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 番外編 薔薇のつぼみ rose bud(2) 


 誰にも打ち明けることはできなかった。
 家令など、仕えている者に言うことなど論外である。もちろん、妹達にも。
 母自身は、何事もないかのように生活している。
 教会で告白しようかとも考えたが、できなかった。そもそもシュテファンは聖職者であろうとも信用していない。特に、シュテファンの信仰するギリンシア神教アラン派の、国内最大の教会が犯罪を行っている、という噂が裏で出回っていた時期であったから。
 シュテファンは鋭く、暗い目で、悩み続けた。
 あの日から、ろくに眠ることも出来ずにいた。
 妹達は心配した目を向ける。赤ん坊のパトリーでさえ、悲しそうな顔をしている気がした。
 モーズレイ子爵の招待された同じ食卓の席には、断固として座らなかった。顔を合わすつもりも、挨拶すらするつもりはない。
 母が頼み込んだって、そればかりはできない相談であった。
 数日、シュテファンは自室で一人、運び込まれた食事を取っていた。
 家令はそんなシュテファンの様子を心配に思っていた一人であったが、何かを考え続けるシュテファンには何も言わずに支え続けた。
 一週間して、父か帰ってきた。
 モーズレイ子爵は用事があるとかで、自分の館に帰ったらしい。
 父は、悩みすぎて老人のような表情をしたシュテファンを、部屋に呼んだ。
「シュテファン。どうしたんだ。母のことで、疲れたのか?」
 それには答えなかった。
「家令も妹たちも心配していたぞ。話してみなさい」
 耐え切れなくなって、シュテファンは洗いざらい話した。
 モーズレイ子爵がやってきた夜に見たものを……。
 これでどうにかなるだろう、とシュテファンは思った。母を叱責するなりすれば、いくら母だとて、恥を知って慎むはずだ。
 もしくは、これが理由で完全な別居か、離婚となるかもしれない。
 けれど、それも、この胸のうちに悩みを溜め込むよりは、まだいいと思えた。
「――そうか……」
 父は難しい顔をして考え込んだ。
 その後に言った言葉は、シュテファンの望みとはかけ離れたものだった。
「すまないが、シュテファン。これは父以外、内密に頼む」
「えっ……父様……」
「見て見なかったふりをしてほしいのだ」
 父の言葉に、シュテファンは愕然とした。
「クラレンス家としては、醜聞を広げたくはない。それは、離婚も含まれる」
「……それでは、どうなるのですか?」
「何も変わらん。これからも、お前には見て見ぬふりをしてほしいのだ」
 父の言葉が理解できなかった。
 この男は、何を言っているのか。
「父様はそれでよろしいのですか。あなたの妻でしょう」
 それも、恋愛結婚した相手なのだ。
「過去だ、それは。今大切なのは、クラレンス家の当主夫人の醜聞を広めてはならない、とのことなのだ。あいつから何度も言われたが、離婚など論外だ。クラレンス家に傷をつけるようなことは、絶対に阻止せねばならないのだ。それはお前も肝に銘じておけ」
 シュテファンは父を冷えた目で見つめた。
 結局この男は、家だとかそんな大義名分を盾に、何もしないのだ。
 この男が傷を付けたくないのは『家』ではない。『自分』なのだ。あくまで『自分』の世間体のためなのだろう。
 一度恋愛結婚を推し進めた意地で、それが失敗したと笑われたくないばかりの……
 この男はいいだろう。家に帰らなければいいだけなのだから。だが、ここに住まう自分は、妹は、どうなるというのだ。 
 こんな男だから、母との不和になったのだ。
 冷静な目で見ると、『父様』と呼んでいた男の浅い底が見えた気がした。
 失礼します、と、軽蔑するような目を向け、シュテファンは部屋を出た。
 
