことでございますわ。エミリアン様は自身が誰よりも素晴らしい王であるということを、女王陛下にすり込ませていた。王を非難する方、政策に異を唱える方、あの方が王であったとき、そんな方は全て排除されてございましたもの。そうやって、レイラ女王陛下はエミリアン様の素晴らしい面しか見ることを許されなかった。……結果、盲目的に父親を敬愛なさる。……そして今回、敬愛する父親の最期の願いを、孝行娘らしく、陛下は叶えて差し上げた。……そういうことですのよ」
「ずるい……です」
 宰相がうめくと、セリーヌは微笑んだ。
「そう、あの方はずるいの。娘が断れないとわかっていて、頼みましたのよ。娘がこれからどれほど罪に苦悩するのか、わかっていたのに。あの方は自分――王という立場のことしか考えてらっしゃらなかったから」

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