翼なき竜

15.英雄の場(3) (2/6)
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 無理やりにでも彼女をエミリアンから引き離したかった。これから起こる悲劇の舞台に立たせたくなかった。
 女王はちらりと振り返る。宰相の表情を見ると、氷のような顔を少しだけ溶かした。
「……お前は、やさしいなあ」
 彼女は目を細め、乾いた微笑みを浮かべる。
「セリーヌ様、宰相を部屋の外に連れ出してください」
「はい」
 女王の義母であるセリーヌは、宰相の手を引く。
「待って、待ってください!」
「……宰相様、おやめなさいな。もう運命の車輪は動き出しました。わたしたちにできるのは、それを見守るのみでございます」
 セリーヌは淡々と告げ、宰相を部屋の外に連れ出す。
 両開きの扉が、固く閉じられる。
 閉じられる瞬間、女王は再び背を向けていた。

 部屋の外の廊下に、みなが揃っていた。
 部屋とは反対側の窓からは田園が見える。一見どこかの農村のようであるが、人工的に風景として作られた村に過ぎない。真実ではない、飾りの風景だ。
 驚くほどに、セリーヌは、エミリアンの部下は、医師は、静かであった。察して静かと言うよりも、無関心さが混じっているように感じるのは、宰相の気のせいだろうか。
 その場にいる者は、待っていた。
 ……それを待つという残酷さをひしひしと感じながら。
 宰相が部屋を出てからしばらくして、部屋から物音がした。人の声も。
 反射的に、全ての人間が部屋の豪華な扉に目を向ける。
 物音は、それ一回きり。
「雷が落ちたのでございますわ」
 なんてことなさそうに、セリーヌは言った。
 そんな彼女の見る窓からの風景は曇り空であったが、雨は降っていない。雷の音は……他には聞こえなかった。
 宰相は絶望感に満たされていた。唇を噛みしめながら、ここにただ立っている自分に、無力さを思い知っていた。

 扉が再び開いた。
 死神のように白い顔の女王が、ゆらりと一歩、部屋の外に出た。
 誰かの喉を鳴らす音すら響くほど、静かだった。
「……父上は、病死した」
 一歩、彼女は前に出る。
「と、国中に知らせろ。葬儀の準備を――宰相」
 はっと目が覚めたように宰相が顔を上げる。
 それでも彼女の顔が見れなくて、扉の先の部屋の中に視線を移す。
 部屋の中には何一つ動くものはない。ベッドも、ふくらみがありながらぴくりともしない。
「……はい、すぐさまに」
 頭を下げて上げて、ようやく見た女王の顔は、死んだような顔をしていた。
「それと、ジャキヤ地方へ、洪水被害の支援のために派兵する準備を」
「準備は調えさせているところです。明日には出立できます」
 女王が驚いたように宰相に目を向ける。
 軍の最高司令官は女王である。派兵の準備を、女王の断りなくする権利は、宰相にはないのだ。
 準備をさせるだけとはいえ、これは越権行為だった。
 しかし女王は目を細め、手を伸ばし、おもむろに宰相の肩を叩いた。
「ありがとう。……全ての準備、頼む。私は……しばらく、教会にいる」
 女王はそう言うと、一人機敏に歩き出した。
 彼女の姿が見えなくなって、誰かが、ふう、と息を吐く。
「……エミリアン様のご遺体は、私たちが何とかいたしましょう」
 医師とエミリアンの部下がそう言って、部屋に入っていった。
 宰相は彼自身の部下を呼び、全国各地へ伝令を走らせる。
 二十年王であった方が、現在の女王の父である方が、病気で、亡くなったと。

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