翼なき竜

11.無翼の雨(1) (5/6)
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 宰相が言いかけたところ、怒り狂った言葉がかぶさる。
「何をしている! 宰相を捕らえよ! いや、この場で殺せ! 許さん、許さん、許さんっ……う!」
 エミリアンのしわがれた声が、うめいて止まった。
 先王は胸を押さえ、そのままうずくまるようにして倒れた。
「先王陛下!」
「発作が!」
「医者を呼べ!」
 場は、一気に騒ぎとなった。
 兵士達に運ばれ、先王は別室へ行く。みなみなは先王へついて行ったり、医者を呼びに走り回る。
 その騒ぎの中、女王が別方向へ走り去る。
「陛下、どこへ――」
 問いかけの言葉は、騒ぎのうるささにまぎれ、彼女には届かない。
 彼女の焦りが見える後ろ姿を追おうとしたところ、凛とした声で名を呼ばれた。
「イーサー様。追って、どうなさるおつもりでございますか?」
 王太后・セリーヌは、冷静な目で、女王の走り去る姿を隣で見ている。
「セリーヌ様……。先王陛下の側にいなくてもいいのですか?」
 少しばかり驚いて訊くが、彼女はほんの少し微笑んだ。
「私がいたところでどうにかなるわけではございませんわ。先王陛下のあの発作はいつものことですもの。それより、宰相様、女王陛下を追うつもりでございますの?」
 宰相は硬い表情でうなずいた。
 王太后は目を細める。
「……先王陛下がまだ玉座についておられたとき……陛下専属の理髪師が、毎朝、陛下のひげを剃っておりましたの。けれど極度の緊張を強いられたせいか、彼はある日、陛下の肌を傷つけてしまいましたの。ほんの、ほんの少し。宰相様、彼がどうなったのか、おわかり?」
「……死んだのでしょう」
「そう。彼は死にました。先王陛下によって、その場で斬られました。どんな弁解も聞き入れられず。レイラ女王陛下は、そのエミリアン先王陛下の娘でいらっしゃる。……私ならば、すぐさま逃げますわ」
 王太后の立ち姿はぴんとしてさすがに威圧感があふれているが、まなざしはやわらかかった。
 彼女は先王と共に、王宮の片隅に住んでいる。そのため、宰相と会う機会はめったにない。
 親しいわけでもないのに、ここで助言をくれた。それには感謝する。
「……でも、私は宰相です。女王陛下の臣です。陛下を追わなくては」
 王太后は息を呑む。
「殺されますよ?」
「……そうかもしれません」
 戦いたい、殺したい、人間なんて虫けらも同然、と言った女王なら。
 それでも、行かなければならない。
 逃げ出せば、代わりに家族はどうなる?
 逃げては何も変わらない。……命に替えても、諫めなければならない。考え直してもらわなければならない。
 宰相が歩き出す。窓から見える空は、さらに重く雲がたれこめていた。

   *

 眠りから覚めて顔を上げると、曇天が広がっている。
 戦場での疲れから、女王の愛竜が、丘の上で眠っていた。
 丘は一面の芝生。そして丘の上に一本の大きな木。ねじれ上がった幹が伸び、枝が目一杯広がっている。丘全体を覆おうとしてるかのようだ。葉は人間の赤子の手のひらほどである。それらは赤く色づき始めていた。
 その丘周辺に、竜以外の姿はない。ここは王宮内の、竜のための遊び場だ。丘から少し離れたところには、人間が間違って入らないよう、柵が取り囲んである。
 だから、ここに人間が来るとすれば、びくびくとおびえた飼育係がエサをやりに来るときか、もう一人かのどちらかだ。
 丘に誰かが走り寄る震動が響いていた。人間のである。

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