翼なき竜

12.無翼の雨(2) (4/5)
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 いくら信じられなかったからって、失望したからって、人間としての怒りが湧いたからって、王に手を上げたのだ。死刑執行中に石を投げられても文句を言えない。
「そんなばかな。お前のおかげで助かったのに」
「え?」
「……いや、何でもないよ。死刑になんてさせない。もちろん、宰相もやめさせない。お前を殺させるわけがないよ」
 甘いささやきだった。
 女王は宰相の背に手を回し、抱きしめた。
 手と同様、彼女は温かい。雨の中、かすかに彼女の香りがあった。
 抱きしめ返したい衝動に襲われながら、宰相はそれをこらえた。
「……私は、助命を願うために、こういうときのために、陛下に好きだと言ったのでは、ありません」
 死刑にさせないと言ってくれるのは嬉しかった。手を上げてしまった当人に許してもらえて、胸の中にあったものが軽くなった。
 だけど、どう見ても王に手を上げるというのは、死をまぬがれない行為だった。
 それを私事でねじ曲げられては、自分の中に打ち立てた芯が、崩れてしまう。
 女王に好意を抱かれているだろうと、思う。
 その好意から死刑を赦されるというのは、その純粋な好意というものが、利用されるために存在するように思えた。
 政治でうまく動くため、何かあったときに助けてもらうために、告白したのではない。それだけはしないと、心の中でかたくなに誓ったことだ。
 でも今、自分の命を助けてもらえば、こういうときに利用するために言ったかのようだ。
 そうやって純粋なものが汚されるなら、まだ死刑を選びたい。
 女王は目を伏せる。自嘲気味なため息が聞こえた。
「……なるほど、私が私情を交えて、死刑を赦そうとしていると、そう思っているんだな? 王として、お前に死刑を科す必要はないと判断したとは、思わないんだな。……当然か。あんなことを言ってしまって、お前の中で、私の王としての信用は地に落ちたからな」
 女王は背に回していた手をはずした。
「そうだな、私だって、あんな発言をする人間が王だったら、国は終わりだと思うよ。クーデターを起こされても仕方のないことを言ったからな」
 彼女の発言は、自分のことを言っているとは思えない言い方だった。
「エル・ヴィッカの戦いで亡くなった国民は、怪我を負った国民は、ラビドワ国の人々は、さっきの私の言葉を聞いて、どう思うだろう。恨むだろうね。この犠牲は何だったのか、って。……あれは、無礼で許されない言葉だった。国民を守る王として、失格の言葉だった」
 女王は冷静で、心底悔いているようだった。雨がしたたり落ちる中、唇を噛んでいる。
 まるで、別人。
 本当に別人に思える。
「陛下……あなたは、さっきと変わりすぎてます。さっきはどうしたんですか? さっきは錯乱していたのですか?」
 戦争から帰ってきた人が、戦場でのショックで精神的に異常をきたすというのが、たまにある。
 女王は前線で戦っていたという。竜に乗り、最も血なまぐさく非常に耐え難いものを見て、戦っていたという。
 精神的に、かなりまいっていたのではないだろうか。
「さっきは、戦場でのショックで錯乱し、正気を失っていたのではないですか?」
 だってあまりに違いすぎる。
 今の静かに悔いている姿は、同じ人間とは思えない。
 それともこれも、見たいから見ようとしている幻想?
 女王は立ち上がった。背を向ける。

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