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   ジギスムント王伝
 ――3―― 


 聖剣ハリヤ。
 久しぶりに聞いた名である。
 かの剣は今、部屋の壁に飾っていない。即位の際に、しまいこんだのだった。
 ジギスムントは、自室で久しぶりにゆっくりと思案にふけっている。豆を煮出したお茶を飲みながら、記憶をたどる。
(ろくに覚えていない。あのとき、いろいろありすぎた。母の死、兄の自殺、突然降って沸いたような即位騒ぎ。宝物庫にしまうように頼んだのだっけ)
 しかし、確認したが中にはないという。
(どこかに……しまえ、と言ったのを、かすかに覚えている。なぜ、しまえなんて言ったんだろう。あれは、父上にいただいた唯一のものだったのに)
 今でも思い出す。
 東の森の離れにいたジギスムントのもとへ、上機嫌な顔をした父上が来た。
『宝物庫でほこりのかぶっているものを探させたらな、こんなものがでてきた』
 あれは本当に気まぐれだったのだろう。でも、歓喜した。
 雨の中、自分のために来てくれて、そしてこんなすばらしい剣をくれた。
 人生において、あれ以上の喜びはないだろう。
 なのに、どうしてしまいこんだのだ。
『聖なる剣が暗雲をもたらすと、セランポーレ公爵の占いに出たそうです。逆に、こちら側の有利になる、ということでしょう』
 ジギスムントはそんな占いはほとんど信じていない。だが、確かにここのところ見ていないのだ、あの剣を。状況が良くなるというなら、信憑性が薄くても探すべきだろうか。
(……探している場合ではないことも分かる。セランポーレが首都付近に現れたということは、誰かと会うためだろう。貴族の誰か、それとも反国王軍か)
 セランポーレ公爵には、見張りをつけた。領地にも、人をやっている。
(……戦争に、なるのか……?)
 ぶるり、とジギスムント二世は震えた。
 ジギスムントは、ようやく現実というものを理解し始めていた。だが、それでもその重さに躊躇する。
 剣を扱うことは好きだが、人を殺しあうこととは違う。重みが。
(……ぼくは、戦争が怖いんだ)
 王である以上、覚悟しなければならないことだと分かっているのに。
 戦争への準備は着々と進んでいる。自分が指示をしているのだから。
(それでも、『そのとき』に、本当に毅然と進み出せるのか)
 ジギスムントには、自信がない。苦悩しても、答えは出なかった。
 聖剣ハリヤが見つかった、と差し出されたのは、そのすぐ後だった。



 六月となって、南国レーヴェンディア王国は、暑さを増す。
 ロタールは、占い師の少女ソフィアのもとへ、足しげく通っていた。
 といっても、塔の窓を通して筆談と会話をするだけなのだが。筆談ゆえに、ゆっくりといろいろなことをロタールは知っていった。
 ソフィアが北方のエリバルガ国の出身であること。両親はそこで、果物を売って生計を立てていたこと。その両親はソフィアが占いの才能があることが分かると、幼少のときから占いをさせて、だいぶ稼いだこと。おかげで文字を学べたこと。けれど、その大金のおかげで、逆にもっと多くの借金を背負うことになったこと。
「そのとき、セランポーレ公爵にレーヴェンディア王国へ来ないかと誘われた、と」
 ロタールの言葉にソフィアは肯いた。
 たまたまエリバルガ国まで出ていた公爵に気に入られ、大金を出して買われたということだった。でも、こんな塔に監禁させられるとは思いもよらなかったらしい。何度も抗議したのだが聞く耳を持たなかったという。
 日は暮れ始めていた。鳥の長い鳴き声に、ロタールはもう時間だということに気づいた。
「もう、時間のようです、ソフィア。また三日後に、同じ時間に来ますよ」
 ソフィアが慌てて『待って』というジェスチャーをした。長い黒髪を翻し、奥へ入り、すぐに窓へと出てきた。何かを持っている。
 ソフィアは塔のすぐ下にいるように動きで頼むと、何かを落とした。
 軽いものだ。
 それは、刺繍入りのハンカチだった。
 北方の国独特の花模様。エリバルガ国のものなのだろう。その花は見たことがないものだったが、雅やかな花だ。
 ひらりと落ちてきた紙には、
『たくさんお話してくださったお礼です』
 と。ロタールは顔を上げた。
 最初に出会った頃とは違う、心からの笑顔がそこにあった。
 ロタールは胸の中に締め付けられるような甘美なものを感じた。
 心の喜びを表せないようなありきたりなお礼を言い、ロタールは立ち去る。だが、立ち去りがたくて振り返ると、ソフィアはまだ窓から見送っていた。ロタールはそれに喜びを覚え、
「必ず! また来ます!」
 と手を振って、何度も振り返りながら帰っていった。
 甘いものを、胸に抱きながら。
 その後、彼らは恋人同士となる。
 ソフィアはロタールが来るのを待ち焦がれ、ロタールは時間が空いて会いに行くときを待ちわびた。
 ロタールはベッドのシーツを使って部屋へ登るようになるが、ソフィアはそれを使って降りなかった。
 怖い、と彼女は書いた。
 高いところから降りる恐怖だけではなく、『外に出る』恐怖もあるのかもしれない。
 周囲が異国であり自分が異物である、という考え方は恐怖を生み出すのだろう。
 ロタールはただ静かにこう言った。
「あなたが出たいときに出ればいい。それはあなたの自由なのだから。ここにいなければならない、という義務などないのです。そもそもセランポーレは約束を破ったのだから。……いつだって、大切なのはほんのちょっとの勇気ですよ」
 ソフィアは、少しだけ緑石の目を見開き、ロタールを見つめていた。



