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 番外編 薔薇のつぼみ rose bud(4) 


 シュテファンは恐れ始めていた。
「シュテファン兄様、似合いますか?」
 重厚な部屋、シュテファンの前で、パトリーは真新しいドレスで、くるりと回る。
「……ああ」
「ありがとうございます! あたし、ずーっと着て、この服、大切にします!」
 パトリーはピンクの可愛らしいドレスでくるくる回る。
 家令は苦笑する。
「パトリーお嬢様、ずーっとは無理ですよ」
「え? どうして?」
「お嬢様が成長なされるからですよ。これからぐんぐんと大きくなっていただかなくては」
「そうかぁ。でも、兄様、この服を大切にする、って気持ちは本当ですからね!」
 パトリーはまっすぐに見上げる。
「…………。すまないが、仕事が忙しい。パトリー、出て行ってくれ」
 え、と言って、パトリーはしょんぼりとシュテファンの部屋を出た。
 部屋は彼女が去ってから、いつもどおりの重苦しさに包まれる。
 机にひじを立て、シュテファンは額に手を置いた。
「似てらっしゃいますね」
 シュテファンの心を読んだかのように、家令が言った。
「坊ちゃんに」
「訂正しろ。私の幼い頃に、だ」
 パトリーが自分の幼い頃と似ている、と思い始めたのはいつの頃だっただろうか……。
 自分が母に向けたような笑み。
 自分が母に言ったような感謝の言葉。
 少し体調がよくないときには、
「兄様! あたし、ついていますからね、絶対に」
 そう言って、ベッドの横にいたこともあった。家令がどんなに言っても、離れなかった。
 まるで自分の『罪』を見ているような気分になる。
 それは拭い切れない罪。
 どうしてだろう。父母の結末を念入りに話したにもかかわらず、彼女が似たのは今の自分とではなく、過去の自分とだなんて。
 それも忌まわしく、叩き切りたいような、過去の自分に。
 これは何の因果だ、と思わずにはいられない。
 エゴで父母のことを教え込んだことでも、何でも理由はいいから、憎んでくれたらいい。忌避してくれたらいい。軽蔑してもいい。
 しかし、あんな期待と信頼と愛情の目で見上げられることだけは、耐えられない。傷口を抉られているようだ。期待されているものを、よく知っているために。
 シュテファンはさりげなく、パトリーを避けるようになった。
 パトリーは最初は気にせずに、会えるだけ会いたいと思っていたようだが、だんだんとシュテファンが避けているということに気づき始めたらしい。
 それでも、会って話すときはパトリーは笑顔なのだった。
 シュテファンとしては、彼女に八つ当たりをしないようにするだけで精一杯だ。だから自然と、冷たい言葉ばかりとなった。
 しかしいつか耐えられず、自分がパトリーに暴言をぶつけ、傷つけるような未来が来るかもしれない。そう考えると、ますますパトリーと会いたくなくなる。
 あえて冷たい言葉ばかりを言ってしまうのは、もはや回避の為の手段というよりは、習慣となった。


「私の結婚ですか」
 久しぶりに帰国した父の言葉に、驚きもなくシュテファンは受け入れた。
 もうすぐ二十にさしかかろうというのだ。そんな話が出てもおかしくなかった。そうでなくとも、妹達からも、
「そろそろ兄様、結婚したら?」
 なんて、追い立てられる。
 兄を心配しての体裁であるが、実際は『さっさと上を結婚させて、次は自分が』という心理だろう。
「チャットウィン家の娘なんてどうだ」
 その名に、シュテファンは思考をめぐらせる。
 チャットウィン家は政治的に有力な家だ。当主とは何度も顔を合わせている。確かに、そことつながりを持つのは悪くないと思えた。
「簡単に調べたが、その娘にも悪い噂はないようだし、格式としても、クラレンス家の嫁として迎えるのに相応しい」
「そうですね。私も一度調べさせましょう。では、その娘と結婚するという方向で」
 しばらくしてから、シュテファンの婚約が決まった。
 調べさせたが問題はないらしい。強いてあげるなら、弟の素行に少々問題があるくらいだ。娘自体は園芸を趣味にした、平凡な女だという。
 本音を言えば、結婚に利害関係がないのなら、シュテファンは結婚することはなかっただろう。
 そうしたいと思えた女も一人もいなかった。
 感情というものに信頼を置いていない彼にとってみれば、恋愛結婚は論外中の論外だ。
 こうして政略結婚は簡単に決まったが、相手と顔を合わせたことはなかった。
 別に会いたいとも思わず、結婚式のときにでも会うだろうと、執着はなかった。


