TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top
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 裁判 4 


 リュインがキリグート城まで戻ってくる頃には、夜が明けていた。
 ぼろぼろの様態であったが、リュイン自体の表情はいつもと変わりがなかった。
「ああ、失敗しました」
 はたとリュインは気づいた。
 ルクレツィアに何も言わずに出てきたのだ。仕事柄、非常事態に言ってられないこともあるが、今回はそうでもない。
 昨夜は何をしていたか、と問い詰められることも考えられる。
 早朝の城の中でうろうろとしていると、いつのまにかヴァシーリーの部屋の近くまで来ていた。
 朝早くだというのに、侍女たちがばたばたと動いていた。
「あっ、リュイン殿下! ヴァシーリー様のご様子を見に?」
「え? ――はい」
 リュインは戸惑いは一瞬だけで、すぐににこやかにうなずいていた。
 慌ただしい中、リュインは部屋へ案内された。
 外は騒がしいのに、部屋の中は静かで、カーテンも閉められて薄暗かった。奥にベッドがある。そこからむくりと、影が起き出した。
「……リュインか」
 低い、ヴァシーリーのうめきである。そのまま彼はベッドから出てこない。
「お体を、悪くされていたのですね」
 近づくとよく見える。顔色が悪い。目の下が特に色が悪く、頬も痩けた印象である。
「ざまはない……か。ふん、すぐには死なん。他の者にも言うな。せめて、ゼルガードの成人の儀を見るまでは」
 ヴァシーリーは老年の域である。が、瞳の力は弱まっていない。ぎらぎらと薄闇の中でも、輝いている。獲物を狙う獣を思わせる。
 リュインは足を折り、低い位置で彼の言葉を聞いた。
「ふ……まだだ。バガリ=シルタも打ち倒してはおらん。聖具をそろえ、黄金帝国の到来をつかみ取ってもおらん。世界の全てを、まだ手にしてはおらん……!」
 強欲なる言葉は、血を吐くようにヴァシーリーの口から出た。
 明度の低い部屋で、リュインの冷めた目が光る。何も言わずにただ女皇の父を見ていた。そんな彼をヴァシーリーが見る。
「……お前は、世を、国を、手に入れようとはしなかったな」
「それを誰よりも求めたのは、あなた様です」
「絶ゆることなき命を持ちながら、なぜ世界を求めぬ? 今のお前には簡単なはずだ。ゼルガードを思いのままに教育することも、そうでなくとも皇王の位を得ようと思えば、できたはずだ」
「わたくしはあなたとは違うのです。……あなたは、最後まで焦り続けているのですね」
 何十年も、求め続け、求め続け、命の灯火が消える日が間近であろうとも、求め続けることをやめない。
 ヴァシーリーは腹の底から、低く笑った。
「そう。儂は最初から、世界が欲しかったからな。兄共の下で大人しく言うことを聞いて生きるなど、真っ平だった。――若き頃、賭けをしたことがあったな?」
 少しだけリュインは黙った。しばらくしてから、目を細めながら小さく答えた。
「はい」
 ヴァシーリーが成人の儀を行ったばかりの頃、リュインに賭けを持ちかけた。
『賭けをしようぞ、リュイン! 馬に乗って駆けつつ、遠くの的を射る。より中央に近い場所に射った方が勝ちだ。お前が勝てば、俺を奴隷にでもするなり、殺すなり、何でもしろ。ただし、俺が勝てば、我が覇道に力を貸して貰う』
 ヴァシーリーは二代皇王ポリカールプの十一番目の息子であった。だが、それだけに満足せず、兄達を蹴落とし次の皇王の座を狙い、更に国を広げる野望に目がぎらぎらとしていた。その飢えたような目の輝きは、今と変わらない。
 結局、若さが溢れ、戦場でも敵なしのヴァシーリーが、賭けに勝利した。
「父の駒のような男であったお前が……儂の下について、兄共は驚いておったな」
 愉快なことを思い出すように、ヴァシーリーは口元を緩め、ひげを撫でた。
「そうでしたね」
「……あの賭け。お前はわざと負けたのではないか?」
 ヴァシーリーの眼がリュインを射抜く。
 居すくむことなく、リュインはおっとりと笑む。
「まさか。あの当時何の力もないあなたのために、なぜわたくしがそのようなことをする必要があると?」
「……それもそうだな」
 ヴァシーリーは簡単に納得した。いや、表面だけでも、納得してやったのかもしれない。
 寝間着の上から、胸を押さえた。静かにヴァシーリーは言った。
「お前が儂の下にあってくれたからこそ、儂は皇王になれた」
 リュインは首を振る。
「それは違いましょう。わたくしがいなくとも、あなた様はいずれ皇王になれた。全てを思い通りにしてきただけの、才能と行動力と天の運がおありなのだから」
