翼なき竜

12.無翼の雨(2) (1/5)
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 秋だけあって、雨は冷たい。人間ならば、すぐに体温を奪い取ってしまうだろう。
 ギャンダルディスは、目の前の彼女に、木の下へ入れと言ってやりたかった。だが、せっぱ詰まった問題があり、それどころではなかった。
「ギャンダルディス、聞こえない! 起きているか!? 私の言葉が聞こえるか?」
 竜は目を細める。
 しっかりと、いつも通りに言ったはずだ。
 だが聞こえなかったとなると……。
 雨の打ち付ける音も激しくなってくる。余計に聞き取りにくいだろう。
 竜は尾を振った。木の幹に打ち付ける。木は揺れて葉がはらはらと落ちてきたが、竜の身体からも、うろこが一枚はがれ落ちた。
 透明さのあるうろこは、色を変えながら落ちてゆく。
 地面へと落ちたとき、そこから人の姿がぬっと現れた。頭、顔、肩、腕、胸、腰、足……と、徐々に地面に落ちたうろこから、身体が浮かんでくる。
 背丈は女王の胸ほどの、子供だった。
 黒髪が、地面へとつくほどに長い。
 服はゆったりとして、袖が長く、すそを引きずる。布自体は上から下まで同じ布で、これもまた黒い。茶の細い帯で腰を締めている。
 足下に視線を下ろし、姿が出てきたうろこを手に取る。
『この人間型の幻影は見えるかい? 声は聞こえるかい?』
 女王は目を大きくして、激しく首を縦に振る。
「見える! 聞こえる! わ、私の竜の翼は残っているか……?」
『最後の最後、ぎりぎり、残っている。……もはや、再生能力すらないようだけどね……』
 再生能力どころか、竜の言語を聞きとらえる能力も減退している。
 ギャンダルディスはレイラの竜のいる頬に触れた。どの指の爪も長く、先がとがっている。触れ方によっては、簡単に彼女の肌を傷つけそうである。
 頬の竜は、かすかに、片翼の跡が残っている。
 ――本当に、ぎりぎりだった。
 翼がない竜というのは、同族として見て、痛々しい限りだ。いや、痛々しいと思っているうちはまだいい……。
 ギャンダルディスは長い爪で、自身の手のひらを傷つけた。赤い血があふれ出す。
 幻影にもかかわらず血が出るということを、昔レイラは不思議がっていた。
 結局のところ、これは正確には幻影ではない。血肉を分け与えた分身のようなものなのだ。
 血が付いた爪の先を、レイラの頬――片翼の跡に当て、なぞる。なぞればなぞるほど、血が広がる。
 彼女は黙って耐え、ギャンダルディスが手を離したときには、血で片翼が描かれていた。
『我、竜族の一、ギャンダルディス。弱り病む眷族・レイラ=ド=ブレンハールへ、血をなかだちに、力を分け与えん』
 そう唱えると、女王の頬の血は肌に取り込まれてゆき、元の通り、片翼のあざができあがったのである。
 女王が頬をこすっても、血はどこにもない。ギャンダルディスの持つうろこを鏡代わりにしてみても、そこには片翼の竜がいる。
 女王はほっと息をついた。
 しかし、徐々に彼女の表情が固くなった。
 雨が打ち付ける。だがぐっしょりと濡れるのは女王だけだ。ギャンダルディスの人型は、雨に濡れない。
『レイラ、木の下へ。濡れるよ』
 女王はその場で立ち続ける。
 固くなった表情は、青さを通り越し、白くなった。
「私は、なんてことを……」
『…………。ようやく、正気に戻ったかい。記憶は全部残っている?』
「ああ。全部……」
 うつむき、顔を覆う女王。

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