翼なき竜

8.誘惑の魔(1) (5/7)
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 今のブッフェンのように、即刻イーサーを財務顧問から解任すべきだ、とデュ=コロワは主張していた。
 ブッフェンは、女王が決めたことなのだからいいではないか、と当時はそれを傍観していた。だが、デュ=コロワが強く主張していた心情が今日、宰相と会ってみて、わかった。
 これはないだろう、あまりに……。と。
 ブッフェンは肩の力を抜き、わざとくだけた言い方で告げた。
「レイラ。妙な意地を張らずに、さっさとあいつを辞めさせちまえ。権力を使えば簡単にできんだろう。それとも今は王よりも宰相の方が権力が強いのか? ならフォートリエ騎士団の力で、クーデターでも何でもしてやるさ」
 こんな言い方をしたのは、彼女が王女時代、騎士団にいたとき以来だ。
 しかしレイラは――女王は、叱責も怒りもしなかった。
「必要はない。私は国で最も権力を持つ存在だ。張りぼてでもかりそめでもない、王なんだ」
「だったら」
「王は神なんだよ、ブッフェン」
 女王はワイングラスを置いて、堂々と口にした。
 ブッフェンは主張すべき言葉を飲み込んで、ぽかんとした。持っていたジョッキを落としてしまった。床の上で破片が散る。
「……本気で言ってんの?」
「父上がよくおっしゃっていた言葉だよ。『王は神だ。国民の誰よりも公平に臣民を扱い、誰よりも正義をふるい、誰よりも厳しくあらねばならない』……私はことあるごとに、これをよく思い出す。……公平で客観的に見て、イーサー=イルヤスを宰相から辞めさせる必要はない。国政は感情で動かしていいものではない。誰よりも公平に、客観的に、見なければならない」
 ブッフェンはあっけに取られた。
 確かに、客観的に見て、宰相に落ち度はない。有能だとも聞く。辞めさせる理由は発生しない。
 理性的判断は、正しいことは正しいだろう。
 だが、女王が理性で判断できない理由を、ブッフェンは知っている。それでも女王は、あくまで理性的、客観的判断を下している。
「……あいつを宰相として、これからも側に置くんだな?」
「そうだ」
「それでいいんだな?」
「いいんだ」
 ブッフェンはちらりと噂を思い出す。
 宰相が女王に慕情を抱いている、というもの。
「……じゃあたとえば、宰相閣下が女王陛下に迫ったとして、どういう対応をとる?」
 女王は視線を逸らし、ワインに手をつけた。
「公平に見ていい男だから、受け入れる?」
「……いい男だとか、そんなのは受け入れる理由じゃない」
 ブッフェンは眉をひそめた。何かが、ぴんときた。
「まさか、本当に宰相が迫ってきたわけか。そして流されちまったわけかい。……お前、阿呆か」
 女王は沈黙する。
 ブッフェンはあきれ果てて怒る気力もなかった。
「お前の頭の中は理屈ばかりだな。原因、結果。こうであるから、こうあるべき。公平に見て受け入れるべきだったから受け入れた――違うか?」
「……何が悪い。私は宰相のことを嫌っていない。ああ、好意すらあるよ。好意ある相手から迫られた、だから受け入れた。……簡単な論理、それで何がいけない」
 女王は震えるような低い声だった。ブッフェンは肴に置いてあるソーセージにマスタードをつけて口に入れる。
 ブッフェンは鋭く言葉を叩きつける。
「だが、絶対に一緒に寝たくねえだろう」
 女王はびくりと肩を震わせた。
「お前の公平さの理屈はどうでもいい。感情は、全然受け入れてないのさ」
「そんなことは、ない」

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