 
 地獄のような日々が続いた。
 父は即座に別宅へ帰って、入れ違いでモーズレイ子爵がやってきた。
 母とモーズレイ子爵が二人で一緒に仲むつまじくしている様子は、多くの仕えている者たちに見られた。
 金をやって隠しているが、それがいつまでも続くとは思えなかった。
 二人はだんだんと、隠そうとする様子すらなくなってきていたのだから。
 シュテファンは断固として、モーズレイ子爵には会わなかった。母が、
「ねえ、シュテファン。どうして挨拶してくれないの? 母様の言うことを、いつも聞いてくれていたのに……」
 と言っても、絶対に断った。
 恐るべきことに、母はまだ、気づかれていないと思っているらしいのだ。
 母の精神不安定を支える役目はなくなったが、たががはずれたような行動は、シュテファンの胃を痛ませた。
 年の近い長女・ナディーンや次女・ローレルは、そろそろ館内の異常に気づき始める。それでもシュテファンには言うことなどできようはずがなかった。
 まるで喜劇か、狂った祭りでも見ているような気分だ。
 疲労したシュテファンは、一人庭へ出た。
 ぎらぎらと太陽が照り、帽子をかぶっていても暑さはこたえる。
 庭ではちょうど、庭師が花壇の手入れを行っていた。
 その庭師は、シュテファンの生まれるよりも前、父が生まれた頃からここで庭師をしているという。
 シュテファンが向かうと、
「これはこれは、坊ちゃん」
 と、にかっと笑う。歯は何本か抜けていた。
 はさみを手に、庭の手入れをしつつ、気さくに庭師は話しかけてきた。
「それにしても最近、とみに暑いですなぁ。坊ちゃん方も大変でしょ。いつも立派な格好をせにゃならんとは。うちらは暑けりゃもう、がばっと脱いじまうんですよ。がばっと」
 オーバーに身振り手振りで話す庭師に、久しぶりにシュテファンは笑った。
 ちょきちょきと切っていた庭師が、そうだ、と、真剣な顔を向けた。
「そうだ、坊ちゃんか旦那さんに言おうと思ってたんすがね。最近来ている、モーズレイ子爵。あれはあまりいい噂は聞かんのです。メイドを何度も殴ったとか、金に飽かせて怪しいことをしてたとか。まあ、庭師つながりの噂ですから、そこんとこいい加減かもしれんですが」
「ありがとう。……そうだな、調べておこう」
 庭師はにかっと笑う。
 仕事があるので、庭師は手入れしに行った。
 シュテファンは疲れを癒すように、ゆっくりと庭を見て回った。
 いつもは同じようなところばかりを行くから、たまには外れでも行くか、と、人気のないあたりを進む。
 外れとはいえ、庭の手入れは完璧だった。何かの物置小屋のような、小さなぼろい小屋が近くにある。
 ふと、見たことのない花を見て、しゃがみこんだ。すると、いきなり後ろから口をふさがれた。
「!!」
 手をはずそうともがくが、大人の男の手で、両手であってもはずれない。
 男はシュテファンを持ち上げて、暗い物置小屋へ連れ込んだ。
 地面に叩きつけられても、口を覆われて、声が外には出なかった。
「静かにしろ」
 荒い息の、男の声が間近で聞こえた。
「いいか? 大人しくしていれば、終わった後に金をやる。どうせお前ら、金で動くような薄汚い奴らだ。俺のような貴族に奉仕すればいいんだ」
 シュテファンは暴れた。
「ちぃっ! このガキ!」
 男はどこからか布を取り出し、シュテファンの口に巻きつけようとした。
 シュテファンは精一杯に暴れた。そのとき、口を押さえる手が離れた瞬間、命がけで叫んだ。
「誰か!! 助けて! 助けて、誰か!! 母様!!」
「こんのガキが!」
 男はシュテファンを殴った。蹴った。シュテファンには暴力の痛みに耐えることしかできなかった。暗い中、どこからこぶしがやってくるかも分からずに。
「貴様! 何をやっとる!」
 扉が開いて、いきなり光が襲った。
 シュテファンを押さえつけていた男は、ちっ、と舌打ちして、逃げるように出て行った。
「坊ちゃん、坊ちゃん、大丈夫ですか!?」
 倒れていたシュテファンを抱え上げたのは、庭師だった。
 ほっ、と掛け声を上げ、抱えたまま立ち上がり、庭師は館へ向かう。
「坊ちゃん、坊ちゃん。もう大丈夫だ」
 ……うずくまるようにして、誰にも見せないように、シュテファンは涙を流した。それはシュテファンが最後に流した、子供らしい涙だった。


 館へ入ると、すぐさま家令が飛んできた。
「坊ちゃんっ! 誰がこんなことを……! すぐさま、治療道具を持ってきなさい! 医者も手配を!」
 指示されて、何人かの侍女が走った。
 家令も庭師も、心配そうな目で顔を覗き込んでいた。
 大丈夫だ、と示そうとして、笑った。それはいびつで、口の端を吊り上げたような、皮肉げな笑みにしかならなかったが。
「何事です!」
 よく知った声、母の声だった。
 やってきた母は、シュテファンの姿を見て、さっと顔色を変えた。
「なんて傷……治療は!?」
「奥様、今、至急呼ばせているところです」
 家令の言葉に、母はほっと胸をなでおろしたようだった。
「シュテファン。一体何をしたの」
 彼は答えなかった。
「言えないようなこと? 粗雑な庶民の子供とでも遊んだの? それならその怪我は自業自得よ。貴族として、恥ずかしいわ」
 シュテファンはそれでも何も言わなかった。
「何とか言ったらどうなの?」
 眉を吊り上げている母に、シュテファンはようやく口を開いた。
「……申し訳ありません……」
 その言葉に、母は拍子抜けしているようだった。
「そう、謝るってことは、自分の非を認めるのね? あなたはもう大人と同じくらい優秀で賢いと思っていたのに……母様は悲しいわ」
 庭師が、
「ちょっと待ってほしいんですが……」
 と言いかけたのを、シュテファンは目で制す。
 母はむっとしていた。
「何ですか。ぶしつけに、庭師が。自業自得と言うのなら、アタシが付き添う必要はないわね」
 と、母は戻っていった。
「……坊ちゃん。なぜ……」
 庭師が問いかける。
「……男に襲われかけて、傷を負った。そんなことを母様に言うくらいなら、私は誤解された方がましだ」
 その言葉に、庭師も家令も口を噤む。
 侍女が手当ての道具を持ってきて、ようやく手当てが始まった。




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