翼なき竜

9.誘惑の魔(2) (3/5)
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「……ここで眠っても構いません。私は違う部屋で眠りますから」
 宰相は頭をかがめて、部屋を出る。
 しばらく進んでから振り返ったけれど、部屋からは何の音もしなかった。……多分、眠ったのだろう。

   *   *

 鶏の鳴く朝が来た。
 強く揺さぶられ、肩をばしばし叩かれ、いつもより早く宰相は目覚めた。
 起こしたのは毎朝同じ執事だった。
「城から、部下の方がやって来られました。陛下と若様に至急伝えたいことがあると」
 宰相は立ち上がり、服を着替えようとして、ここがいつも眠る自室ではないことに気づいた。
 そうだ、ここは客間の一室だ。昨夜女王を置いて部屋を出て、夕食をとった後、適当に目に入った客室で眠ることにしたのだった。
「まったく、混乱しました。若様の部屋には陛下がいて、若様はこの誰も使っていないはずの客室にいて。お召し物は、お持ちしておきました」
 執事はむうっと不機嫌そうでありながら、ちゃんと宰相の一揃えや朝の支度のためのものを全て用意していた。
「陛下は?」
「お先に伝言をお聞きになりたいとのことで、すでに部下の方と面会なされてます」
「先に陛下が!?」
 悠長に朝の支度に手間取るわけにはいかない。
 陛下より先に起こしてくれれば、と思ったが、勝手に部屋を移動して報告しなかったのは宰相だ。おそらくどこで寝ているのかと探し回ったはずだ。文句は言えない。
「陛下は『私が話を聞いておくから、宰相は眠らせておけ』とおっしゃいましたが、わたくしめの独断で、若様を起こさせていただきました」
「でかした」
 女王を朝早くに起こさせてぐっすり眠っていたなんてことになれば、宰相はもう申し訳なさすぎる。
 宰相は朝の用意を手早くすませ、部屋を出た。

 部屋を出て直後、何かにぶつかり、反動で壁にたたきつけられた。
「おっと、宰相閣下ぁ?」
 ぶつかってもぴんぴんとそこに立っているのは、ブッフェン。
 そういえば、ブッフェンに用意した客室と近かった。
「ここが閣下の部屋なんですかね?」
 宰相は答えず通り過ぎようとした。ところが、ブッフェンはその前を通せんぼするように腕を壁にもたれさせる。
「おや、何か急いでる? 朝から閣下の部下が来たとかで忙しい空気は感じてたけど、何かあるんですかね?」
「部下からの重要な情報があるようですので、通していただけませんか」
「あらま、大変ですなあ。でも、それなら宰相閣下は行かなくてもいいようですよ。女王陛下が行って聞く、とおっしゃってましたから。宰相が行く必要はないって」
 人に聞いておいて、すでに知っていたようである。
 宰相は顔の筋肉に力を入れ、少し困ったような表情を作った。
「陛下に行かせておいて、私が行かないというわけには」
「へーえ、陛下を信用してないんですねえ」
「……なんですって?」
 声が自然と低くなる。
「だって、陛下には任せておけないから、行くんでしょ?」
「違います。私が何も知らずにいるべき情報ではないから行って聞くだけです。決して、陛下を軽んじたわけではありません」
 わざわざ朝早くに宰相の館まで来て伝えること、というのはめったにない。
「なんだ、そうですか。邪魔をしたようですいませんね」
 ブッフェンは素直に腕をどかし、優雅な貴族のまねごとをして、どうぞお通りください、と腕を振った。

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