翼なき竜

3.有翼の君(2) (3/4)
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「嬉しいか。……いや、礼なんていい」
 女王の声は聞こえてくるが、相手の声は聞こえなかった。声が小さいのか、遠すぎるのか。
 女王の声はしんみりとして、そしてつらさを含んでいた。
「……そうだな、私が王女のときは、もっと自由に気楽に一緒にいられたな。…………。仕方ない、時は立ち止まらない、死も戻らない、私も戻らない……戻れない」
 王女時代からの付き合いが、女王になってから変わったということだろうか。後半部分がよくわからない。
 とにかく言えることは、二人の付き合いがそれだけ長い――女王即位が六年前だから、それ以上ということになる。宰相は胸にぐるぐると渦巻くものをとどめるのに必死だった。
 間が、あった。相手が何かを話しているから黙ったのか、それとも何かを考え込んで黙ったのか、宰相にはわからない。
 小鳥が震えているようなささやきが、宰相の鼓膜を打った。
「でもお前は、私が死ぬまで、一緒にいてくれるだろう?」
 またも、沈黙。
「ああ、ありがとう」
 嬉しそうなその声を聞いたのが、宰相の限界だった。
 宰相は木の影から姿を現した。
 そして女王のいるであろう場所へ、駆けるような早さで歩いていく。
「なあ、ギャ――」
 女王は何か、おそらく名前を言いかけていたが、突然部下が現れたことに言葉が消えた。
 赤い女王は驚き目を丸くしている。
 しかし、その直後、彼女の顔が真剣にこわばった。
「だめだ! くるな!」
 そんな言葉で止まるわけがない。
 宰相は、名状しがたいきりきりとした思いにとらわれていた。
 切ない女王の声。あんな声、宰相は聞いたことがなかった。それにあの言葉――あれは、愛の告白ではないか。で、受け入れられた?
 女王に喉を振り絞った声で告白させる人物の顔を見なくては、場合によっては殴らなければ、気が済まない。
 女王は走り寄ってきた。赤いベールがはらりと舞う。そんなこと気にかけていないかのように、女王はただ一心に宰相の元へ疾走する。
 そして宰相の肩をつかむ。
「だめだ! 逃げろ!」
 何から、と宰相が問う前に、小さな地震のような震動が起こる。
 ずしん、ずしん、と震動が続く。リスや鳥や、白樺の森に生息する小動物が逃げる。
 それを引き起こしているものを目の当たりにしたとき、宰相の思考は真っ白になり、存在するのは、なぜ、という疑問だけだった。
 なぜ、こんなところに……。
 そこには女王の相手が、男が、いるはずだった。
 しかし、こんな森にいるはずでないものが前にいた。
 人間の天敵にして、最強の武器でもある生物。神聖にして邪悪なる世界の共存者。
 ――竜が、そこにいた。

 うろこは胴体だけでなく、足や顔や全てを覆っている。足先の三つの指から生える爪はどれも鋭利だ。大きな二つの翼は少しだけ広げられ、呼吸するように上下する。角は頭の上で鹿のように立派に直立し、とかげに似た瞳が宰相をとらえる。
 見下ろす青い理知的な瞳が、赤く、変わった。
 宰相の顔が青ざめる。
 赤い瞳――それは、竜が敵に遭遇して戦いのみに思考を支配したときの、人間を獲物として認識したときの、色。
 この色を見た人間は、生きては戻れない。その絶望の色。
 女王は宰相を後ろ手に庇う。
「だめだ! やめろ! 違う、こいつは敵じゃないんだ!」

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