 ジギスムントは聖剣ハリヤが見つかってからずっと、それを帯刀していた。そのときは、それが生涯続ける習慣になることを、考えてもいない。
 かつては両手で抱えてふらふらしていたことを考えると、感慨深いものがある。
 剣の鍛錬をかかさずに行っていたおかげもあるだろう。事実彼の剣の腕はずいぶんといいものだ。下手な剣士では太刀打ちできないだろう。
 聖剣ハリヤは、現実に本来の用途で使える剣であった。さすが、ハリヤの使っていた剣である。
 聖剣ハリヤは、王子時代のジギスムントの部屋の天井裏で見つかったらしい。
(なぜ、そんなところに置くように言ったのだろう……。思い出せない……。当時は混乱していたから。母が死に、兄が自殺し、即位。怒涛のように押し寄せた)
 当時を思い出そうとするのだが、混乱していたせいでろくに思い出せない。
 ジギスムントは本当に混乱し錯乱し、それを救ってくれたのはカタリナ姫とロタールだった。彼らだけだった。
 ため息の音が、部屋にこだます。
 国王の部屋には、ジギスムントしかいなかった。
 暗闇が侵食してくる。隅からじりじりと、闇が侵食してくる。あれが、コワイ。
「ロタール、カタリナ姫……」
 吐息と共に出された言葉には切ない響きがある。
 セランポーレ公爵が、暗躍していた。北で接するミラ王国とつながりを持とうとしているという情報がある。いや、それは先手を打ってあるのだからまだいいのだ。
 だが、事態は着々と戦争へと動いている。
(コワイ)
 ロタールはいない。彼は最近暇を貰うようになって、前ほど一緒にはいない。
 カタリナ姫。
(そうだ。カタリナ姫と一緒に、中庭でピクニックとしよう。中庭にはガリヤラカが咲き誇っているはずだから)
 ガリヤラカとはレーヴェンディア特産の真っ赤な花。南国に多く咲く。それは中庭の噴水の周りで、見ごろを迎えている。
 不安も何もかも、一緒にいるだけでなくなる……。
 次の食事時。カタリナ姫にピクニックの提案をすると、大喜びされた。
「わたくしがお弁当を作っていきますわね!」
 と言われて、カタリナ姫の料理の腕をよく知る身としては勘弁してほしかったが、苦笑するだけで止めなかった。
 自分のために何かをしてくれる、というものは何でも嬉しいものだから。
 ジギスムントはわかっていた。
 傍にいて自分を気にかけてくれる存在の大切さを。とてもとても大事なものだとわかっていた。
 何よりも、大切なものだと。



