翼なき竜
8.誘惑の魔(1) (6/7)
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そんなことはない、と繰り返し女王はつぶやいて、酒をあおる。
「私は――私の感情と理性に齟齬はない。私は……」
彼女はグラスを持つ手に力を入れた。力を入れすぎ、グラスが細かく揺れている。そのままワインをあおって飲み干す。女王は手ずからワインを乱暴に自分のグラスにそそぐ。
「飲み過ぎでしょうよ、女王陛下。酔っぱらいの女王陛下なんてサマにならんですよ」
女王は無視して飲み続けた。
追い詰めすぎたかもしれない。
あくまで宰相を辞めさせる気がないというのなら、仕方がない。それが彼女の崩したくない理論なら。
ただ、これでは鬱屈するだろうな、と思った。
ブッフェンは女王に付き合うように、新たなジョッキでビールを飲むスピードを上げた。
しばらくしてから軽く質問した。
「話は変えるが、王様業はどうなってるのかね。思い通りにいってるかい?」
「ん……まあまあ」
「嘘をつかないでほしいですねえ」
女王は二本目のワインに手をつけていた。ワインをあけながら、その目が、嘘とはどういう意味だ、と訊いている。
「全然戦争がないでしょ。騎士団にいるときは、あんなに好戦的だったのに」
「……平和の尊さがわかったんだ」
「ふうん、人間そんなに変わるとは思えないがねえ。じゃあ、平民から陛下へ要望しますや。……戦争しましょうよ、陛下」
最後の言葉は、小声で甘く、誘うようにささやいた。
ブッフェンは自分で言って、自分で笑った。そろそろ頭に酒が回り始めた。
「退屈なんですよ。ね、陛下もそうでしょ? 今ならちょうどいい機会が転がっていると聞く。ラビドワ国とカプル国の」
二国の戦争はもう、皆が知るところとなっていた。
「それは今、我が国が調停して休戦中だ」
「調停なんてせずに、カプル国側について戦えば済む話でしょうに。ラビドワ国を占領するついでに、カプル国まで占領するのもアリじゃないですか?」
「……私は『泰平を築く覇者』の印を持つ女王だ」
女王は苦しそうに言葉を吐き出す。
ブッフェンは女王の右の頬のあざを見ながら、再び笑い始めた。
「陛下、本音で話しましょうや。騎士団にいたときから、わたしゃ陛下が支配欲でうずうずしていたことは知ってるんですからね」
「…………」
「それともなにですか? 『泰平を築く覇者』とか持ち上げられて、いい子のフリするって?」
女王をあおって、笑い続ける。
彼女はワインを呑むのをやめ、こめかみに指を当てた。まるで頭痛がするというかのように。
「臣下の目なんて知ったことないでしょ? 女王なんだから」
笑いながら、ブッフェンは誘う。
まるで何てことないかのように。悩む必要もないような簡単なことのように。
そう思いこませるために、ブッフェンは軽く、誘うのだ。
女王は何も言わない。何も答えない。
酒が大分回っていて、ブッフェンは笑いすぎて腹が痛いくらいだ。
同じように、ブッフェンは戦いにも酔う。中毒になっているのだと、自覚している。
椅子がぐらぐらと揺れるのに合わせ、ブッフェンの視界が回り始めた。
「陛下にブッフェン様、夕食の用意が整いまして……」
宰相が部屋に来ると、二人が向かい合って座っていた。ブッフェンはつっぷし、完全に酔いつぶれている。女王はうつむきながら動かない。空の酒瓶がいくつも転がっている。割れたジョッキが床にあった。
「……夕食とか……それどころではないようですね」
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