 貴族には煩雑な付き合いというものがある。
 その日はハンティングに誘われ、少し田舎の猟場に来ていた。
 手綱を操り、シュテファンは森から開けた丘のような場所に出た。考え事をしているうちにはぐれ、猟場である森から出てしまったようだ。
 再び森へ戻ろうと馬の向きを変えようとしたとき。
「こちらから行った方が早いですよ」
 と、少し上のほうから女の声が聞こえた。
 向き直ると、丘の上に、馬に乗った女がいた。
 スカートでなく、女用の乗馬服を着ている。年頃の貴族の娘だろう。かといって、大貴族の娘ではないだろう。そういった家の娘にしては、簡素に見えた。
 知らない顔だった。茶髪をまとめあげている。
「皆さんのところに戻るには、こちらからの方が早いですよ。私はよくここへ来るので、ちょっと知っていますから」
 にっこりと女は笑う。太陽が、丘の上の女を輝かせる。
「上から見下ろされるのは不快だ」
 シュテファンが冷たく言うと、女は驚いたように、丘から降りてきた。そして向かい合う。
「女から見下ろされるのはお嫌いですか?」
「男でも、女でも、だ」
 女は納得したように頷く。
「そうですわね。失礼しました。さあ、こちらへどうぞ」
 女の操る馬の後からシュテファンの馬は付いてゆく。
「失礼だが、名前を尋ねていいだろうか」
「おわかりになりませんか? シルビアです」
「シルビア?」
 聞き返すと、彼女はがっかりしたようだった。
「ファミリーネームは?」
「おわかりになりませんか?」
「ああ。悪いのだが」
 記憶にはない。
 諦めたようにシルビアは表白する。
「チャットウィン家です。つまり……あなたの婚約者です、私は」
 シュテファンは目を見張った。
 服装からも、そんな大きな家の娘には見えなかった。いくら金遣いは荒くない、との調査結果があったとはいえ、飾りなどはあまりなく、簡素すぎた。
 顔立ちは確かに上品であると思われるが。
「それは……知らず知らずのうちに、失礼を」
「本当にお気づきになられなかったのですか?」
「ええ。まだ送られてきた肖像画も見ていなかったので」
 シルビアは拗ねたような顔をした。
「一度、お会いしましたのに」
 シュテファンは、何ですって、と返す。
「十年ほど前、一度、私はクラレンス家のガーデンパーティへ行きました。そこでお会いしました。そして、お話もしました」
 シュテファンはいらいらとした気持ちを出すのをこらえた。
 そんな昔の、瑣末なことを覚えているはずがない。
 ……確かに、当時から力を持っていたチャットウィン家の娘のことを忘れていた、というのはまずかったかもしれない。
「…………。記憶力が良いようですね」
「思い出しませんか? 薔薇は美しくて、あれから私はいつも、あんな薔薇を育ててみたいと思っていました。今も薔薇はありますか?」
 無邪気に言う彼女に、足元から冷えてくる気がした。
「……もうない。一本も」
「え?」
 シュテファンは手綱を引き、シルビアの馬よりも前に出た。
「ここまで来れば結構。案内はありがたく思います。どうぞお父上によろしくと、お伝え下さい」
 戸惑う彼女に、口角を上げながら言いこめる。
「差し出がましいことながら、助言しておこう。少しは婚約相手のこと、嫁ぐ家のことを調べておくべきだ。顔をしかめるような、面白い話が多いはずだから。婚約破棄をするのなら、後でクラレンス家に手紙でも送ってくることだ」
 シュテファンは森を駆けていった。


 いつ手紙はくるだろうか。
 シュテファンは暗い笑みを浮かべながら、それを待った。
 クラレンス家の醜聞なら腐るほどある。シュテファン自身への誹謗中傷も。それは彼が自分で作り出したようなものだ。
 それらを聞いて、結婚したいと思えるはずがない。
 相手側から婚約破棄を言ってくるのなら、こちらの対応もある。
 どう利用しようかと考え続けていたが、一向にそんな手紙は来なかった。何日、何週間も待っても、そんな気配すらない。
 父の方へ送られたのかと調べたが、そんな様子もない。
 チャットウィン家の当主と顔を合わせても、「早く結婚式を挙行されたい」と喜んでいる。
 そうしているうちに、結婚式当日がやってきた。
 ギリンシア神教アラン派の国内最大の教会は、犯罪を行ったとのことで、貴族としては使いにくくなった。
 だから国内第二の教会で、行われることになっていた。
 シルビアとそのときようやく、顔を合わせた。
 彼女はウェディングドレスをまとい、美しく化粧がなされている。
 控え室に行ったとき、彼女の用意が終わったところだった。他の者を外に出し、部屋は二人きりとなる。
 沈黙があった。前に会ったときは彼女から何でも話しかけてきていたのに、彼女も沈黙したまま、俯いている。
「逃げなかったのか」
 シュテファンの声にシルビアは顔を上げた。
「チャットウィン家が逃がしてくれなかったのか?」
 彼女はかぶりを振った。
「いいえ。婚約破棄なんて、誰にも言っておりません」
 なぜ。
 当然のようにその疑問がシュテファンの頭に浮いた。
「私はクラレンス家へ嫁がせて頂きます。あなたの妻になりたいと思います。……シュテファン様は、それがお嫌ですか?」
 見上げるシルビアの声には緊張がはらんでいた。
 シュテファンにはわからない。今このときになってさえ、結婚したいのか、したくないのかすら。
 シルビアの決意の言葉に、今さら『なぜ』と問うことはできなかった。
 シュテファンに答えることはできない。
 部屋の扉を叩く音がして、式場へ行くようにと言われた。
 シュテファンはシルビアの手を取って、無言で向かう。
 握った手は温かかった。