「ロタール。最近女の人と遊んでいるんだって?」
「そんなことしてませんよ!」
 ジギスムントの突然の発言にロタールはうろたえた。
 確かにこのところロタールはソフィアと会っている。
 ジギスムントはそのあたりのことは全く知らないが、先日カタリナ姫に囁かれた。
『ロタールは今、恋をしているんですわ』
 聞くとそれは、ただの女の勘らしいのだが、ジギスムントは面白くなかった。
 観察してみると、以前のロタールとは何か違う。何が、と聞かれても困るのだが、雰囲気が違うのだ。それは嬉しくないことだった。
「まあいい。今日くらいぼくと一緒でもいいだろう?」
「何をなさるおつもりで?」
「時間ができた。だから久しぶりに図書室へと行く」
 ロタールは目を見開いた。ジギスムントは、本はあまり読まないからだ。暇があれば剣を振るってばかりいる。
 図書室の扉を開けると、大きなガラス窓から光が差し込んでいた。緑のじゅうたんの上にいくつかのテーブルと椅子がある。壁際に大量の本が並ぶ。中には誰もいない。
「思い出すよ。アルブレヒト兄上は本が好きだった。ずいぶんと読んでいた。この図書室の本、全部読破していたんじゃないかな」
 ロタールはうなずく。アルブレヒト三世は、王子時代も国王になってからも、いつもこの図書室の隅の光の当たらないテーブルで、本をいくつも積み重ねて読んでいた。ランプを置いて。
「あんまり親しいというわけではなかったけれど、生き残った兄弟だしね。ああ、覚えている? ぼくと兄上が一度だけ喧嘩したことを」
 ロタールは思考をめぐらせたが、短く答えた。
「いえ」
「まだどちらも王子時代の話だよ。気まぐれでこの図書室にぼくが入ってね、兄上がいつもの場所で本を読んでいた。これも気まぐれで、何を読んでいるのかとタイトルを見たら、『原始生活のすすめ』なんて本で、思わず笑っちゃったんだよ。レーヴェンディアの王子が原始生活!? って思って。おまけに古代グランディ語で書かれていたんだから、あんな本読むのは兄上くらいなものだろうね。王宮の図書館にあるのが不思議だよ。そういうわけで喧嘩した」
 ロタールは少し笑う。ありそうな話だ。アルブレヒトはたいそうな読書家だったから。
「あ、あれだよ!」
 ジギスムントは本棚の高いところを指差した。ロタールはその指差された本を取った。
 タイトルは『原始生活のすすめ』古代グランディ語で書かれている。
「懐かしい!」
 表紙や裏表紙を見ているジギスムントに、ロタールは考える。
(ジギスムント様はアルブレヒト様をしのばれて、ここに来たのかもしれないな)
「ロタール、どうだい、本当に新品みたいだろう。当たり前だな、こんな本を王宮で読む人間なんて、兄上ぐらいなものだ」
 ぱら、と開くと中から手紙がこぼれ落ちた。
 いぶかしんで表には何も書かれていないその手紙を開ける。折りたたまれたその紙を開くと、ジギスムントの顔に衝撃が走った。
 それには、一枚目に流麗な字でこう書かれていた。
『ジギスムントへ』と。
「こ、これは……アルブレヒト兄上の字……!」
 ロタールとジギスムントは顔を見合わせた。
 臣下たるロタールは少し場を離れた。姿は見える、だが手紙は読めないくらいの位置に。
 震える手で次の手紙を一番上にして、ジギスムントは目で追いながら読む。
『これは賭けだ。
 もしお前がこの本を覚えていなかったら、開かなかったら、手紙を開けなかったら、今お前はこれを読んでいなかっただろう。
 これは、絶対神ハリヤへの賭けだ。
 もしかしたら、ジギスムントではなく他の人が、私のような酔狂者が読んでいるかもしれない。
 それもまた、賭けだ。
 私はこれを書いたら、死を選ぶ。
 その前に、お前に言わなければならないことがある。言うべきか言わざるべきか、私にはわからない。だから、こうして書いている。
 私は、これを言うべきか言わざるべきかを未来に賭けた。
 私が死んだ後の、未来に』
「これは、遺書か……」
 ジギスムントの表情は緊張にこわばっている。三枚目を読む。
『ジギスムント、お前がもう年老いているのなら覚えているだろうか。
 レーヴェンディア暦三百十二年二月、母が死んだことを。
 母は病気だった。
 最期に、母は私を呼んだ。私だけを呼んだ。
 母はわざわざ私に周囲に人がいないか確認させた。天井や隣の部屋までも確認させた。
 そこで、母は『告白』をしたのだった。
 ジギスムント、その内容は次の四枚目の手紙に書いてある。
 もし、読みたくないと思うなら即座にこれを破いて燃やせ。秘密は私が地獄まで持ってゆこう。
 忠告する。これを知った後、お前は絶望するだろう。怒りがあるだろう。どうして知らせた、と憤り苦しむだろう。
 そして、私は自殺をすることにした。
 この手紙は燃やせ。人には知られてはならないことが書いてあることを、決して忘れるな』
 ジギスムントは目をせわしなく動かした。
 手が震えている。
(……どうするべきなんだ? 兄上が自殺するほどの……)
 ジギスムントは好奇心が強いわけではない。だが、興味があることも確かなのだ。
(どうするべきなんだ……)
 知ってしまったら何かが終わる気がした。それでも、破り捨てる勇気はない。
 手の震えが強くなる。汗がにじんできた。
 その様子にロタールは、
「ジギスムント様……?」
 と声をかけるも、ジギスムントには聞こえていない。
 次の瞬間、あまりの震えと汗で、手紙がバサ、と落ちた。
「!」
 最後の四枚目だけが、風に乗ってロタールの近くに落ちた。拾い上げようとするロタールに、あらん限りの声で叫ぶ。
「拾うな!」
 大声に行動が止まった隙をついて、ジギスムントはひったくるように拾い上げた。
 何の因果だったのだろう。
 中の文面を目の端で見てしまったのは。
 それが、決定的なところだったのは。


『母は言った。お前たちの父は、本当の父親ではない、国王の血は継いでいない、と』


 見てしまった瞬間に、ジギスムントは座り込んだ。ひざの力が抜けた。聖剣ハリヤが軽い音を立てる。
 茫然自失とした。
(……これが、ハリヤの意思ですか、兄上。これを、知ることが。ぼくが、王の血を継いでいないことを知ることが。国王として玉座にいるべき人間でないと、思い知ることが! なら、ならぼくは、何の為に。何の為のっ……。ふ……は、は……    は  )
 座り込んだジギスムントに、ロタールは少々声をかけるのをためらっていた。
 だが、一筋彼の瞳から涙が流れるのを見ると、何も言わずに抱きしめた。
 その温かさにすがって、でも心に作られた大きな闇がなくなりはしないことを、ジギスムントは自覚していた。
 それでも、ロタールという光にすがりつくしかないのだ。彼にとっては、もう。




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