翼なき竜

5.城下の夕(1) (4/6)
戻る / 目次 / 進む
 宰相はこれまで何人もの要人をこの『王の間』に案内してきた。大抵の人は、うんざりするほど一枚一枚の絵の女王のことを褒め称える。だが、誰もがこの絵の前で立ち止まり、称賛の言葉が止まる。
 それまでの彼女の絵にあった、完全に両翼のあった竜のあざが、片翼だけ消えているからだ。きれいさっぱりと。
 今まで案内してきた人は、戸惑い、宰相に説明を求めるように目を向ける。
 だが、宰相だとてなぜだかは知らない。宰相が宰相として就任したときには、すでに女王には片翼がなかった。なぜなのかを知ろうとしても、王宮では、話すことがタブーだという雰囲気があった。
 女王はこれを訊かれると必ず不機嫌になり、決して語ろうとしないからだ。
 各国の要人はそんなことを知らないから宰相に説明を求めるが、それをかわすのが毎回の苦しいところだ。
 デュ=コロワも女王の片翼の竜を注視している。
 だが宰相に説明を求めることはなかった。表情のとぼしい彼は一度ゆっくり瞬きをし、大理石の床に視線を落とした。絵は見ていないのに、足は縫われたように動こうとしない。
 竜に強い関心のある彼にしては、不自然だった。頬の竜のあざにだって、関心がないはずがない。いや、女王の昔なじみであるということは、彼は何か、知っているのだろうか。
「デュ=コロワ様。陛下の片翼の竜の理由を、知っているのですか?」
 彼はすぐに首を横に振る。
「さあ」
「そうは見えませんが」
 彼の表情を読むことは難しいが、空とぼけられている気がする。
「本当に知らない。私は皮膚の専門家ではないのだから」
 デュ=コロワは淡々と、重ねるように言う。
 彼は命の恩人だ。追い詰めて訊くことはできない。宰相はこれ以上追求できなかった。
「好奇心は身を滅ぼす」
 突如、デュ=コロワはぽつりと漏らした。
 その匂わせたものを気づかないほど、宰相は子供ではない。ひんやりとした目をデュ=コロワに向ける。
「……素晴らしい格言だとは思いますが、竜の研究をなさっているデュ=コロワ様がそれをおっしゃるとは。研究とは好奇心の塊だと思っていましたが」
 デュ=コロワは冷たい宰相の言葉を真っ向から受けながら、平然としていた。逆に、宰相を糾弾するように強く言葉にする。
「わたしは人間について話している。竜と人間とは違う。竜と違って、人間は醜く、弱いものだ。……わたしは陛下を妹のように思う憐憫の情を持ち合わせている。そのわたしが言う。あなたは何も知らないでいるべきだ。それが女王のためにも宰相のためにもなるだろう」
 宰相は反論する口をつぐんだ。
 直接的な、足を踏み入れるな、との圧力だ。
「陛下のため、私のため……ですか」
「自分の地位が安泰だとは思わないことだ。あなたはとても細く壊れやすい吊り橋を渡っている」
 宰相という地位が、根のしっかり張った大樹のようなものだとは思っていない。
 若い自分がその地位についたように、決して、長続きしやすい職種でもない。時代、国や王が求めているもの、社会情勢、考え方、さまざまなものに合致した偶然の力は大きい。
 ここまで言われては、関心を抱かないはずがない。デュ=コロワが口を閉ざしても、宰相の力を使えば、無理矢理にでも誰かから知れるだろう。
 しかし、この脅しの相手には、女王も含まれる。
 知ったところで女王に害があるというのも、女王に忠誠を誓う彼が言うのであれば、本当だろう。だからこそ、ここまで脅したのだろうし。

戻る / 目次 / 進む

stone rio mobile

HTML Dwarf mobile