翼なき竜

11.無翼の雨(1) (4/6)
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「戦うんだ。殺し合うんだ。しかばねの塔を築き上げるんだ。さあ、戦争の準備をさせるんだ、宰相」
 女王は指を差し命じるが、宰相は動けなかった。
「……何が、あなたを変えたんです?」
「宰相、口を慎め。意見も諫言も必要ない。臣下は王の命に従っておればいいのだ」
 先王は厳しくとがめた。
 だが宰相はここで、物わかりのいい紳士のように慎むつもりはなかった。
「あなたはそんなことを言う人ではなかった。断じて、なかった! 不用意に意味もなく人を殺せと命じる人ではなかった! 重要なことはじっくりと考え、人の意見を聞き、最も良い道を選ぼうとする方だった! これが最良ですか!? 私にはとても、そう思えません」
 女王は鼻で笑う。
「お前が、私の何を知っているというんだ。お前の知らない私なんて、いくらだってある。――何故、反対しようというんだ? どうせ人間は死ぬんだ。赤子だって、老人だって。それを早めてやるくらい、何が悪いというんだ? いまいましいが、人間なんていくら叩き潰しても、ウジ虫のように沸き上がり増殖する。戦争を起こし、少しでも駆除してやることの、何が悪いって?」
 聞くうちに、めらめらと燃え上がる火が、宰相の身体の内ににできあがった。女王の言葉はその火を消すどころか、木材を投じて火事のように大きな炎を作り出す。
 ――だめだ、いけない。
 ――だが、だが……。
 パァン、とその場に軽い音が響く。
 ――許せない。
 宰相は震える手で女王の頬を叩いていた。

 周囲は、唖然としていた。青ざめている者もいた。だが誰も声どころか物音一つ、立てない。
 この静かなるブリザードと炎が混ざり合ったような状況、それに彼らは呑みこまれていた。
「このっ……!」
 声を上げたのは、当の宰相でも女王でもなかった。先王エミリアンである。彼は顔を真っ赤にして、ステッキを振り上げる。
「この痴れ者が!! 王に手を上げるとは、万死に値する!!」
 その声に、兵士達はどよめき、動き始めた。じりじりと、宰相へ近づいてくる。だが彼らは急いで捕らえようとせず、困惑しながら近づくのである。
 宰相は、家族のことを思い、力なく腕を下ろしている。
 ――ラシード兄さん、迷惑をかけてすみません。いつもあなたには、悪いことをしていますね。許してくれとは言いません。ですが、せめて、生きて逃げてください。
 ――父さんも、すみません。さぞかし落胆し、嘆くでしょう。親不孝者で、申し訳ありません。
 ――母さん、迎えに来てくれますか?
 ふと、視線を目の前に戻すと、女王は沈黙していた。
 叩いた左の頬は赤くならず、腫れてもいない。ほっとした。それほど力はこめなかったとはいえ、安堵した。
 代わりに、叩いた反動で、右頬の傷口を押さえていた布が取れ、落ちていた。
 そこには完治したのか、傷らしい傷はなかった。
 だが、それ以外にも、なくなっているものがあった。
 あるはずのものが、なくなっていた。
 『泰平を築く覇者』の印。片翼の竜のあざ。
 その竜の、残り一つの翼、その翼が――なくなっていたのだ。

 女王の視線は、鏡に向かっていた。自身の頬を――翼を失った竜を、食い入るように見ている。
 その目は驚愕に満ち、「あ、ああ、あ……」と、まるでこの世の終わりとばかりに呟いている。よろよろと後退し、目だけは鏡の中の竜を見ている。
「陛下――」

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