翼なき竜

13.英雄の場(1) (4/5)
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「宰相閣下がお越しになられました」
 入ってきたのは、いかにも走ってきたといわんばかりの男だ。
 青銀の髪が少しほつれている。蒼い瞳は、女王を食い入るように見ていた。
 ……あの日、女王に手を上げた男――!
「貴様! まだ宰相であったか! 兵を呼べ! すぐに殺せ!」
 エミリアンは激高し、叫ぶ。
 そんな女王は、彼をなだめた。
「父上、やめてください。彼を殺す必要はありません」
「必要がない!? ばかな! 女王に触れることはおろか、手を上げたのだぞ! 殺すのに十分だ!」
「父上。私自身が、女王である私が、いいと言っています」
 女王の言葉はきっぱりとしていた。
 エミリアンは詰まる。王の言葉は絶対だ。
 だが腹の底で怒りが渦巻くエミリアンは、王に手を上げた存在をそのままにしておけない。
「……なぜ生かす。即座に切り捨てれば済む話だ。代わりなどいくらでもいる!」
「いません。……私は、父上のようにはできないのです」
 女王は泣きそうな声だった。
「父上のように一人で正しく決断し、一人で公平でいて、一人で厳しくあれたなら、どんなによかったか。六年……王でいました。それで学んだことは、私は一人で王でいられないことです。父上のようにいられないんです」
「それは周囲にいる連中が悪いのだ。お前は王なのだ。王は正しい。王以外に自らの考えで動く者など、必要ないのだ」
 女王は何度も首を横に振った。
「私は……父上のような王には、なれなかった」
 エミリアンは娘の強情さに目を剥く。
 娘はいつでも父に対して従順であった。父を一心に信頼し敬愛する娘を、エミリアンは愛していた。
 王座を譲るときには、きっとこの娘は父と同じ考えで父と同じように国政を動かすことと思っていた。
 そうなされなかっただけでなく、王をやめるなどと言う……エミリアンは許せなかった。
 国政の担い方に関しては、百歩譲ろう。王の判断ならば。
 しかし、王をやめる、などという言葉が許せなかった。王の否定は、絶対に存在してはならない。
 なぜ、なんて疑問はない。それは絶対の真理だから。
 王は神。神の否定が許されないように、王の否定も許されない。
 エミリアンは娘の肩をつかもうと、手を伸ばす。
 だが女王は離れた。
「父上、また見舞いに来ます」
 女王は背を向けた。
「陛下、待ってください!」
 慌てたように、宰相が後を追う。
 エミリアンも追おうとした。しかし、病に冒された身体は思うように動かない。約十年、この病と共にあったが、このときほど恨めしく思うことはなかった。


「陛下、待ってください!」
 女王は廊下を颯爽と進む。
 扉の前の兵士に、
「扉を閉じなさい!」
 と宰相は命じた。
 慌てて兵士は閉ざす。しかし女王が、
「開けろ」
 と言うと、兵士は二人にきょろきょろと目を向けながら、結局扉を開けた。
 万事その調子で、女王は簡単に王城から出て、馬車に向かう。
 逃げ回っているのに王城に来るなんて、と思ったが、それは間違いだったと気づき、宰相は舌打ちする。
 そうだ。女王はこの王城の主。宰相の命令より女王の命令が優先されるようにできているのだ。
 城下に潜伏して、たとえ兵士に見つかったとしても、女王が黙っていろと命じるなら、そうする兵士もいるだろう。
「……待ってください、陛下」
 女王は馬車の前で振り返った。

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