翼なき竜

12.無翼の雨(2) (2/5)
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「私は……たくさんの人を殺した……」
『うん』
「お前も、たくさんの人を……食べたな……」
『食べてはいないよ。たくさん人がいたから、せいぜい爪や牙で傷つけた程度。それでも死んだ人間は多いだろうね』
 血がしみつき、けして薄れることがないほど、彼女と竜は戦いの場にいた。
 運が悪かった。
 頬の『泰平を築く覇者』の印は布で覆われ、戦時中はほとんど見れなかった。徐々に消えゆく片翼を見れば、彼女は我に返れただろう。これほどまでに翼の消失を早めなかっただろう。
 運が悪かったのだ。……と言っても、彼女のなぐさめにはならないかと思い、ギャンダルディスは言わない。
「私は……王失格だ……」
『そんなことはない。王失格と言われる人間はいないさ。賢王も王なら、愚王も王なんだから』
 ギャンダルディスは明るく言ったが、彼女は顔を覆いながら首を振る。
「私は、愚王になるために女王になったんじゃない! 『泰平を築く覇者』……そう呼ばれるにふさわしい王に、なりたかったんだ……! 立派で、父上のような、素晴らしい王に、なりたかったんだ……! こんな、自分勝手な欲におぼれ、意味もなく戦争をしようと言う王なんかでは、断じて……!」
 女王は泣き崩れそうだった。
『仕方ないさ。君が片翼である以上、これからも愚かなことをして、愚かなことを言うよ。愚王にしかなれないよ。それに、翼は完全回復したわけじゃない。僕の力をちょっとあげただけ。翼自体は、もうぼろぼろ……後はないよ』
 秋雨は激しさを増す。
 女王は顔を上げた。栗皮色の髪はぐっしょりと濡れ、しずくが落ちていた。
「そんな王で、いたくない……」
『それなら――』
 ギャンダルディスは、子供らしい笑みを浮かべた。

   *

 女王を追ってきた宰相は、竜の遊び場までたどり着いた。ここを管理し守っている者に聞くと、制止も聞かず、女王は愛竜のギーに会いに行ったという。
 宰相はロルの粉を振りかけてから、竜の丘へ向かった。
 ここは、女王と竜が会えて遊べるところを、と、作られた場所である。
 ときたま女王はここへ来ているようだが、宰相自身は、来たことがなかった。
 丘を登ると、雨にただ濡れている女王の後ろ姿がある。凱旋のときにはためいていた黒いマントは、だらりと下がっている。人の姿は他にはない。
 走るスピードを上げて近づくと、木の下に竜がいるのが見える。思わず恐怖で、身体がこわばった。反射的反応だ。
 ロルの粉を振りかけている。竜には襲われない。
 でも……女王には襲われるかもしれない。
 呼び止めれば、話をする間もなく、大剣で斬られる可能性がある。――死。
 宰相は静かに深呼吸して、心を落ち着ける。
 そして、声を出した。
「女王陛下!」
 彼女は振り返った。
 先ほどのような歪んだ表情を思い浮かべていた宰相は、いつも通りの静かな彼女の表情に面食らう。
 そして、頬には片翼が――あった。
 あれ……さっきはなかったのに……。見間違い……?
「倒れられた父上は……?」
 ぼんやりとまず、彼女は先王のことを尋ねた。
「セリーヌ様いわく、いつもの発作とのことです。私は陛下をすぐに追ってきたもので、現在の状況はわかりませんが」
「そう、か」
 女王はうつむく。ぽたぽたと雨滴が前髪から落ちる。
 意を決して、宰相はひざまづいた。
「陛下、どうかお聞き下さい。戦争をすることを取りやめてください」

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