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裁判 3
グランディア皇国による、ガロオン国の制圧。
それが世に広まり、しばらくしてから、兵達は国へ帰還した。戦争から四年後のことである。
帰還する兵達は、とても喜んでいた。兄弟に会える、恋人に会える、子供に会える……。ポランスキーも飛ぶように、自分の城に帰っていった。
リュインはゆっくりとキリグート城へ戻った。
春、うららかな庭から、笑い声が聞こえた。
そこに、笑っているルクレツィアがいた。小さな子供と遊んでいる。黄の、赤の、花弁が舞う。
リュインは思わず足を止め、それをずっと見ていた。
彼女の美しさは変わっていなかった。いや、増していた。少女は匂い立つような女となっている。青ざめて震えている様子は薄れ、ほがらかさを得ていた。
しばらくそれを見ていた。と、彼女が気づいた。子供の相手をするためにかがめていた腰が伸ばされる。
「リュイン……」
彼女の唇から、彼の名がこぼれた。
リュインはゆったりとした笑みを浮かべる。
「お久しぶりです。……ルクレツィア」
ルクレツィアは本当に驚いているようだった。戸惑って、左右を見回し、侍女を見て、子供を見た。
そして最後に、急に走り出してきた。
リュインに飛びかかる。リュインは抱き留めたはいいものの、そのまま倒れてしまった。
いたた、と言いながら、
「……大丈夫ですか?」
とルクレツィアを見た。
「それは私のセリフです」
ルクレツィアは泣きそうな顔で、体を起こす。
「お怪我は!? 陛下!」
侍女が泡を食ったような顔をして、子供を連れて近寄ってきた。
「平気ですよ」
ルクレツィアは立ち上がったかと思うと、子供の頭を撫でた。
「……その子供は、どこのお子様ですか?」
彼女はリュインの顔を見ながら、楽しそうな表情で、逆に問いかけた。
「どこの子だと思いますか?」
リュインは子供の顔を見る。子供はきょとんとした表情をしていた。
藍色の髪が伸ばされている。目の色は朱色。藍色の髪はグランディ族にある特徴だ。
顔立ちを見ると、鼻梁が通り、彫りが深い。
楽しそうに見ているルクレツィア。彼女の顔に、似ていると思った。
「……ヴァシーリー様の、お子様ですか?」
彼女の父には何人も妻がいる。枯れた様子もない。ルクレツィアの弟ではないか、と思った。
しかしそうなると、次の皇王位はどうなるのか。
考えていると、ルクレツィアは首を振った。
「あなたの子です」
リュインは固まった。
「わ、わたくしの子……?」
子供は首を傾げて、見上げている。
リュインは別の生物でも見るように、その子供を凝視した。
「知らせるのはあなたが帰ってからにしようと、伝えていませんでした。かわいいでしょう? ゼルガード、と名付けました」
「…………。ゼルガード……」
うろたえながらも、リュインはしゃがみこんで、すぐ近くで子供の顔を見た。
気の強そうな男の子である。
「だあれ?」
子供がぶしつけに言葉をぶつけた。
「ゼルガード!」
ルクレツィアが叱る。
リュインは苦笑しながら、戸惑いながら頭を撫で、
「君の、父親ということになります。……ゼルガード」
「……父上?」
「はい」
おっとりと笑んだ。
ヴァシーリーはリュインが遠征に出てから、離婚させようとしたそうだ。けれど、そのときにはルクレツィアはゼルガードを腹に宿していて、そうすることもできなかった。
数日してから、リュインを呼び寄せたヴァシーリーは、
「娘を頼むぞ」
と、顔を向けずに言った。
次期皇王として、ヴァシーリーがゼルガードの教育を行った。
ゼルガードはグランディ族の勇猛な戦士として、めきめきと成長していた。
草原の戦士として、馬の操り方、弓射の腕も、剣の腕も、とてもうまくなった。
性格も勇気と大胆さを兼ね備え、次期皇王としてふさわしいような人間になりつつある。人にも慕われている。
グランディ族が成人するのは、10才から15才までの間が大半である。
ゼルガードが12才となったとき、そろそろ成人の儀を行おうという話となった。
リュインの耳に、とある噂が飛び込んできたのは、この頃だ。
曰く、『ゼルガード皇子は、オルテス皇子のお子ではないか』と。
悪意だけではない、妙な信憑性があった。
ルクレツィアが兄・オルテスを慕っていたことは事実である。そして、そのオルテスは死んだとされているが、死体は見つかってない。
もしや、生きているのではないか――
そういった噂は以前からあった。それが最近、信憑性を帯びてきたのは、成長したゼルガードに、どこかオルテスに似たところが出てきたためである。
馬を駆け、剣を振るう勇猛さ。鋭いまなざし。
「伯父に似ることなど、よくあることですよ。私の一番上の子も、私の弟に似ています」
ポランスキーはそれを聞いて、一笑に付した。
「それに、ゼルガード様はオルテス様には似ておられない。オルテス様には……たとえ戦場であろうとそうでなかろうと、死と生の瀬戸際に生きるゆえの鋭さと悲哀が、全身に溢れていらっしゃった。ゼルガード様には、まだまだ甘さがありますよ」
ポランスキーはオルテスを語るとき、必ず褒め称える。幼いときから仕えた忠誠心と、共に戦場にいてその戦う姿を見た憧れとが、五人も子供がいる大人になっても、ポランスキーに影響を及ぼしている。
幼少期の影響は、後々になっても尾を引く。
それはルクレツィアも、同じだろう。
子供の時から、オルテスとルクレツィアはいつも一緒にいた。
ポランスキーは軽い調子で言った。
「それに、そもそもヴァシーリー様と女皇陛下だって、似てるって言ったら、目が節穴でしょうね。……って、これは言ってはまずかったですかね?」
