翼なき竜

8.誘惑の魔(1) (3/7)
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「なんですかあの人は! あれほど無礼すぎる人は初めてです! どういう育ちをしたのやら……あんな方が騎士団長とは、世も末ですよ!」
 宰相は、まあまあ、と執事をなだめる。
「フォートリエ騎士団は、完全な実力主義の騎士団です。騎士団長は性格や人格は抜きに、強さで決まったそうです」
 御前試合を思い出す。彼は何撃も身に受けながら倒れず、たった一撃をくらわせたことで敵に負けを認めさせた。
 それにそもそも、身分高い人間に無礼な人は多い。無礼をはたらいているという自覚すらない人がほとんだ。宰相はそういう人たちを相手にすることに慣れていた。
 ……ここまで悪意あからさまな人は、めったにいないが。
「それにしても……」
 執事は憤懣やるかたない表情である。
 デュ=コロワの言葉を思い出す。
『精神的安定を求めるなら会わないことを勧める』
 デュ=コロワの言葉は少し間違っていると思う。
 このまま彼と話し続けると、精神的どころか肉体的に、胃にきそうだ。

 酒蔵から五本酒を持って、再びブッフェンの客室に行こうとしたところ、使用人が走ってやってきた。
 彼はあまりに慌てていて、途中で派手に転んだ。
 大丈夫ですか、と抱え起こそうとしたところ、使用人がくわっと開いた眼で見上げ、
「大変です! へ、へ、へ……」
「へ?」
「陛下が! 陛下がお越しになりました!」
 執事と宰相は絶句した。
 宰相は持っていた酒瓶を取り落としそうになった。


「お忍びで臣下の館に来るなんて、とんだスキャンダルになるでしょうなあ。一体何をしに来たのやら」
 ブッフェンはくっくっと笑う。
「お前が何かやらかしていないか心配で来たに決まっているだろう」
 そう言って女王は腕を組みながらブッフェンをねめつけた。
「祝いの品をやると言ったのは私だ。宰相に負担がかかることになるなら悪い……と思ったが、すでに迷惑をかけているらしいな」
「ええ? わたしゃ迷惑なんてかけてませんよぉ。なあ、宰相閣下?」
 どの口がそんなことを……。
 宰相は無理矢理笑みを作った。
「……はい、そんな迷惑なんて」
「一目見ればわかる状態だろうが」
 女王は嘆息する。
 宰相は急いでやってきたものだから、いまだ腕の中に酒瓶が五本ある。宰相が酒瓶を持っていることがもう、通常とは違う。
「ブッフェン、私はお前に祝いの品をやるとは言ったが、宰相に迷惑をかけるのは筋違いだろう。我が侭をしたいなら城へ来い」
「いやあ、わたしが泊まりたいのは宰相閣下の館ですからねえ。宰相閣下が嫌だと言うなら話は別ですけど、快く受け入れてくれると言うし、構わないでしょ?」
 ブッフェンは宰相の肩を馴れ馴れしく抱く。宰相は沈黙した。
 女王が祝いの品ならなんでもやる、と約束したところで、ブッフェンは宰相の館に泊まりたいと言った。そういういきさつなら、宰相に断わることができるはずがない。女王が約束を破ることになれば、権威を損なうからだ。
 何はともあれ、一晩のことである。一晩耐えれば済む。
 若いといっても青い子供ではない。この程度の嫌がらせまがいの言動、我慢できずして宰相とはなれない。
 宰相は女王に自然に見えるような笑みを向けた。
「はい。私は構いませんから、女王陛下はお気遣いなく」
 女王は宰相の顔をじっと見た。内側を見透かすような、女王の黒鉛の瞳だ。どぎまぎする。
「わかった」

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