 シルビアが妻として、クラレンス家に住むことになった。
 家の勝手すら知らない彼女がうまくやっていけるか、シュテファンは気になっていた。
 特に妹達と上手くやれるかということに関して。
 ローレルやパトリーは初めて紹介したとき、壁を作っていたものだから。
 けれど、そんなことは杞憂に終わった。初めは戸惑いも多かったようだが、すぐに仲良くなった。
 最初に特に敵意を見せていたパトリーは、一番懐いていた。
 これは人柄のためなのだろう。誰に対しても、敵意を見せられても、辛抱強くにこやかに話しかけたり、話を聞いたりしていた。
 シュテファンには到底できない芸当だ。
 慣れて勝手を知ってくると、庭の手伝いを始めていた。庭師にいろいろと習っている。
 その頃には、彼女がこの家にいることに違和感はなくなっていた。
「坊ちゃんもいいお嫁さんを貰いましたね」
 家令がさも嬉しそうに口にする。

 秋。家のことで、話したいことがあったので、シルビアを呼ぼうとした。が、館にはいなかった。
 ふと、窓から見ると、庭で剪定をしているシルビアがいた。土に汚れながら。
 彼女は園芸が趣味で、庭で植物の世話をしているのはよくあることだった。
 シュテファンは部屋を出て、彼女の元へ向かった。
「あ、シュテファン様」
 額の汗をぬぐいながら彼女は振り向く。
 見ると、はさみだけでなく、他にも園芸用具が地面に置いてある。
「何をしている」
「薔薇の世話をしていたところです」
 ぴくり、とシュテファンの頬が震えた。
「上手くいきませんわ。あの熟練の庭師さんがいらっしゃれば、ご助言をいただけたでしょうに……」
 庭師はもう、引退していた。今はその弟子が引き継いでいるが、やはりあの庭師に比べると心もとないそうだ。
「薔薇なんて、くだらん」
 シュテファンがぼそっと言った言葉に、シルビアは、あら、と口を尖らせる。
「くだらなくなんてありませんよ。薔薇は育てるのがすごく難しいんです。だってほら、今年の薔薇は全部だめでしょう?」
 今は秋である。
「春に咲くものではないのか?」
「春と秋、咲くものがありますの。私が育てようとしているのは、秋咲きのものです。いつかきっと、立派な薔薇園をご覧に入れますわ」
 シルビアは力強く言う。
 クラレンス家は、シュテファンの支配するような冷たい空気から、どこか暖かな雰囲気に包まれていた。


 シュテファンが結婚し、さて次は妹達の結婚である。
 まず先に長女のナディーンだ。
 彼女の結婚を手配したのは父だ。格式、将来性、政治的利用を考え、選び抜いた。
 しかし、ナディーンはその相手を断固として拒否した。
 家族は皆、驚いた。
 ナディーンは妹の中で最も大人しく、反抗することもなく、自分の意見はほとんど言わないような女だったから。たとえばケーキが用意され、皆に手渡されても、妹の中でもっと食べたいと言う人がいれば、ためらわず自分の分を渡すような。
 父は戸惑いつつも強制することはせず、別の相手を示した。
 ところがその相手も嫌がった。次の相手も、その次の相手も同様だった。
「だったらどんな相手ならいいんだ」
 疲れきって父が問うと、ナディーンは、
「ディラック伯のような人」
 と言ったもので、父は目を丸くした。シュテファンも、からかっているのか、と片眉を吊り上げた。
 ディラック伯とは地方に大きな領地を持つ力のある貴族だ。その点で言えば、問題もない。
 ただ、彼は六十にさしかかろうという年齢なのだ。前妻との子供も三人いて、全員ナディーンより年上だ。
「正気か」
 そうシュテファンが問うと、真剣にナディーンは頷いた。
 そうならば、と父はディラックとの婚約を手配し始めた。数回ナディーンとディラック伯は会って話をし、その後はとんとん拍子で婚約が成立した。
「シュテファン兄様、あんまりです! ナディーン姉様が可哀想すぎます!」
 パトリーが抗議の声を上げたのはこの頃だ。
 貴族達の間、妹達の間では、この結婚はシュテファンが仕組んだもの、ということになっていた。
 ナディーンは、自分が望んだことだ、と何度も説明していたようだが、それが妹達を疑わせたらしい。大人しいナディーンをシュテファンが利用したのではないか、というように。
 それまでのシュテファンの行いの結果であろう。
「いくらナディーン姉様が何も言わないからって、あんな……おじいさんと言ってもいいような人と、再婚だなんて……!」
 シュテファンは後ろから非難するパトリーへ振り向いた。
 廊下で呼び止められたと思えば、こんな話をされる。彼は不機嫌であった。丁寧に説明する気もない。
「私のすることに口を挟むな。全て家のためだ」
 更なる非難を無視して、シュテファンは進んだ。




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