ヴァシーリーはひげが顔の半分を覆っているような、いかめしい顔をしている。確かに、あの繊細で折れそうなルクレツィアとは似ていない。
リュインは思わず笑ってしまった。
だけど、笑い終わると、顔にはかげりがあった。
……ルクレツィアは最近、リュインに顔を背けることが何度かあった。理由を訊いても、答えない。そして、ルクレツィアはオルテスの命日に、毎年ひそかに泣いて過ごしている。
それらのことが、リュインに影を落とし始めていた。
その年の夏は、例にない暑さであった。
オルテスが死んだ年はあり得ないほどの寒さであったが、その真逆が来たような気候である。
ゼルガードは毎日、暑さなんて気にせずに、草原を馬で走り回っている。
これは勇猛さなどよりも、わんぱくと言うべきなのかもしれない。
しばらく戦争がないので、城の自分の部屋で、リュインは仕事をしていた。
「将軍!」
慌てたような声が、部屋に飛び込んできた。
「おそれながら、すぐ、来ていただきたいことが……!」
「何ですか?」
「それが……」
乱入してきた兵士は、ちらりと部屋の中を見た。
部屋にはリュインの部下が何人もいた。
「追って、お話しいたしますから」
「それは、わたくしでなければならない用事なのですか?」
「はい。『不老不死の魔法使い』たる、将軍に頼るしか……」
リュインは立ち上がり、音もなく歩き出した。
部屋を出て、兵士にリュインはついてゆく。
「それで、どこへ連れて行こうと?」
「城の北にある、聖窟の近くの山です。発見して、我々もどうしたものか、困ったところがありまして……」
「発見?」
リュインは眉をひそめた。
深緑に囲まれた乱山の、一際奥までたどり着くには、時は夕方にまでなっていた。
人の歩けるような道はない。目的地まで行く途中、凶暴な野生動物にすら出会った。それは何とか撃退したが、それほど人の気配がない場所である。おそらく、この『発見』は、偶然のものだろう。
目的地には、10人ほどの兵士がいた。
影は黒となり、日に照らされた場所は濁ったような紅に染められている。
木々や草花が生い茂る中、何も生えない大きな空間があった。
池のようであった。ちょろちょろと水が脇へ流れていく。それは麓へ流れ落ち、川となるだろう。
池のようであったが、ただの池ではなかった。
リュインは端からその池を見下ろした。
残陽を受けた水は透き通り、底を見せる。
底には氷があった。そもそもこの池は、あまりに暑いので、氷が溶け出してできたものなのだろう。
底の氷の、さらに奥。
奥の中の奥。
目を細めて見たリュインの顔が歪む。
「このようなところにいらっしゃいましたか。……オルテス皇子」
池の水の奥底にある氷。そこには葉や枝などが氷漬けにされる奥に、人間の姿が見留められた。
あまりに深度がありすぎて、鮮明には見えないが、そこにあるのは藍色の髪を持つ人間である。
濁っていても、それが誰か、リュインの目には確認ができた。
「やはり……そうでございましたか。我々も、そう思いまして……慌てて呼ばせていただいた次第で……」
兵士達は掘り起こす道具を手に持っている。池の周囲には、氷を削ろうとされた形跡もある。
「ただ、あまりに深すぎて、さらに氷が厚すぎて、普通の人間の力では掘り起こすのが、無理なのです。そこで、魔法軍将軍の力をお貸し願おうと」
リュインは瞰下する。
単純に、ゼルガードは彼の子ではなかったと、喜ぶだけでは済まない問題がある。
底にいる彼はかつてとそのままで、まるで生きているようである。掘り起こせば、息を吹き返すような。
兵士達も、そう思っている節があるようだ。ひからびている様子もなく、生前と変わりないなんて、あることではない。
生きている可能性がある。だからこそ、兵士達も急いでリュインを呼びに来た。
もし、生きていたらどうなるだろう。
皇王位継承問題が勃発することは確実だ。今のヴァシーリーに彼を止めることはできない。
それよりも何よりも、女皇であるルクレツィアが進んで、彼に皇王位を譲りそうな気配すらある。
ルクレツィアはどうなるだろう。
兄の死んだとされる日、毎年泣いている彼女は。いつまでも忘れないでいた彼女に、いまだ恋情が残っていてもおかしくない。
リュインは、時間が巻き戻ってしまう気がした。
妻はオルテスを一途に恋い慕うルクレツィアに戻り、自分も、子供であるゼルガードすら忘れる気がした。それくらい、彼女のオルテスへの思慕の情は溢れんばかりであった。そして今も、彼女がその感情を風化させたという確証はどこにもない。いや、毎年泣いているのが、風化させていないという証拠だ。
オルテスの求婚したミリーは、今やヨナス=ポランスキーの妻だ。いくら14年前、かたくなに妹の心を拒んだからといって、傷心した彼が、今、妹を受け入れてもおかしくない。
リュインは氷の底にいるオルテスを瞰視する。
おもむろに服を翻し、歩き始めた。
「しょ、将軍?」
「すみませんが、わたくしにはできそうにありません」
「そんなっ! 魔法軍将軍にできないものを、できる魔法使いが、人間が、どこにいるでしょうか」
「ならば助け出すことは諦めなさい。あなたたちも、ここで見たことは忘れなさい。ここで眠り続けるのが、彼の運命なのでしょう。時が来れば、掘り出されます。命令です、ここで見たことは一切、忘れなさい」
リュインは兵士達に厳しく命令した。そしてそのまま、夜の山は危険なのに、下りていった。
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