「ふ……お前も口が良いな。……話は変わるが、ゼルガードにグランディ族の男の精神を教えこめてやりたいと思う。が、……ルクレツィアには、できぬだろう」
 ルクレツィアには、『グランディア皇国の頂点に立つ統治者・女皇』の精神はない。ヴァシーリーに全てを任せ、政治にはほとんど関わっていないのだ。いたって普通の、グランディ族の女だ。
「ルクレツィアには、ゼルガードに次期皇王となるべく必要な教育を行えぬ。お前がやれ、リュイン」
「わたくしが……? 他によろしい方がおられるでしょう。第一、わたくしはグランディ族ではありませんよ」
 リュインは戸惑いを心の内に留めた。この十二年、ゼルガードの教育はヴァシーリーが行っていた。親子に、ある種の距離があるのだ。いや、作ったのだ。
「お前はグランディ族ではない。だが、知っているはずだ、その精神を。……その精神を知る者は、これよりどんどんと少なくなるだろう。おそろしい勢いでな。他の者に頼んでも、そいつだとて、いつ死ぬかわからん。お前がやれ。お前の息子だろう」
 リュインは少し眉を寄せ、苦しそうに視線を外した。
「儂が死んだとき、お前が従うべき相手が誰か、わからないほどの頭ではあるまい。ルクレツィアなど論外だぞ。お前の従うべき主君は、ゼルガードとなるのだ。その主君のため教え導くのも、臣下としてのつとめよ」
「……承りました」
 リュインは諦めたように、頭を下げた。
 ヴァシーリーはふっと不敵な、底の見えぬ笑みを目に浮かべる。ゆっくりと、再びベッドに横になる。
「……お休みになられますか。医者を呼びましょうか?」
「いや、いらぬ。安堵してな……」
 目を伏せるヴァシーリーは、ただの老人のようであった。
 ゆるゆると、とりとめもなく彼は話す。
「……昨晩、夢を見た。オルテスの夢だ」
 ヴァシーリーのかける布団を上に直しているリュインの手が、一瞬止まった。
「十五であったあいつがな、大きくなって髪を伸ばし、肩に鳥を乗せて、旅をしているのだ。……儂の見たことのないような大きな街を、草原を、海を……」
 目を閉じながら、とても嬉しそうにヴァシーリーは話している。
 リュインの頭に、氷の下にいたオルテスの姿が浮かぶ。彼の『死因』は、実際にはわかっていない。遺体が見つかっていないのもあるが、決闘を見ていた者が、『ヴァシーリー皇王がオルテス皇子に魔法を使ったのだ』と証言したからだ。
 そしてヴァシーリーはそれ以後オルテスのことについては何も語っていない。そして、オルテスは事故死ということで片付けさせた。
「あれは、あれの生きやすい世界へ……行ったのだ」
 ヴァシーリーは、うつらうつらと眠りかけながら話している。本気で言っているのか、それとも夢の話なのか、リュインには判別できない。
 オルテスは氷の底で眠っているようであった。それが魔法であったのか、どんな魔法であったのか、それとも魔法でないのか。その場にいなかったリュインには、それもまたわからない。
 ヴァシーリーからは静かで穏やかな寝息が聞こえてくる。それをしばらく、聞いていた。


 リュインは昼を過ぎて、妻の元へ向かった。
 扉を開けると、絵画のような美しさが目の前にあった。
 日差しが薄いカーテンを通して部屋に落ちている。細かな塵が浮かぶ中で、彼女は編み物をしている。樫で作られた椅子に座りながら、手の先を優しい表情で見下ろしている。
 細く白い指が丁寧に編み物を作り出す。
 伏せられていた睫毛が上がり、扉の前に立つリュインに瞳が向けられた。
「あ、お帰りになったのですね。昨晩は……?」
 途中の編み物を椅子に置き、立ち上がった。
「ヴァシーリー様のところへ、行っておりました」
「父上の様子はどうでしたか?」
「少々、お体の調子が悪いようですが、それほどのことではなさそうです」
 ルクレツィアはほっとしたように笑みを浮かべる。
「ところで、その編み物は……?」
「ゼルガードの成人したときの祝いの品を作っているのです。あの子もとうとう、成人するほどに大きゅうなって、嬉しいやら、寂しいやら……」
 ルクレツィアはまだ途中の編み物を手にし、思い出すように、少し目を伏せる。
「あの子も成人するとなれば、婚儀の話も出ましょうし、となれば子供の話もありましょう。そうやってどんどん、この手から離れていってしまうと考えると……」
 リュインは編み物を持つ彼女の手を包むように取った。
「離れはしませんよ。どうなろうと、ゼルガードはあなたの子で、わたくしの子なのですから」
 ルクレツィアは穏やかなリュインの顔を見上げた。
「そう、でしょうか」
「そうです」
「あなたがそう言うのなら、そうなのですね」
「はい」
 夫婦は微笑みあった。
 見つめていて、リュインは違和感を覚えた。
