翼なき竜

8.誘惑の魔(1) (2/7)
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 宰相は顔がひきつる。
 確かに、臣下として女王には勝ちを譲るのが筋。しかし、こういった言い方では『したくないことをさせられたくない』という感情が丸わかりだ。
 女王自ら手合わせしようと言ったことをこう返すとは、これこそ無礼。
 宰相が顔をこわばらせるのとは対照的に、女王は笑って受け流した。
「それもそうだ。本人が望むものをやらなければ褒美でも祝いの品でもないな。では何がほしいんだ?」
 そうだなあ、と考えるそぶりを見せながら、ブッフェンは女王のかたわらにいる宰相に視線をよこした。騎士団長が宰相に顔を向けたのは、このときが初めてだ。
 ブッフェンは男らしい口の端を上げた笑みを向ける。が、宰相には彼から敵意を感じる気がした。
「じゃあ、今日一晩、宰相閣下の館に泊まらせてもらっていいですかね?」
 目を丸くした宰相に、ブッフェンは笑みを深くした。


「いやあ、立派な館だねえ」
 まるで遠くの景色を見るように目の上に手を当て、廊下を歩きながらきょろきょろと見回すブッフェン。
 宰相の館は、宰相が主人である。父や兄は東の領地にいるため、ここには家族は誰もいない。ただし、東の領地からついてきた爺が執事をしている。
 あまり絢爛な建物は落ち着かないため、王城で仕事をするようになって以後、少し古ぼけた、逆に言うと時代を感じさせるこの館を買い取って暮らしている。
 気に入った館を褒めてもらって、宰相と執事は微笑んだ。
 だが、ブッフェンは笑顔で続けた。
「わたしは平民出身ですからねえ、こういういかにも貴族が住んでいるような立派な館を見ると、胸くそ悪くなりますなあ」
 宰相と執事の表情が凍った。
 な、な、と執事が口をぱくぱくさせるが言葉にならない。
 なんとか立ち直ったのは、宰相の方が先だった。
「そ、そうですか……。ブッフェン様の気分を害してしまったようで、すいません」
 気分が悪くなるなら、なぜ来た。
 と思いつつ、宰相は気を取り直して客室に案内した。
「こちらの部屋を用意させていただきました」
 扉を開けたところには、広い間取りの部屋が広がっていた。
 大きくあいたガラスから、薄いカーテンを通して光がそそいでいる。丸いテーブルの上にある花瓶に、白い花が飾られてある。カーペットは草花の絵が描かれたもので、ふかふかしている。
「これまた、わたしにはもったいないような部屋で。国民から搾り取った税のいくらで作ったんでしょうかなあ」
 と言って、彼は試すように丸いテーブルの側にある椅子に座った。
 執事は再び絶句した。
 悪意が全開な彼の言葉に、宰相は何も言わずに笑みを作り上げる。
「いい部屋には、いい酒がほしいなあ」
 独り言にしては大きい声でブッフェンがつぶやく。
「ほしいなあ」
 もう一度言った。しかも、宰相の方を見て。
「…………。何か、お酒を持ってきましょうか」
「え、悪いですねえ。じゃあ、麦酒かブランデーか赤ワイン。種類や年代はどうでもいいですから。わたしゃ女王陛下とは違って、呑めれば何でもいいんで」
 宰相は執事に取ってくるよう言おうとしたところ、ブッフェンが更に要求を重ねた。
「あ、五本くらいお願いしますや」
「…………」
 彼のいるこの部屋から出たくなって、執事に命じるのでなく、自分で取ってくることにした。

 宰相は執事と共に、部屋を出た。
 途端に、執事が湯気がでるほどに怒り、まくし立てた。

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