翼なき竜

1.野望と犬 (5/6)
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「そうだな。私も酔いすぎていたようだ。各国と友好関係を築くのに尽力してくれている臣下には、悪い言い方だったな。謝ろう」
 女王は少し頭を下げた。そして顔を上げると宣言した。
「ここで、一度言っておこうか。現在私は結婚するつもりはない。だから、結婚話を持ち込まないでくれ。――以上。わかってくれたか?」
 女王は凛々しい笑みを臣下に向けた。
 家臣達は心の中では納得しかねていた。『現在』と言う以上、『これから』なら前向きに考えてくれるだろうか、と思った家臣もいた。
 だが、この場ではみなが、「ははっ」と頭を下げたのだった。


 夜の女王の執務室には、二人の影があった。
「今日中に書類を処理すれば竜狩りに行けると思ったが……」
 女王はため息をつきながら、頭を押さえた。
「ほら、やっぱり無理ですよ、お酒を飲まれた後では。判断力も鈍っているでしょうし……。竜狩りはまた別の機会に行けますよ」
 宰相は書類の束を抱えながら慰めた。悔しそうに頭を押さえる女王。
「明日は久々の休みだったのにな……。じゃあ、今日はこの束で区切りをつけるか」
 女王は頭を軽く叩くと、集中して机に重なる書類に向かった。
 長い指は羽ペンを握り、滑らかにそして堂々と名を書く。
 彼女の厳しいまなざしは書類に向けられ、睫毛が下に向けられる。
 頬は酒のためか、いつもより朱に染まっている。竜の印も肌にとけ込むようだ。
 唇は時折動き、ランプにその艶が照らされる。軽くまとめられていた栗皮色の髪が肩からこぼれている様は、なまめかしい。
 宰相はほれぼれするような心持ちで彼女にみとれていた。
 目線に気づいたのか、女王は顔を上げる。
「宰相、もう帰っていいぞ。これくらいの量なら一人でできる」
「い、いいいいえっ! 私は陛下の第一の臣下です。終わるまでは……」
 二人でいる時間は長い方がいい。
 そんな宰相に、女王はくつろいだような笑みを見せた。
「お前は……かわいい忠犬だなあ」
「ちゅ、忠犬ですか?」
 女王は手を上下に振って、体をかがめるように宰相に求めた。
 宰相は不思議に思いながら、腰を折ってその通りにした。宰相は背が高いもので、床に膝をついても、椅子に座る女王と視線の高さが同じくらいだ。
 すると、女王は宰相の頭をなで始めた。
「お前は本当に、かわいいやつだな」
 手で宰相の髪を梳きやり、かわいいかわいい、と言い続ける。
 宰相は困惑しながら、彼女のされるがままになっている。
「あ、あの、陛下?」
「本当にかわいいやつだ。お前はいつまでも気づかないのだろうな。冗談が本当だとは、絶対に。そこがかわいいのだな」
「は? 陛下? 何の話で?」
 女王は目を細めて笑みを浮かべ続ける。
「いいのだ。気づかないお前がかわいくて、私は退屈な平和も耐えられるのだから。お前はお前のままでいい。かわいい忠犬でいてくれ」
 宰相は「はあ」と言いつつ、何が何やらわからなかった。
 女王に臣下として以上の好意を持っている。それはたとえるなら木の影からじっと見つめるようなもの、気づかれないけれど想い続けるようなもの――だと宰相は思っている。
 女王に笑顔を向けられただけで嬉しいし、頼られればもっと嬉しい。
 けれど今少し、不満に思った。
 『かわいい』はおそらく褒め言葉だとは思うが、ちょっと、胸の中がもやもやとする。
 髪を撫でていた女王の手が離れたとき、宰相はそれをつかんだ。

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