「……ルクレツィア、いつもと違いませんか?」
 ルクレツィアの顔がこわばり、青ざめる。
「違うてなど、おりませぬ」
 さっと色鮮やかな袖で顔を隠す。
「いえ。……ああ、化粧を変えたのですね」
 袖の隙間から見える唇を見て、気づいた。いつもは桃色に近い紅を塗っているのに、深紅に近い色が乗っていたから。
 リュインがそう言うと、ルクレツィアは安堵したように袖を下ろす。
「……ええ、気分を変えようと思うて。紅とおしろいを変えてみました……前の方が、ようございましたか?」
 心配そうに見上げてくるルクレツィアに、リュインは首を振る。
「赤い口紅も、色っぽくて、いいと思います。ですが、前も、今も、あなたが美しいのには変わりありません」
 ルクレツィアは少女のように、頬を染めた。
「うまいことをお言いになる」
「いいえ。あなたの美しさは言葉にするのが難しいほどのものですよ。口がうまいとよく言われますが、そのわたくしですら、表現できず歯がゆい思いをしているのですから」
「ま……」
 照れた顔を隠そうとするルクレツィアに、リュインは楽しそうに、たわむれの言葉を続けようとした。
 そのとき、乱暴に扉が開いた。
「母上! 草原に駆けに行って参ります!」
 現れるなり言ったのは、ゼルガードである。
「あ、父上もおられましたか。……これは、お邪魔だったようですね。侍女や部下に、この部屋に朝まで近づくな、と言っておきましょうか?」
 にやにやと笑うゼルガードに、ルクレツィアは顔を赤くした。
「ゼ、ゼルガード、大人をからかうものではない」
「からかわれる方が悪いのですよ。それでは、行って参ります!」
 突風のように、ゼルガードは笑いながら過ぎ去っていった。


 ゼルガードは一ヶ月後に、成人として認められた。
 その式に出席し、壮健であると思われていたヴァシーリーが死んだのは、その更に一ヶ月後であった。
 二年は生きていると思わせておくようにとの彼の言葉によって、葬式も何もかもが、ひっそりと静かに行われた。
 草原に埋められるときに集まったのは、グランディ族の中でも、数えるほどの人間のみであった。
 リュインはゼルガードの手を握りつつ、それを静かに見ていた。
 ルクレツィアは目を伏せている。
 ゼルガードは、泣いていた。グランディ族として育て上げたのは、ヴァシーリーである。つまり、ゼルガードにとってヴァシーリーは祖父であり、グランディ族としての憧れの頂点であり、育ての親でもあった。
 ゼルガードはいつまでも泣いている。
「そろそろ泣きやみなさい」
 リュインが冷たく咎めた。
「だっ…て、お祖父様が……もう……」
 ゼルガードは俯いて泣きじゃくり、涙を何度もぬぐうが、そのたびにあふれ出す。
「泣きやみなさい」
 厳しくリュインが言う。いつにないきつい言い方に、ルクレツィアが袖を引いた。
「祖父を亡くしたときくらい、思い切り泣かせてもよいではありませぬか」
「いいえ。ゼルガード、あなたはいつまで子供のつもりなのですか」
「ち……ちうえ……?」
「あなたは成人しました。もう立派な大人です。甘えるのはよしなさい」
「だって……お祖父様が……」
「あなたは自己満足で泣くためにここへ来たのですか。それなら、さっさと城へ帰りなさい」
「リュイン、それは言い過ぎでしょう」
 ルクレツィアが止める。だが、リュインは自分の息子を厳しい目で見下ろし続ける。
「グランディ族の男ならば、しっかと顔を上げなさい。目を開き、焼き付けるように、ヴァシーリー様の埋められる最後を、見届けなさい。それがあなたのすべきことです。ヴァシーリー様が、あなたに望むことです。グランディ族の男になりなさい」
 リュインは微笑を浮かべず厳しさを顔に表し、ゼルガードに求める。
 ただ泣いているだけではいけないのだ。悲しみ、故人を懐かしく思うだけでは、先には進めないのだ。
 ヴァシーリーの求めるグランディ族の男とは、厳しいものだった。
 そのグランディ族の男になるか、ならないか。人を束ねて引っ張り上げる男になれるか、なれないか。
「……父上」
 ゼルガードは乱暴に涙をぬぐった。再び涙が溢れ始めたが、こらえてまっすぐに目を向ける。
 リュインは人の成長を目の前で見た。
 ヴァシーリーが埋葬される。
 彼の死。それは一つの歴史の終わりだった。だが、死と共に全てがなくなったわけではない。彼の野望の残照は、知る者の心にあり続ける。
 ゼルガードは顔を上げて、ヴァシーリーの死を見ることができた。
 しっかりとその死を見れたから、ゼルガードはヴァシーリーの精神を引き継ぐことができたのだった。




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