翼なき竜

9.誘惑の魔(2) (2/5)
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 どうにも信用できなかった。女王の様子は落ち込んでいるようで、いつもと同じには見えない。
 普通の人間なら、女王に敬意を払うものである。
 しかしあのブッフェンは――
「違うんだよ。さっきの私の言葉は忘れてくれ」
「けれど――」
 言葉を続けようとした宰相の顔を、女王は挟んだ。
「忘れてくれ。それに、今はこんなことを話すところじゃないだろう……?」
 女王は宰相の顔を引き、口づけた。押し返してくる唇は、やわらかだ。
 再びベッドがきしむ。
 ……確かに、それどころではない。
 一度離れ、また宰相から唇を重ねようとしたところ、身体が押し返された。
「……灯り、消してくれ」
 部屋には、先ほど持ってきた燭台が傍らの机の上にある。三つのろうそくが立っている。全てに火が点いていた。
 消してしまえば、灯りは何もない。一本分くらいは点けておいた方がいいと言ったが、女王はかたくなに首を振って、全てを消すよう言った。
 宰相は一度ベッドから離れ、吹き消す。部屋には完全な暗闇が押し寄せた。
 少しつまづきながら、何とかベッドに戻った。
 女王の表情はわからない。しかしそこにいるのは感じる。そして触れることもできる。
 唇を重ねた。押し倒し、今度はもっと深く唇を重ねようとしたときだった。
 また、身体が押し返されたのだ。
 女王は両腕を曲げずに伸ばし、宰相の身体を押しのける。近づくな、これ以上するな、と言わんばかりに。
 そして女王は何も言わない。暗闇で表情もわからない。
「……あの」
 気まずいながら、宰相は口にした。
「また、何か気になることでも……?」
「え?」
 何のことだ、と言うように軽い声が上がった。
「……あ」
 女王はようやく、自分が何をしているか気づいたようだ。無意識下の行動だったのだろうか。
 だが気づいてもなお、女王は腕を伸ばしたままだった。
 宰相は伸ばされている腕に触れた。
 すると、その腕は震えていた。小刻みに、恐怖しているように、震えていたのだった。
「……ごめん……その……どうにも、ならないんだ」
 暗闇の中だと、声に耳を澄ますことになる。声もまた、かすかに震えているようだった。
「もう、いいですよ」
 宰相は身体を離した。
 怖がっている女を無理矢理、なんて趣味でもない。
 女王は今までになく焦りつつ、
「違う、違うんだっ……これは、どうしようもなくて」
「わかってます」
「だから……私の手を縛って、目隠しすれば、多分大丈夫だから」
 そういうことはそういうことが好きだからするものだと思う。
 嫌がる人間にそこまでして、というのは宰相にはうなずけないことだった。
 ベッドから出て立ち上がろうとした宰相の手を、今度は女王は引っ張った。
「い、いいって言っているだろ」
「とてもそうは思えませんよ」
 意地になっているようで、女王は更に腕を引く。
「……私の意思なんてどうでもいいだろ。男なんて、女を押さえつけてでもできればいいんだろう」
 さすがに、かちんときた。
 少し乱暴に手を振りはらい、ベッドから離れる。
「それは大抵の男に対する侮辱ですよ。見くびらないでください」
 あ、と女王は後悔をにじませてつぶやいた。
 宰相は背を向け、部屋を出ようと扉を開けた。
「……行くのか?」
 心細そうに言った彼女に、躊躇しそうになる。
 だが、ここに残ったからといって……。

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